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壮絶な20年の介護生活にも後悔はなし。認知症の義母の亡くなる前日の「ありがとう」【連載・私の介護体験】

2026.02.10

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つらくて不安なあなたに伝えたい「私の介護体験」第14回 23歳の若さで、しかも新婚早々に義理の母親の看病・介護に追われることになった荒木由美子さん。義母の急激な変化にとまどい、ご自身の体調も崩しながら“闘いのような”20年を過ごしました。「何一つ悔いはありません。自分で決めたことを覚悟を持ってやり抜いたから」と当時を振り返ります。前回の記事はこちら>>

同居の義母が、新婚2週間目に倒れた──。20年間の介護を支えた“覚悟”

荒木由美子さん(タレント)

荒木由美子(あらき・ゆみこ)さん 1960年佐賀県生まれ。76年、「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で審査員特別賞を受賞し、アイドルとして大活躍。司会やドラマなど数々のレギュラーを持つ。83年、歌手・タレントの湯原昌幸さんと結婚し芸能界を引退。約20年にわたる義母の介護と子育てを終えた後、芸能界復帰。現在、テレビ・ラジオのコメンテーター、介護関係の講演等で活躍中。著書に『覚悟の介護』(ぶんか社)、『介護のミ・カ・タ。』(文芸社文庫)。

荒木由美子(あらき・ゆみこ)さん 1960年佐賀県生まれ。76年、「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で審査員特別賞を受賞し、アイドルとして大活躍。司会やドラマなど数々のレギュラーを持つ。83年、歌手・タレントの湯原昌幸さんと結婚し芸能界を引退。約20年にわたる義母の介護と子育てを終えた後、芸能界復帰。現在、テレビ・ラジオのコメンテーター、介護関係の講演等で活躍中。著書に『覚悟の介護』(ぶんか社)、『介護のミ・カ・タ。』(文芸社文庫)。

結婚と同時に義母と同居。やがて生じた数々の異変

人気アイドルの荒木由美子さんが13歳年上の歌手・湯原昌幸さんと電撃結婚し芸能界を引退したのは23歳のときでした。義母と同居の新婚生活が始まったわずか2週間後、義母が足の血栓で入院・手術をすることに。20年に及ぶ看病・介護の始まりでした。

糖尿病、高血圧、心臓肥大といくつもの生活習慣病を抱えた義母のために、荒木さんは栄養士の指導を受けて、毎日食事管理を行いました。翌年には長男が誕生。怒濤の忙しさでしたが、義母は荒木さんを実の娘のように可愛がり、どこへ行くにも一緒。幸せな時間が流れていました。

やがて義母に異変が生じ始めます。なぜか不機嫌で、苛立つことが多くなったのです。


「義母の世話も家事も育児も精一杯やっていたし、何が気に入らないのか全くわからない……。70歳を超えてからは常に怒っていて、その矛先は私でした」。

ご飯を用意しているのに“由美ちゃんが食べさせてくれない”、物がなくなったのは“由美ちゃんのせい”。

「まるで私が敵であるかのような振る舞いばかり。そのときは思いもよりませんでしたが、きっと認知症の始まりだったのでしょう。思いどおりにできないことが増えてきたイライラを、身近にいた私にぶつけていたのだと思います」。

夫の湯原さんも変化を感じ取ってはいたものの「母の世話は由美子の領域」と積極的に間に入ることはありませんでした。荒木さんも、実家の母がそうだったように“我慢するのが女性の美徳”と努めて明るく対応し、義母の悪口になるからと夫にも一切打ち明けなかったといいます。

介護の足跡

ついに在宅介護が限界。施設に入居し落ち着いた義母

体は正直でした。ストレスから自律神経失調症になり、手の震えや胃痙攣(けいれん)を繰り返し、気づけば円形脱毛症にも。ついに大泣きしてしまった荒木さんに夫は、「僕は状況をきちんと把握しておきたい。いわなくてもわかるでしょ、という態度はやめて言葉ではっきり伝えてほしい」。「ああ、夫は私の味方なんだ、相談していいんだと気づき、暗闇に光が射した瞬間でした」。

