〔特集〕生誕100年記念企画 森 英恵──美しく生きて 若くして才能を開花させ、東京、ニューヨーク、パリを拠点に活躍した、ファッションデザイナーの森 英恵さん。愛する家族と仕事のため、全力で生き抜いた森さんは、亡くなった今もなお、後をゆく私たちの道を照らしてくれる存在です。生誕100年記念の大回顧展も開催中の今、その凜として美しい人生を振り返ります。
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美のパイオニアを紐解く5つのキーワード
日本のファッションがまだ世界に認められていなかった時代にニューヨークへ進出して成功を収め、さらには東洋人で初めてファッションの最高峰、パリ・オートクチュール組合の栄えある正会員となった森さん。日本が世界に誇る“美のパイオニア”を5つのキーワードで紐解きます。
1.ひよしや
森さんの輝かしいキャリアは1951年に開業した「ひよしや」の成功から始まります。当時は女性が洋裁を学び、家族の衣服を作るのが一般的な時代。森さんも、もともとはそういう主婦の一人にすぎませんでした。ではなぜ、「ひよしや」は千客万来となったのでしょう?
自分の城「ひよしや」で潑剌とした笑顔を見せる森さん(1950年代半ば)。夫の賢さんが見つけた物件は新宿駅に近いビルの2階。周囲には映画館や劇場があり、活気があった。屋号は賢さんの実家の糸問屋に由来。
撮影/石井幸之助 提供/森英恵事務所 一つは、外国人テーラーを季節ごとに呼んで服を新調するほどお洒落だった父、徳造さんの影響で西洋的な美的センスが培われていたこと。夫の賢さんが経営面を担ったことで、森さんがデザイナー業に専念できたのも大きな要因でした。
森さんは海外から仕入れた色のきれいな布地で服を作ると、マネキンに着せてショーウインドウで宣伝。その効果は絶大で、お客様だけでなく、映画の衣裳制作の仕事も呼び込みました。
2.ニューヨーク
ニューヨークを初めて訪れた1961年の夏。森さんは高級百貨店「サックス・フィフス・アベニュー」の地下フロアで、粗悪な布地の日本製品が「ワンダラー(1ドル)ブラウス」として安く売られている光景を目にし、衝撃を受けます。
絢爛豪華なイヴニングアンサンブルのコートは、京都西陣の職人が織り上げた帯地。1968年制作。島根県立石見美術館所蔵
撮影/小川真輝
高級品が並ぶ最上階で売られる服を作り、日本の高度なものづくりを知らしめたい。そのために「日本の美意識で勝負する」と決めた森さんは、約3年かけて日本の美術や伝統文化を学び直し、和服地の産地を訪ね歩き、着々と準備を進めます。
1973年春夏コレクションで発表されたイヴニングドレス。「胡蝶の夢」と銘打たれた布地は、テキスタイルデザイナー、松井忠郎さんの作。
1964年の東京五輪開催で日本への関心が高まっていた1965年、ニューヨーク初のショーは大成功。帯地のコートや縮緬のワンピースは森さんの望んだとおり、高級百貨店や専門店のバイヤーの心を鷲摑みにしたのでした。
3.メディア発信
森さんはメディアを通してファッション文化を育てたことでも知られています。1966年創刊の『森英恵流行通信』(1969年より『流行通信』)は当初、店の顧客に配布する情報誌としてスタート。女性のファッションを中心に、子どもやメンズの服も扱う充実した内容が評判となり、1975年からは全国の書店で一般発売されるように。
上段は1968年の『森英恵流行通信』、下段は80年代の『流行通信』。
1979年にはアメリカのファッション新聞『Women,s Wear Daily』と提携し、日本版として『WWD F OR JAPAN(現WWD JAPAN)』を刊行。初代編集長を森さんの長男、顯さんが務めました。また、1985年から続く長寿テレビ番組『ファッション通信』は顯さんが創業した企業が現在も制作しています。
『森英恵流行通信』14号では最新のヘアスタイルを特集。ほかにカルチャー誌『STUDIO VOICE』は長男の顯さんが手がけた。
4.オートクチュール
アメリカではヴィヴィッドな色彩と蝶や花の柄が人気を博し、確かな地位を確立した森さん。パリでは一転、フォルムと職人技を大事にした服作りに邁進しました。
パリのオートクチュールコレクションの作品。1977年の記念すべき初コレクションより。このとき森さんはあえて蝶を避け、新しいデザインで勝負に出た。右のアンサンブルは蛇柄。

