つらくて不安なあなたに伝えたい「私の介護体験」第21回 2025年6月、アグネス・チャンさんのお母様は香港の病院で息を引き取りました。享年100。10年に及ぶ介護を振り返り、アグネスさんが語ったのは、母への感謝と「歌手でよかった」の言葉。母を深く思う気持ちと、ご自身が歩んできた人生への誇りが伝わってくるお話でした。
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東京―香港。介護のために往復した10年間。母と私は“歌”でつながっていた
アグネス・チャンさん(歌手・エッセイスト・教育学博士)

1955年香港生まれ。72年、「ひなげしの花」で日本デビュー。上智大学国際学部を経て、カナダのトロント大学を卒業。89年米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学し博士号を取得。98年日本ユニセフ協会大使に就任。世界の貧困地域や紛争地を視察し現状を広く伝えてきた。2008年日本対がん協会初代「ほほえみ大使」、16年ユニセフ・アジア親善大使に就任。芸能活動のみならず、子どもの権利を守るための活動、東日本大震災復興支援のためのチャリティイベントなど、国内外を舞台に幅広く活動する。
国境を越えて香港の実家へ。心がけた“明るい雰囲気”
アグネス・チャンさんの母が認知症を発症したのは90歳を過ぎた頃。以来、アグネスさんは東京と香港を頻繁に行き来し、母が暮らす実家に泊まり込んで24時間付き添いました。
コロナ禍の最中には香港のホテルで2週間の隔離期間を経てまでも、「日本で心配しているより会いに行きたい」と、仕事をやりくりして時間を工面。母の近くに住む医師の姉と密に連絡を取り合い、晩年は入院中の母を見舞うために1週間に2度往復したこともありました。
介護のために香港の実家に帰省中のアグネスさんとお母様。
10年の間に、母の症状は徐々に進み、15分おきに同じ話を繰り返すようになり、やがてアグネスさんのこともわからなくなりました。戦争を乗り越え、6人の子どもを育て上げてきた母、厳しくしっかり者で、お洒落だった母の変化に、最初は戸惑いや苛立ちを覚えますが、次第に「母が穏やかに笑って過ごせることが一番」との思いが強くなっていきました。
心がけたのは、明るい雰囲気づくり。アグネスさんは母にたくさんの洋服を贈りましたが、選ぶのは決まってきれいな色合いの華やかなものばかり。
「私がいるときは必ず、朝起きたら着替えさせました。弟は“どこにも出かけないんだから寝巻のほうが楽だろう?”っていうんです。わかってないな(笑)。女性だったらお洒落な服を着るだけで気分が明るくなるし、誰かが突然訪ねて来たときに寝巻姿だったら絶対に嫌ですよね」(アグネスさん)。
歌手でよかった──。母が喜んだ“ミニコンサート”
アグネスさんを認識できない母との会話も、受け止め方次第で笑い話に変わります。たとえば、「子どもはいるの?」と聞かれて「男の子が3人います」と答えると、「娘がいたほうがいいわよ。今から産んだら」と母。「『私はもう60歳を過ぎているから産めないんです』というと、母が『あら、そんなに年なの? じゃあしょうがないわね』って(笑)。何度同じ話を繰り返したことでしょう! でも私はこのやりとりが大好きなんです。母は娘、つまり私がいてよかったと思っているのですから」。
心に残る言葉
私が子どもの頃から母がよくいっていた中国のことわざ
母「よい鉄を打つには素材自体が硬くなければならない」
──「何かを成し遂げようと思ったら、まず自分自身が実力をつけて強くなりなさい」という意味の、中国では有名な教訓です。何でも他人任せだったり、人に頼ってばかりいたら何一つ、成果をあげることはできません。戦争を経験し、激動の時代を強く生き抜いてきた母自身が大切にしてきたこの言葉を、私も強く胸に刻んで生きてきました。やがて母は視力も耳の聞こえも悪くなっていきましたが、アグネスさんの歌声には明らかに反応し、歌に合わせて手を握り、足でリズムをとって楽しんだといいます。「子どもの頃、母はたくさんの歌を教えてくれました。私が歌手になったのも母の影響が大きかったんです。中国の童謡、私の香港でのヒット曲、子守歌……2、3曲歌って“じゃあ、おやすみなさい”というと、袖を引っ張って“もっと歌って”と催促するので、結局十何曲も──。毎晩ミニコンサートです(笑)。疲れましたが、最期まで母と歌でつながることができて、歌手でよかったと心から思いました」。
葬儀会場となった教会。「家族みんなで、母が大好きだった花をたくさん飾りつけました。母も喜んでいたと思います」。写真提供/アグネス・チャンさん
100歳まで生きてくれた母。感謝の気持ちしかない
香港も高齢化が進んでいますが、日本のような公的介護保険制度はなく、介護費用は基本的に自費で、在宅介護が一般的だといいます。ただアグネスさんの印象では、香港の高齢者はおしなべて元気だとのこと。「子どもとの同居も多いですし、地域での交流も盛んで、しょっちゅう飲茶でおしゃべりをしたり将棋をしたり、男性も女性も孤立している老人は少ないような気がします。母も90歳まではしっかりしていましたから、十分、合格点をあげられますね。私の場合、介護中に頼りになったのは何といっても医師である姉の存在です。母の状態を日常的に見守り、変化があればすぐに的確な対応と判断をしてくれたので、大きな安心につながりました」。
100歳の誕生日を迎えた約7か月後、母は病院で息を引き取りました。アグネスさんが10年の間、無理をしてでも介護に通い続けた背景には、ある思いがあったといいます。「母の反対を押し切って日本人と結婚し、出産後は育児で忙しくあまり実家に帰ることができなかった──。そのことに私はずっと後ろめたさを感じていました。もし母が元気なまま急に亡くなっていたら、一生、後悔は消えなかったでしょう。認知症になってから母は子どもに戻り、親子の関係は逆転。“私が母にできることは何だろう”と考えて行動することができました。だから私は、大変だったけれど介護ができてよかった。100歳まで生きてくれて、母には感謝しかありません」。
介護中に心がけた3つのこと
1.大げさなくらい挨拶は明るく元気に「おはよう! 朝ご飯食べようか!」「さあ、着替えましょう!」。挨拶や言葉かけは、大げさなくらい明るく元気に。その声につられて母も私も気持ちが高まりました。
2.ささいな出来事にも感謝して、祝う母が今日も目を覚ました、話せた、ご飯を食べられた、笑った──。ささいな出来事も当たり前と思わず「ありがとう」と感謝し、「おめでとう、よかったね」と祝いました。
3.出会えてよかったと思い合える生き方を縁あって巡り合った人から、「アグネスと会えてよかった」と思われる生き方をしたい。私も「あなたに会えてよかった」と思えるよう、相手の長所に目を向けたい。
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