亡くなる3か月前の荒木さんと義母(2002年10月)。

亡くなる3か月前の荒木さんと義母(2002年10月)。


病院で認知症と診断され原因がわかったこともあり、気持ちは楽になりましたが、義母の言動はさらにエスカレート。数日間部屋に閉じこもったり、ひどく反抗的になったり。家庭の中から笑いが消えていきました。

ある日、義母の態度にたまりかねて発作的に手を出してしまった夫が、もう家族だけの在宅介護は限界と判断。夫婦で施設を探し始めました。数か所目で理想的な施設に巡り合えた義母は落ち着きを取り戻し、子どもが甘えるように「由美ちゃん、由美ちゃん」と慕うようになったのです。

自身の介護体験を包み隠さず綴った著書『介護のミ・カ・タ。』。「ミ・カ・タ」とは「見方・味方・診方」と介護のさまざまな捉え方を提案するという意味。写真提供/荒木由美子さん

自身の介護体験を包み隠さず綴った著書『介護のミ・カ・タ。』。「ミ・カ・タ」とは「見方・味方・診方」と介護のさまざまな捉え方を提案するという意味。写真提供/荒木由美子さん


「私自身が介護を経験したことで、追い詰められる家族の心理状態がよくわかります。今、大変な思いをされ、つらいと感じている方は早めに、友人でもかかりつけのドクターでもいい、誰かに話してほしい。悩みを打ち明けてほしい。そこから何かしら解決方法のヒントが見つかり、介護支援のサービスに辿りつくこともありますから」

心に残る言葉
亡くなる前日、義母を見舞った帰り際の病室で。

義母「ありがとう。由美ちゃんには、これから悪いことは起こらないよ」

──義母のお見舞いから帰るときは、お互いにつらくなるから、振り返らないと決めていました。なのに私は、その日に限ってなぜか振り返ってしまい、義母と目が合い、再び義母のもとへ戻りました。愛おしそうに私の顔を撫でまわす義母に「何かいいたいことある?」と聞くと義母ははっきりした口調でこういったのです。翌日、義母は静かに息を引き取りました。最後の言葉は私への精一杯の感謝の気持ちと励ましでした。

「ありがとう」の言葉が、穏やかな別れに繫がった

23歳から43歳まで看病・介護に明け暮れた闘いのような毎日。その間、ご自身も体調を崩し、がんを宣告され(後に良性と判明)、荒木さんはいくつもの山を乗り越えてきました。「結婚も義母との同居も在宅介護も、私がそうしたいと思って決めたこと。施設への入居を決めたのも私と主人。そのとき自分が信じたことを覚悟を持ってやり抜いたから、少しも後悔はありません」。

もう一つ、20年間荒木さんを支えたのは「ありがとう」の言葉でした。夫は結婚前からずっと「ありがとう」といい続け、義母は毎日、施設に面会に来る荒木さんの手を取って「ありがとう」と伝えました。そのたびに荒木さんも相手への感謝の気持ちでいっぱいになり、「こちらこそありがとう」と返していました。

2003年正月。前年末に白血病と診断された義母は予断を許さない状態でしたが、顔つきは驚くほど優しく、白粉を塗ったように綺麗でした。

「お互いが感謝の気持ちを忘れず“ありがとう”といい続けていると、穏やかな最期が迎えられるのかもしれませんね」。荒木さんは現在、介護で困っている人の役に立てばと、講演などでご自身の体験を積極的に発信しています。

介護を支えた3つの覚悟

1.どんなときも明るく振る舞う覚悟
義母との関係がぎくしゃくしても私は明るく振る舞うよう心がけました。家の中で喧嘩をしたくなかったのです。

2.「ありがとう」を忘れない覚悟
「ありがとう」は家庭を平和にする言葉。お互いに「ありがとう」をいい続け、最期の別れも穏やかに迎えられました。

3 最期まで義母に寄り添う覚悟
義母が倒れたとき、できる限りのお世話をしようと決めました。最後までやり通し、悔いはありません。

・連載「私の介護体験」の記事一覧はこちら>>>

この記事の掲載号

『家庭画報』2026年02月号

家庭画報 2026年02月号

取材・文/浅原須美

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