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母との別れで演劇の力を実感した渡辺えりさん。後悔は消えずとも、母は「再演するたびに生まれてくる」

2025.09.24

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つらくて不安なあなたに伝えたい「私の介護体験」第10回 昨年11月に母を見送った渡辺えりさん。直後の悲しみは井戸の底に落ちたような深さだったといいます。しかし演劇人たるもの、介護の経験をただの個人的な問題で片づけるはずがありません。介護施設でのエピソードを元に作った戯曲とは? 人生における“演劇の力”についてもお話しくださいました。前回の記事はこちら>>

介護施設での出来事を戯曲に。世に問う「最後はもっと自由に、自分らしく」

渡辺えりさん(劇作家・演出家・俳優・歌手)

渡辺えりさん(劇作家・演出家・俳優・歌手)

渡辺えり(わたなべ・えり)さん 山形県出身。オフィス3○○(さんじゅうまる)主宰。『ゲゲゲのげ 逢魔が時に揺れるブランコ』で岸田國士戯曲賞。映画『Shall We ダンス?』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞受賞。ほか受賞歴多数。歌手としてシャンソンやタンゴのコンサートも開催。2025年10月23日~11月2日、明治座にて舞台『また本日も休診~山医者のうた~』公演(11月22日、山形県総合文化芸術館=やまぎん県民ホールほか、福岡、栃木でも上演予定)。12月20日、21日、東京芸術劇場プレイハウスにてオフィス3○○主催『70祭 渡辺えりコンサート』を開催予定。

母の扱いが許せなくて。介護士に不満をぶつけ大喧嘩

洗髪しやすいよう短く切られた髪、落としても割れないようコップはプラスチック、興奮して血圧が上がるからと剝がされた公演のチラシ──。渡辺えりさんの母が認知症になり入所した最初の介護施設での待遇は、渡辺さんには受け入れがたいものでした。人手不足の中、安全を確保しながら効率的に事を進めざるを得ない施設側の事情は理解できる。でも母にとって大切な思い出や好きなものに囲まれて過ごす自由を奪われた日常に、「母の今までの人生は何だったんだ」と憤ったといいます。

「戦中・戦後の大変な時代を生き抜き、私たちを育て上げてきた親世代が、苦労した分、最後くらい自分らしく自由に生きられる世の中でなければおかしい。この強い思いが戯曲『鯨よ!私の手に乗れ』(以下『鯨よ!』)を書いた原動力でした。一人一人には親をどう愛するかを考えてほしいし、国のリーダーには介護政策に本気で取り組んでほしい。私が20代の頃から一貫して表現してきた反戦とフェミニズムもテーマに、日本の未来を見据えた芝居を作ろうと思ったのです」(渡辺さん)。

「母を人間扱いしてください」「万が一の心配より、今を楽しく生きているかどうかでしょう?」などの台詞は実際に渡辺さんが発した言葉。介護士の反論や職場の現状を訴える言葉もほぼ忠実に再現しています。「私はおかしいと思うことは直接介護士にぶつけ、大喧嘩も厭わなかったのですが、そのことで弟や真面目に介護と向き合ってきた皆様に迷惑をかけてしまったかもしれません。でもそうせずにはいられなかったのです。弟は“介護士の士気が下がるのでお姉さんをもう来させないでほしい”といわれていたそうです。それをひと言も私にいわずに我慢してくれました」。結果的に母は小規模で家庭的な介護施設に移り、温かい待遇を受けて暮らすことができました。


渡辺えりさん(1955年1月5日生まれ)介護の足跡

後悔は消えないけれど、母の教えを守って生きてきた

反対を押し切って東京で演劇の道に進んだ娘を両親はいつも応援し、施設に入所後も舞台を見に来ていました。渡辺さんも月に一度は必ず山形へ面会に。父が亡くなった2年後の2024年11月、母を看取った直後の落ち込みは激しく、「井戸の底に落ちたような感覚だった」といいます。

