〔連載〕80代、現役女医の一本道 一冊の絵本『もうじきたべられるぼく』に出会い、「生きること」「死を受け入れること」についてあらためて考えさせられました。残りの人生で何ができるのか。小さなことでも、だれかの役に立ちたい。経験と老い方を通じて、私の生き様が一人でも多くの方々に伝われば幸せです。
第8回 人生のバトンを繫ぐ

撮影/鍋島徳恭
天野惠子(あまの・けいこ)1942年生まれ。内科医。医学博士。東京大学医学部卒業。静風荘病院特別顧問。日本性差医学・医療学会理事。NPO法人性差医療情報ネットワーク理事長。性差を考慮した女性医療の実践の場としての「女性外来」を日本に根づかせた伝説の医師として知られる。83歳の現在も埼玉県・静風荘病院の女性外来で診療にあたっている。
53歳、52歳、45歳の3女の母。
命をいただくことの本質に迫る良書
先日、たまたまテレビをつけると、本を紹介し合うブックトーク番組が放送されていました。その中で、ふと一冊の本が目に留まりました。『もうじきたべられるぼく』(はせがわゆうじ著/中央公論新社刊)という絵本です。表紙には、ほのぼのとしたタッチで描かれた子牛の絵。
内容は知らないのに、なぜか「これは読まなくてはいけない本だ」と直感しました。そして気づけば、ネットで10冊注文していました。3人の娘と孫たち、そして自分のために。「たくさんの人に読んでもらいたい」と思ったからです。
その物語は、食肉用に育てられている子牛が、まもなく自分が食べられることを悟り、最後の願いとして「お母さんに会いたい」と故郷に向かう物語。電車に揺られながら、「馬のように速く走りたかった」「象のようにみんなに愛されたかった」と、これまでを振り返ります。ようやく故郷に着くと懐かしいお母さんの姿が。読み進めるうち、心が揺さぶられ、涙なしではいられなくなりました。母と子の絆と別れ、命の尊さ、命をいただくことへの感謝。そのすべてが静かに胸に迫ってくるのです。
生きることは、命をいただくことで成り立っていますが、そのことを突きつけられるラストシーンは胸が張り裂けるほどの切なさに打ちのめされます。母の視点、子どもの視点で読み終えた後は、深い余韻に包まれる感動作。大人にもおすすめの一冊です。
人生は有限。よりよく生ききりたい
なぜ、この本に強く引きつけられたのでしょうか。
タイトルにある「もうじきたべられる」とは、つまり「死を迎える」ということ。子牛は、死を意識したからこそ、自分の生き方を見つめ直し、感謝や後悔を抱きながら、最後に「自分がどうありたいか」を考えたのだと思います。私はそこに自分を重ねたのかもしれません。
私は今、83歳。医師としての仕事は続けていますが、ふと立ち止まって思うのです。「この先の時間で、私にできることは何だろうか」と。残りの人生を思うと、長いようであっという間かもしれません。だからこそ、残された時間をどう生きるかを真剣に考えるようになりました。たとえ後悔はあっても、感謝の気持ちを忘れず、少しでもだれかのために役立つ存在でいたい。そう願いながら日々を送っているところです。
最近、私は自分のファミリーヒストリーをまとめています。自分のルーツを知りたくなったのです。
調べてみると、母方の祖父は愛媛県の松山で高校の数学教師をしており、父方の曽祖父は仙台藩で初めて和算塾を開いた人物でした。どうりで子どもの頃から私は数学が得意なわけです。祖先からの贈り物である理系の才能に恵まれ、医学部に進み、医師を目指したのも、今思うと不思議な力、運命に導かれたのだと感じます。
私の選んだ医師としての道は、多くの方々のサポートがあってこそ。一人では進んでこられませんでした。私の生き方の、何か一つでもだれかの心に響くものがあれば幸せです。
鈍感力を発動させ自分ファーストで
高齢期からは、「好きなことをやる」「嫌なことはスルー」「無理しない」を心がけることが肝心。ワクワクする楽しいことは、脳によい刺激を与え、脳の働きを若々しく保つことができます。今のうちにやりたいことや好きなことをどんどん行動に移し、脳を活性化しましょう。
また、嫌なことや気が進まないことは、やらないと決めましょう。高齢者は真面目で、「ねばならない」思考にとらわれている人が多いと感じます。我慢や無理を上手に手放し、心と体の負担を軽くしましょう。
ところで、私は周囲から「いつも感情が安定していますね」とよくいわれます。生来、「我が道を行く」タイプの性格で、メンタル的にいつもフラット。嫌なことや理不尽なことをいわれても、激昂したり落ち込んだりといった気分のアップダウンはありません。また、「世の中にはいろいろな人がいる」「他人を変えることはできない」と割りきっていますから、人間関係でストレスがたまることもほとんどありません。
そのようにいうと、「私は天野先生みたいに強くないから無理です」といわれます。でも、周りを気にして忖度したり、自分を後回しにしたりする生き方を長年続けていると、心も体も必ず悲鳴を上げるでしょう。
相手に対して感情的になり、怒りをあらわにしてぶつかっても、得られるものはありません。もちろん、あからさまなハラスメントには断固として声を上げるべきですが、日々さらされる理不尽なことや外野の雑音にいちいち反応していては、疲弊するばかりです。そんなときは、「鈍感力」を発動させましょう。
鈍感力とは、ストレスの原因を真正面から受け止めるのではなく、上手にかわしたり、適当に受け流したりするスキルのこと。心を乱す雑音や逆風は、「どこ吹く風」とスルーするのが賢い方法。悪口や意に染まない意見をいわれたら、聞こえないふりを。これに限ります。
「運命を受け入れ、感謝を胸に人生を生ききる」

イラスト/上大岡トメ
私が20代で結婚したとき、義母から告げられたのは「子どもが生まれたら、医師のお仕事はお休みしてくださいね」ということ。「いつまでですか?」と問い返すと、「子どもが成人するまでです」。
当時、出産後も働く女性は少なく、一人っ子の長男である夫の実家からの過干渉はすさまじいものでした。子育てのための20年のブランクは、医師としてのキャリアをほぼ断つことになります。「日本一の医師になる」ことを生涯の目標にしていた私にとって、義母のその言葉は衝撃的でしたが、私は何のリアクションもしませんでした。
考えの違う人に声を荒げたり、怒ったりしても、状況が好転することは残念ながらありません。ただただ普通に接するのみ。急いで白黒つけなくても、自分の考えさえブレなければ、必ず活路は見出せます。「そんな考え方もあるのだな」と思って、否定も肯定もせずにやり過ごすうち、「この人を変えることはできない」と周りがあきらめてくれるでしょう。
◆今月の生きるヒント◆
人生は有限。今の自分をつくってくれた苦楽に感謝し、これからのかけがえのない日々を大切に生きる。
天野医師の好評既刊
『81歳、現役女医の転ばぬ先の知恵』ストレスをしなやかにかわす生き方、メンタルを強くするセルフケア法を収載。
1765円 世界文化社刊
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