パリのオートクチュールコレクションの作品。緻密なビーズ刺繡で表現された豹の顔は迫力満点。1981年春夏コレクションより。

パリのオートクチュールコレクションの作品。1982年秋冬コレクションのイヴニングドレス。中国の職人が手がけた刺繡レースが優美。
撮影/小川真輝

パリのオートクチュールコレクションの作品。ブルーの絹シフォンの空を舞う蝶がダイナミック。1976年春夏コレクションのイヴニングドレスとストール。
刺繡専門の「ルサージュ」をはじめ、羽飾りや帽子など、それぞれの専門工房の卓越した技を生かす作品作りは、オートクチュールだからこそできる自由で贅沢なクリエイション。森さんは「初めて自分自身の表現ができた」と語り、情熱を注ぎました。
「オートクチュールは私の生き方だから」──森 英恵
森さんのウェディングドレスと聞いて真っ先に浮かぶのは、皇太子妃雅子様(当時)のローブ・デコルテと襟もとに花びらをあしらったジャケットではないだろうか。しかし、名作はそれだけではない。佳き日を彩るウェディングドレスを森さんは「お嫁さん」と呼び、大切に制作した。絹サテンにレースを重ねた身頃、細くカットした絹サテンオーガンジーを編んだ袖とスカートからなるドレスは、2003年春夏コレクションより。
2004年、最後のショーのフィナーレでモデルたちに促されて登場した森さんは清々しい笑顔。観客は日本が誇るファッションデザイナーに敬意を表し、総立ちで拍手を送りました。
ショー前夜、パリのホテル内に設けられたステージの正面でリハーサルを見つめる森さんとスタッフ。この後、ドレスの細部の調整や、モデルの動きの確認などが綿密に行われた。
撮影/小野祐次
5.家族と友人
目まぐるしい生活を送りながら、知的でソフトな佇まいは崩さず、気さくな笑顔で周囲に接した森さん。その交遊録は、公私両面で刺激し合ったモデルの松本弘子さんやニューヨークで知り合った黒柳徹子さん、衣裳の制作を機に親しくなった俳優の岡田茉莉子さんやオペラ歌手の佐藤しのぶさんなど、実に華やか。
親交のあった写真家、奈良原一高さん撮影。
©Narahara Ikko Archives 提供/島根県立美術館
『流行通信』をともに作ったアートディレクターの田中一光さんや、森さんが衣裳を手がけた『マダム・バタフライ』の演出家、浅利慶太さんなど、時代の先端をいく文化人との交流も盛んでした。
2004年7月7日、孫の泉さんは、森さん最後のオートクチュールコレクションに出演。ウェディングドレスを着て大好きな「ママ森」の隣を歩いた。
提供/森英恵事務所
生涯にわたり、豊かな人間関係を築いた森さんが、何より大切にしていたのはやはり家族。「私がけんかするとしたら、家族のためだけよ」と語っていたといいます。
森 英恵(もり・はなえ)1926年島根県生まれ。1951年にアトリエと店舗を兼ねたスタジオ「ひよしや」を設立。1954年より数百本もの映画の衣裳をデザイン。1965年にニューヨークで海外初のショーを成功。1977年に東洋人で初めてパリ・オートクチュール組合の正会員となり、2004年まで毎シーズン新作を発表。プレタポルテや制服、ライフスタイル関連商品のデザインも手がけた。2022年に永眠。
生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ

森さんの生誕100年を記念した大回顧展が国立新美術館で開催中です。圧巻の展示400点が語る、偉大なるデザイナーの美意識とものづくりのすべてをご覧ください。
会期 : ~2026年7月6日(月)
会場 : 国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2)
休館日 : 毎週火曜
開館時間 : 10時~18時(毎週金・土曜は20時まで。入場は閉館30分前まで)
お問い合わせ(電話):050-5541-8600(ハローダイヤル)
https://morihanae100.jp(次回へ続く。
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