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義父母を見送った後は夫を介護。苦労のなかに「いいこと」を見つけてきたイルカさん【私の介護体験】

2026.03.09

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つらくて不安なあなたに伝えたい「私の介護体験」第15回 イルカさんがコンサートで「人生フルコース」を歌うと、客席は共感の涙と勇気に包まれます。ご自身の半生と家族の絆を詞にのせ、「“デザート”はこれから!」と女性たちに送るエール―。大変さの中に“いいこと”を見つけ、いつだって笑うことを忘れないイルカさんの介護体験をお届けします。前回の記事はこちら>>

義父母、夫、両親。家族5人を送ってきた。人生、山あり谷あり、介護あり

イルカさん(シンガーソングライター)

イルカさん(シンガーソングライター)

イルカさん 1950年東京都生まれ。女子美術大学在学中からフォークグループを結成。71年「シュリークス」に加わり、74年ソロデビュー。75年「なごり雪」が大ヒット。2026年に55周年を迎え、今も毎年、全国ツアーを行う。ニッポン放送『イルカのミュージックハーモニー』は1991年の放送開始から35年目に突入。2004年、IUCN国際自然保護連合初代親善大使に就任、22年からIUCN日本委員会とともに活動を継続中。絵本、エッセイの執筆、女子美術大学客員教授、着物のデザイン・染めなど活動の幅を広げている。イルカさん公式HP http://www.iruka-office.co.jp/

義父母亡き後、夫に異変。東京・旭川を往復して介護

「若いときから常に、私の身近には介護も看取りもありました。だから介護や死に対して、不安も恐怖も一切ないんです」と笑うイルカさん。21歳で結婚した翌年に夫の両親との同居が始まったとき、義父はほぼ寝たきりでした。イルカさんは夕食作りを担当し、義父を最期まで介護した義母を支えたといいます。夫の神部和夫さんに異変が生じたのは義母が亡くなって間もなくのこと。左手指先の痙攣が止まらなくなり、体の動きが徐々に制限されていく──。

何か所もの病院で検査をしましたが原因はわからず。根っからの仕事人間で、イルカさんらのプロデューサーとして毎晩遅くまで人と会い、奔走していた夫は精神的に落ち込み、仕事から離れざるをえなくなりました。大学病院でパーキンソン病と診断されたのは3年近くがたってから。完治は望めず、一生つきあっていく病だという現実を突きつけられます。

「夫は少しやんちゃなところがあり、薬が効いて少しでも動けるようになるとすぐにどこかに出て行ってしまうんです。外で倒れて怪我をして、何度救急車で運ばれたことか。当時、息子はまだ小学生でした。私が落ち込んでいたら家の中が真っ暗になってしまう、1日1回でも2回でも笑おうと決めました」。


気難しい夫が珍しく心を開いた頼もしきヘルパーさんにも助けられ、夫はぎりぎりまで自宅で過ごすことができました。

神部さんが旭川の病院に行った日はイルカさんの誕生日だった(1999年)。

神部さんが旭川の病院に行った日はイルカさんの誕生日だった(1999年)。

やがて茶碗も持てないくらい筋力が落ち、在宅介護に限界が来た頃、知人が北海道・旭川のリハビリテーション専門病院を紹介してくれたのです。

「行ってみたら、若いスタッフの方が多くて、ものすごく活気があって。病院嫌いの夫が“僕はここに残って頑張る”と。きっと明るい雰囲気に勇気をもらったのでしょう」。イルカさんは病院の近くに部屋を借り、東京・旭川間を行き来する介護が約7年間続きました。 イルカさん(1950年12月3日生まれ)介護の足跡

友達ができた、心が通じた。大変な中に“いいこと”を見る

「介護はもちろん大変。でもいいこともある。そこを見ないともったいない」と話すイルカさん。「北海道で友達がたくさんできました。今もおつきあいが続いています。私たちは大勢の人に支えられて生きている、と身に染みて実感しました」。

