日本のジュエリー界を牽引してきたデザイナーは、日本のジュエリーデザインの歴史を次世代に伝えていきたいという願いを一冊の本
『GIOIA(喜び)』に凝縮させました。そこに込められた物語をたどると、著者が注いできたジュエリーへの愛情と文化・芸術への敬意が透けて見えます。
ジュエリーデザイナー 水野薫子
2025年10月24日、アッコルシ・オメット美術館に2作品(「夜叉ヶ池」と「天守物語」)が寄贈された。泉鏡花の戯曲に触発された作品は芸術に昇華し、日本とイタリアの文化と歴史を繫ぐ存在となった。
その瞬間こそが、“奇蹟”の物語のはじまりでした。中学2年生の水野薫子さんは、『巨匠ブラック宝石展 神秘と魅惑の芸術』展が開催されていた会場で、ある作品に目を奪われてしまいます。「メタモルフォーシス」シリーズのモチーフの一つ「エウロペ(エウローペー)」です。水野さんには、それがギリシャ神話に登場するフェニキアの王女エウロペをめぐる物語を体現したものであると、すぐにわかりました。

このラブストーリーは、多感な少女の心を揺さぶったにちがいなく、「私もこんな作品を創ってみたい」という希望がその心に広がっていったとしても不思議ではありません。それから月日はあっという間に過ぎていき、学習院大学文学部を卒業し3年間の大手銀行勤務を経た水野さんは、満を持して退職を決意。さあ、大きな夢に向かって新しいレールの上を走る時です。
大学2年当時から通うヒコ・みづの宝石デザイン学校(現・ヒコ・みづのジュエリーカレッジ)での彫金教室に加え、フォルムスクール(現・水野さんが今は代表を務めるアテナ宝石デザイン研究所)でデザインを学びながら、デビアス・ダイヤモンド デザインコンテスト1位をはじめ、数々のジュエリーアワードに作品を出し続けると、そのすべてが入賞するという快挙を成し遂げました。
世界の著名ジュエリーブランドのデザインを手がけるなど、そこから先の水野さんの活躍は、“才能の濫費”ではないかと思われるほど凄まじく、周囲をたいそう驚かせたことでしょう。振り返れば、いくつもの困難もありました。それでも唯一の救いは、「デザインのイメージが枯渇しなかったこと」。
1988年にミラノの個展で発表したコレクションの一つ。時と共に変化する草木や月の美しさをみごとに表現。「Infinito(無限)」ブローチ(K18×ダイヤモンド×パール×ピンクトルマリン)
1985年、待望のオフィスを設立。「KAOLVCO」ブランドのオリジナルジュエリーの誕生です。すでに水野さんの心には、「紀元前8世紀古代エトルリア文明に遡る長いジュエリー文化が根を下ろすイタリアの人たちに作品を見ていただきたい」という想いが、芽生えていました。そこにイタリアのジュエリーデザイン界の鬼才ミザーニ氏が現れ、活動を後押ししてくれたのです。自身のブランドを立ち上げてからわずか3年後の出来事でした。
緩やかな川の流れを金と漆で表現。ベースの彫刻は夫でもある彫刻家・長谷京治氏の作品。1988年のイタリアでの初個展Infinitoで発表された「無限」ネックレス(K18×アクアマリン×ダイヤモンド×パール×漆) リング左(K18×ルベライト×ダイヤモンド) 右(K18×ブラックパール×ダイヤモンド)

インドの王室がボタンに使用していたという巨大なダイヤモンド(1粒10ct以上)を用いた豪華なコレクション。「ディメンシオーネ」チョーカー(K18×Pt×イエローダイヤモンド×ダイヤモンド) リング(K18×イエローダイヤモンド×ダイヤモンド)

「100回以上訪れ、現地で仮面製作を体験した」ヴェネツィアに想を得た作品。「ヴェネツィア幻想のカーニヴァル」ブローチ上(K18×エメラルド×ダイヤモンド×ヴェネツィアン・グラス) 下(K18×パール×ルビー×エメラルド×ヴェネツィアン・グラス)

エメラルドと翡翠を纏うバタフライが美しい。「イリュージョニスト」ブローチ(K18×WG×エメラルド×サファイア×ジェイド×ダイヤモンド)
気がつけば、多彩な人たちがサポートしてくれるようになり、その一人イタリア人キュレーターのエルマンノ・テデスキ氏が、水野さんの特別な想いを託された2作品(「夜叉ヶ池」と「天守物語」)を、トリノのアッコルシ・オメット美術館での日本人作品初となる永久展示へと導く使命を果たしてくれたことの意義は小さくありません。
ブラックの作品を目にした“あの日”、心に大きな夢を宿した少女は成熟して大仕事を成し遂げた今、「これからは自分を成長させてくれた日本とイタリアのジュエリー界に恩返しをし、また次世代の少女たちに“喜び(GIOIA)”を与えたい」と願っています。著書『GIOIA』は、その決意表明の象徴でもあり、白馬が金色の羽を得て天に駆け上がっていくような“奇蹟”を起こす宝石箱でもあるでしょう。
イタリアの全国紙「ラ・スタンパ」(2025年10月24日)に、アッコルシ・オメット美術館への寄贈式典の様子が掲載。左からキュレーターのエルマンノ・テデスキ氏、同館館長のルカ・マナ氏、水野薫子氏、ジュエリー 評論家のパオラ氏。

『GIOIA 水野薫子の煌めきの世界』 水野薫子 著 世界文化社 定価5,500円(税込) A4変型判・カラー144ページ/ISBN 978-4-418-26203-8

歌劇ナブッコの「行け、わが想い 黄金の翼に乗って」から着想されたもの。「黄金の翼に載って」ブローチ(K18×WG×ダイヤモンド×アゲート×シトリン)