〔連載〕80代、現役女医の一本道 私にとって、医師という仕事はまさに天職です。生まれ変わってもまた医師になりたいと思えるほど、医師という仕事は私の生きがい。医師を志すきっかけとなったのは、7歳のときに経験した、戦後の混乱期のある出来事でした。
第4回 7歳で医師を志す

撮影/鍋島徳恭
天野惠子(あまの・けいこ)1942年生まれ。内科医。医学博士。東京大学医学部卒業。静風荘病院特別顧問。日本性差医学・医療学会理事。NPO法人性差医療情報ネットワーク理事長。性差を考慮した女性医療の実践の場としての「女性外来」を日本に根づかせた伝説の医師として知られる。82歳の現在も埼玉県・静風荘病院の女性外来で診療にあたっている。
53歳、52歳、45歳の3女の母。
幼少期に芽生えた「弱者を支えたい」という思い
1942年に愛媛県で生まれました。国家公務員だった父の仕事の都合で小学校に上がる直前に秋田県に移り、そこで中学2年まで過ごしました。その頃の記憶は鮮明で、私の人間形成に大きな影響を与えた数年間だったと思います。
当時は戦後でみな貧しく、物乞いをする傷痍軍人の姿をあちこちで見かけました。家がなく、防空壕から学校に通うような子もいました。
父は転勤が多く、決して裕福ではありませんでしたが、住む家もあり、使用人もいて周囲の人たちよりは恵まれていたと思います。
ただ、両親とも体が弱く、父は結核を患い(その後、誤診と判明)、母はしょっちゅう病床に伏せっているような状況でした。当時、結核は死の病といわれており、そうした家庭環境をからかい、差別するようないじめを同級生から受け、幼心に傷ついたものです。
「健康でなければ、何もできない。病気にならない強い体を作り、弱い人を助けられるような人になりたい」。幼少期に芽生えたそんな思いは、80代になった今でも変わることなく私の根底にあります。
「医者になる」将来を決めた母のひと言
医師を目指すことになったきっかけは、7歳のときのある出来事でした。仲よしの近所の女の子が、おばあちゃんと二人暮らしをしていたのですが、ある日突然、おばあちゃんが亡くなり、女の子は親戚に引き取られ、どこかへ行ってしまいました。
その子が不憫でとても悲しく、「どうして人は死ぬの?」と母に尋ねました。すると母は、「あなたがお医者さんになって、死なないようにしてあげて」と答えたのです。そのひと言が、当時の私の心に強く響き、将来の進む道を決めることになったのです。
もともと私は意志が強く、一度決めたことは貫く性格。高校時代には「日本一の医師になる」と心に決め、目標を東京大学医学部に定め、勉学に励みました。
1961年に日比谷高校を卒業し、東京大学理科二類へ進学。1967年に医学部を卒業しましたが、当時の東大紛争の影響で東大病院での研修ができず、悩んだ末にアメリカ留学を決意。その話は、また別の機会にお話しします。
東大医学部に進路を定めた家庭環境
今でこそ、女性医師が増え、女性が医学部に進むことはめずらしいことではなくなりました。しかし当時、そうしたケースはかなり少数派でした。私の母がそうであったように、女性は女学校を出たらすぐに結婚するのが一般的で、女性が高等教育を受けること自体、難しい時代でした。また、女性が東京大学に進むことも、当時は非常にまれでした。
私が自然と東大医学部を進路として意識し、目指すことができたのは、家族や親族に東大出身者がいたから。恵まれた環境があったことにほかなりません。
父は東大農学部出身、母の長兄は東大医学部を出て産婦人科医、次兄は東大経済学部、母の弟も東大経済学部を卒業しています。母の妹は大阪女子高等医専(現・関西医科大学)を卒業しており、東大医学部への進学を応援してくれました。
父は明治生まれでしたが、極めてリベラルで差別意識のない人でした。私を「惠子さん」と呼び、幼くても一人の人間として尊重してくれました。小学校に上がる前から科学雑誌を与えてくれ、自然科学への興味を育ててくれました。
両親ともに、常に子どもの興味ややりたいことを優先し、一方的に何かを強制したり、「女の子だから」と制限したりすることはありませんでした。
「人生の幸福とは、だれにも負けない自分の強みを思う存分発揮すること」

イラスト/上大岡トメ
得意ジャンルをのびのび伸ばす
そうした家庭環境でしたから、私は思う存分、勉学に励むことができました。
そもそも、私は数学や生物などの理系科目が大好きで得意。好きな数学の難問に取り組んでいると、時間が過ぎるのも忘れるほど。数学の勉強をしているときが何より幸せで、周りがどんなに騒がしくても、持ち前の集中力で何時間でも浸っていられるのです。今でいう「ゾーンに入る」といった状態で、のってくると、呼吸をするようにすらすらと問題が解けるのです。思考が研ぎ澄まされ、無心に課題に取りかかっているような感覚です。
めきめき数学の力が伸び、数学の成績だけは常にトップ。揺るぎない得意科目となり、数学に引っ張られてほかの科目の実力もついていきました。
欠点よりも可能性にフォーカスしてみる
私自身、3人の娘を育てましたが、大切にしてきたことは、短所よりも長所に目を向けること。自己肯定感や自尊感情が低いと、自分らしく人生を推し進めていくことは難しいでしょう。
人生は初体験の連続ですから、最初からうまくできなくて、当たり前。何より、「自分はできる!」という、揺るぎない自信をつけてあげることを心がけていたように思います。
自分を過小評価して萎縮したり、何かを諦めたりすることは、たった一度の人生、もったいなさすぎると思うのです。
人生の幸福とは、強みを生かして自分らしく輝くこと。子育ての中で、強みを親が早めに見つけて助言してあげるのがベストですが、そうでなくても、自分で気づくことができます。
呼吸するように自然にできることは、ありませんか? あなたにとって当たり前でも、ほかのだれかにとっては難しい。気づかないうちにだれかを助けたり、何かの役に立ったりしているその力こそが、あなたの強みかもしれません。
医師とは「自分に正直でいられる天職」
医師の仕事の根本は、「病気で困っている人を助ける」こと。目の前の患者さんのために、自分の知識と技術を尽くすという、はっきりした目的に直結した職業です。人間ですから、万能ではありませんが、それでもひたすら目の前の患者さんに誠実に向き合い、常にベストを尽くすのみ。自分に噓をつかなくていい、幸せな職業だと誇りを持っています。
◆今月の生きるヒント◆
幸せで豊かな人生とは、人との関係の中で自分の強みを存分に生かし、自分に正直に生きること。
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