母を思い出し、渡辺さんの口からまず出てきたのは後悔でした。「私が地元の大学に進んで音楽の教師になって一緒に暮らすのが母の夢だったのに最も遠い道を選んだ、離婚した、子どもがいない──最大の親不孝でしょう?」。そのあと続いたのは、ご自身の生き方を肯定する言葉でした。文学少年・少女だった両親が就きたかった文学的な仕事を私は生業としている、「手に職を持て」「お金は貸しても借りるな」「噓をつくな」──数々の母の教えを守ってきた。「今つくづく、私という人間は母に教えられた道徳でできていると感じます」。

心に残る言葉

コロナ禍の頃、介護施設での面会で聞いた母の言葉。

えりさん「母ちゃん、私のこと覚えてる?」

母「365日!」


──認知症がだいぶ進んで人の区別もつきにくくなり、母は私のことを忘れているのではないかと心配でした。感染予防のため、時間制限もある中でパーテーションを挟んでの面会でしたが、母は、私の問いかけにこう答えると号泣したのです。コロナ禍という世の中の状況を理解できない母は、なぜ娘が会いに来ないのか、わからなかったはずです。そんな不安を抱えながら、短い言葉で「毎日お前のことを考えている」と伝えた母の心中を想像すると、つらくて仕方がありませんでした。

『喜劇 有頂天一座』のチラシを嬉しそうに眺める母(2018年)。写真提供/渡辺えりさん

『喜劇 有頂天一座』のチラシを嬉しそうに眺める母(2018年)。写真提供/渡辺えりさん

作者にも演者にも、観客にも、生きる勇気を与える演劇を

『鯨よ!』に登場する高齢者たちは40年前に解散した劇団のメンバーという設定で、昔果たせなかった上演の夢を再び追いかけるストーリーで展開します。「私は今までの人生で遭遇してきたつらさや苦しさを、劇を作り、演じることで乗り越えてきました。見に来た人にも同じように、生きる勇気を与えられる作品を生み出したい。家族とも恋人とも分かち合えない、どうしようもない孤独を癒やせるのが演劇、映画、音楽、美術などのアートだと思うんです。人は死んでもアートは残る、母はいなくなったけれど、『鯨よ!』を再演するたびに生まれてくる。私は、人生の中に演劇があることの力強さを伝えたいのです」。

舞台を楽しみに見に来ていた両親がいなくなり、二人が喜んでくれるわかりやすい商業演劇をやる意味を見いだせなくなっているという渡辺さん。「これからは私が本当に伝えたいコアな部分を色濃く表現できる小劇場中心でやっていこうか……。そんな方向転換の兆しが私の中で生じています」。人生の大きな節目を経て、渡辺さん自身が発信する演劇も、より自分らしく自由な方向に進むのかもしれません。

コロナ禍も少し落ち着き、面会時にパーテーション越しに手を握ることがやっと許された。「柔らかい。やっぱり母ちゃんの手だ!」(2023年)。

コロナ禍も少し落ち着き、面会時にパーテーション越しに手を握ることがやっと許された。「柔らかい。やっぱり母ちゃんの手だ!」(2023年)。

母を亡くした後の3つの変化

1.喧嘩しても、親のそばにいたほうがいい
同居の親との関係に悩む人からの相談に、以前は「離れて暮らせばいい」と答えていました。でも今は「喧嘩してもそばにいたほうがいい」とアドバイスします。亡くなったら二度と会えなくなるのだから

2.演劇の持つ力をあらためて実感した
出会った人とは必ず別れなければなりません。でも演劇作品は、誰かが演じ続ければ永遠にメッセージを伝え、人々を癒やすことができます。演劇という芸術の持つ力をあらためて実感しました

3.バランスのいい食事を今まで以上に心がける
戦時中の食糧難と、戦後の食の欧米化──。アンバランスな食生活が認知症の要因の一つだったはず。母はこのことを、身をもって私に教えてくれました

連載「私の介護体験」の記事一覧はこちら>>>

この記事の掲載号

『家庭画報』2025年10月号

家庭画報 2025年10月号

取材・文/浅原須美

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