つらくて不安なあなたに伝えたい「私の介護体験」第20回 唯一無二の歌声とトークで、ライブ会場に笑いあり涙ありの感動の渦を巻き起こす綾戸智恵さん。“明日にエネルギーを残さない”をモットーに、仕事にも介護にも全力投球で生きてきたといいます。歯切れのよい語りと独特の表現の中に、家族間の情と、人生の深い味わいが伝わってきました。
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介護も別れも、すべて受け入れ生きてきた。過去は全部、今のためにある
綾戸智恵さん(ジャズ・シンガー)

あやど・ちえ 1957年大阪府生まれ。3歳でクラシックピアノを始め、17歳で単身渡米。2001年、第51回芸術選奨文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)受賞。03年、NHK『紅白歌合戦』で熱唱した「テネシー・ワルツ」が大きな話題となる。これまでに売り上げたCDは100万枚を超えている。26年2月リリースのセルフプロデュースアルバム『UMAMI』が好評。9月20日浜離宮朝日ホール、10月3日神戸朝日ホールでライブ開催。チケット発売中
来るべきときに来た介護。受け入れただけのこと
母を17年間介護し、5年前に看取った綾戸智恵さん。母は今も当たり前のように身近にいるけれど、介護の日々をセンチメンタルに振り返ることはないといいます。
「生きている以上、避けられないことってたくさんありますね。私にとっては介護もその一つ。私は今まで、壁にぶつかるたびに周りから『あんたがやらなあかんねん。それを超えたら明日が来るねん』といわれ続けて、逃げずに生きてきました。その延長線上に、介護が来るべきときにやって来た、だから受け入れた。それだけのことやと思っているんです」(綾戸さん)
とはいえ、母が脳梗塞で倒れ、右半身が不自由になった2004年頃、綾戸さんは年間100公演以上のコンサートを行う多忙の最中で、息子もまだ中学生。母はリハビリの甲斐あって回復しますが、その矢先に玄関先で転倒して骨折。入院中に認知症を発症します。
「常に明日にエネルギーを残さないように生きてきた」という綾戸さんは、介護サービスや仕事のスタッフ、近所の人の助けも借りながら仕事と家事・育児と介護のすべてに全力投球します。デビュー10周年のときは、全国を回る記念ツアーに母を連れて行きました。
自宅で介護をしていた2013年頃の母とのツーショット。介護中、綾戸さんは髪を短く切っていた。写真提供/綾戸智恵さん。
一時期、両立に限界を感じて休止した仕事にもやがて復帰。再び息を吸うのも忘れるほどの忙しさが訪れ、体調を崩し病院に運ばれたことも。心配した息子に「お母さんとおばあちゃんの終着駅は違うで。自分のこと考えや」といわれ、より一層周囲を頼るようになったといいます。
「トイレでパンツを上げずにズボンを上げてしまうこと、ありますやんか。それくらい何も見えなくなってたんです。一日が28時間あれば、もう少し眠れたんやろうけど」。
「もうええか?」「よろしいで」。母は安心して逝った
その後、母はグループホームに入居。2021年、医師からもう長くないかもしれないと告げられた綾戸さんは、母を自宅に連れて帰ります。コロナ禍でコンサートも行えない中、家で母とゆっくり過ごす時間を持つことができたといいます。亡くなる数日前、母は綾戸さんに「もう、ええか?」と尋ねました。それはいったいどのような意味だったのでしょうか。
「『もう親がおらんようになるけどええか?』だったと思います。60過ぎの子でも『一人でやっていけるやろか』と心配だったのだろうと。『あかん』いうたらかわいそうで、『もう、よろしいで。おおきに』と答えました。
亡くなる前に『ああ、この子はもう大丈夫なんやな』と安心させられたのは、私から母へのギフトやったと思います。そして大好きなウィスキーを口に含ませると、おいしそうに飲みました」
母が逝ったあと、息子が「これからやで」と言葉をかけてくれました。「おばあちゃんがおらんようになって、これからはお母さんがこの家で一番偉い人なんやで」と。
「私が17歳で単身渡米したとき、周囲から独り立ちが早いなといわれましたが、親がいたからできたこと。本当の独り立ちは親が息を引き取ったときです。だから私の独り立ちは5年前。そこからが勝負、そこからが本当の人生やと思うんです」
心に残る言葉
家族が互いに、いちばん多く口にしていた言葉
「ごめんな」
──「心に残る言葉」なんてたくさんありすぎて選べません。でも、「ごめんな」は家族でいちばんよういいましたね。母が私に、私が母に、息子が私に、私が息子に──。「昨日、よかれと思ってあんなふうにいうたけど、あんたの考えもあるかもしれんな。忘れといて、ごめんな」「お母さん、ごめんな、僕が間違ってるかもしれん」──。自分の意見をいつまでも押し通そうとせず、違うかもしれないと思ったらすぐ撤回します、謝ります。親だから上とか、若くて元気だから上ということはないんです。誰だって、ほかの人の人生は決められんのです。 時間をかけて出てくるうま味。今だから歌える曲がある
2026年2月、綾戸さんはセルフプロデュースアルバム『UMAMI』をリリースしました。歌いたい思いに「まだや、まだや」と蓋をしてきた曲や、20年前にお客さんからリクエストされて「まだ早い」と歌わずにいた曲も収録されています。このタイトルに込めた思いとは?
2026年2月リリースのアルバム『UMAMI』のジャケット。13曲収録。写真提供/有限会社まいど
「煮込み料理と同じで人のうま味も出てくるには時間がかかります。時短では無理や。でも私は自分から鍋に飛び込むことはできません。お客さんが放り込んでくれたんです。熱くてしんどくて出ていきたくても『綾戸のもっといい歌が聞きたい』といって蓋をして、28年間、出てこられんようにした。こんなこと誰ができます? ほんまにお客さんに感謝や。その結果、やっと歌えなかった曲を歌えるようになったんです」
その中の一曲が「Here’s To Life」。「七転八倒しながら必死に生きてきた。すべての過去が、紆余曲折の日々が今の私を作った」と語る綾戸さんが、「人生に乾杯、あなたに乾杯!」と歌う──。心に響かないはずがありません。
人生が醸した3つの“うま味”
1.母の結城紬が似合うようになった若い頃は、渋すぎてまったく着こなせなかった母の結城紬。袖を通してみたら、いつの間にかよう似合うようになっていました。
2.腹が立たなくなった。やっと楽しくなった親を看取り、自分も引き算のようにできないことが増えてきた今、私も少し仏さんに近づいた気がします。最近、腹が立たなくなりました。人生が楽しくなりました。
3.「人生に乾杯!」と歌えるようになった「まだや、まだや」と歌いたい気持ちに蓋をしてきた「Here’s To Life」をやっと歌えるようになりました。「失敗だらけやったけど、こんなもんや。人生に乾杯!」という歌なんです。
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