そして、眼の動きが意思表示の手段となった夫の意図を、一生懸命読み取ろうとし続けるうちに「彼の思いが手に取るようにわかるようになったんです。言葉を介さなくても心で通じ合うという、夫婦にとってかけがえのない繫がりを得ることができました」。

訪れた最期のとき。イルカさんと息子の冬馬さんはずっと側にいて、夫に話しかけていました。心電図がフラットになり医師が臨終を告げた、その直後、不思議な出来事が──。

「心臓が止まったはずの夫がギュッ、ギュッ、ギュッと3回、確かに眼をつぶったんです。『お前たちがいっていることは全部わかっているよ』と私たちに伝えた最後の意思表示でした」。

介護が始まった頃、イルカさんが「仕事をやめてあなたに付き添う」というと夫は怒り、決して許さなかったといいます。

「彼には自分がイルカという才能を世に出したことへの誇りがあったのだと思います。だから私はイルカとしていい仕事を続ける。彼が敷いてくれたレールをサビさせない。それが唯一、彼を喜ばせる方法なんです。彼がいたときも、これからもずっと」。

心に残る言葉
2021年、亡くなる数日前に母が発した言葉。

母「あんたは私にとって“当たりくじ”だね」

──母はすでに体がだいぶ不自由だったこともあり私は母のベッドの脇に布団を敷いて寝ていました。今が最後のチャンスかもしれないと思い、「生んでくれて、育ててくれてありがとう」というと、母は「私もあんたが生まれてくれてよかったよ」。そして、その言葉が出てきたのです。親が子どものことを“当たりくじ”だなんて、あまり使わない表現でしょう? 母らしくて笑っちゃう。でも、「私は“当たりくじの女”なのよ」と思うと、「きっとうまくいく。頑張ろう」って自信が持てるんです。

自宅で眠るように逝った両親。「おやすみなさい」は笑って

夫との別れから十数年後、同居の母そして父は在宅介護を経て、ともに自宅で眠るように逝きました。母はイルカさんと普通に会話をしていた1時間後に95歳で、サックス奏者だった父はイルカさんのコンサートに親子三代で出演した4日後に97歳で。

二人を看取ったイルカさんが強く思ったのは「命は本当にあっけなく消えてしまう」ということでした。「だからこそ一緒にいるときはできるだけ楽しい時間を持ちたい。夜は幸せな気持ちで、笑って『おやすみなさい』といって眠りにつきたい」。

亡くなる4日前、イルカさん、冬馬さんと舞台出演しウィンドシンセサイザーを演奏した父(右)。(2025年10月17日。「イルカ with Friends Vol.19」コンサート)。写真提供/イルカオフィス

亡くなる4日前、イルカさん、冬馬さんと舞台出演しウィンドシンセサイザーを演奏した父(右)。(2025年10月17日。「イルカ with Friends Vol.19」コンサート)。写真提供/イルカオフィス


イルカさんが還暦を過ぎて作った曲「人生フルコース」は、女性たちへの応援歌に聞こえます。「人生、山あり谷あり、介護もあるけれど、きっと周りの人の支えで乗り越えられるはず。その後は、自分のやりたいことをマイペースで楽しめるご褒美の“デザート世代”が待ってます!」と。

介護を明るくする3つの心がけ

1.闘わない
病気はいろんなことを教えてくれる。介護で得たこともたくさんある。だから私は病気や介護と“闘おう”と思ったことが一度もありません。

2.眉毛下げずに口角上げる
「申し訳ない」といわれると悲しくなって眉毛が下がるから「ありがとう」といってほしい──。そう伝えるとすぐに切り替えた母。口角が上がり、空気が明るくなりました。

3.「今日も楽しかったね」。寝る前に1回笑う
その日がどんな一日でも、夜はにっこり笑い合い、楽しい気持ちで眠りにつきます。命はいつ消えるかわからないから。

連載「私の介護体験」の記事一覧はこちら>>>

この記事の掲載号

『家庭画報』2026年03月号

家庭画報 2026年03月号

取材・文/浅原須美

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