つらくて不安なあなたに伝えたい「私の介護体験」第9回 ダイナミックな歌声とパワフルなパフォーマンス、明るいキャラクターが魅力の森 公美子さんは、交通事故で車椅子生活になったご主人を、19年介護し続けています。「介護の経験によって宝物を得たような気がする」と話す森さん。その宝物とはいったい何なのでしょうか。
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交通事故で障害を負った夫を19年介護「今のほうが“いい関係”になりました」
森 公美子さん(歌手、俳優、タレント)

森 公美子(もり・くみこ)さん 宮城県出身。昭和音楽短期大学卒業。二期会会員。アメリカ、イタリア・ミラノへの音楽留学を経て、1982年『修道女アンジェリカ』でオペラデビュー。83年東宝ミュージカル『ナイン』、85年東宝ミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール~籠の中の道化たち~』に出演し、注目を集める。以後、定評ある歌唱力と魅力的なキャラクターで、数々のTV番組、ドラマ、CM、舞台と幅広く活躍。2025年11月2日〜23日、日比谷シアタークリエにてミュージカル『バグダッド・カフェ』に出演
交通事故で障害を負った夫。介護を一人で背負い我慢の限界に
夫が歩行中に大型バイクと衝突し、脳に大きなダメージを受けたのは、森 公美子さんが47歳のとき。幸い命の危機は脱したものの、右半身と言語や嚥下の機能に障害が残り、車椅子の生活になりました。医師からは「脳の組織や神経線維が広範囲にわたって損傷している。元の体には戻らない」と説明を受けましたが、「そのときはよく理解できず、病院から移った先のリハビリセンターで彼が介護される様子を見たり職員の方とお話をする中で、自分なりに納得し現実を受け入れていきました」(森さん)。
知識も経験も心構えもないまま突然始まった介護。福祉サービスや介護保険制度についても知らなかった森さんは公的支援も十分に受けず、「私がやらなければ」と気丈に頑張っていましたが、「我慢の限界でした。顔面神経麻痺を起こして1週間入院したんです。体は正直ですね」。
翌年、自宅での介護が始まってからも、家のリフォーム代や個人的に雇ったヘルパーさんへの支払いをすべて自費で行い、毎月の出費はかさむ一方。将来の不安が大きく膨らみます。周囲の助言で区役所に相談に行き「どうしたらいいかわからない」と泣きながら訴えた森さんは、初めて丁寧な説明を受け、十分な支援を受けられるようになりました。「あるヘルパーさんに、介護はプロに任せてくださいといわれたときの安堵は忘れられません。体重が一気に40キロくらい減った感覚でした(笑)」。
障害者施設でのボランティア。歌手の私だからできること
それから18年。行政の支援を受け、プロの力を借り、友人に助けられながら続けてきた介護と仕事の両立。振り返って森さんは、「もしタイムマシンで時を遡れたとしても、過去は変えないほうがいいと思う。介護を経験したことで宝物を得たような気がするから」といいます。そう思える大きな出来事の一つが、それまで接点のなかった障害者の方々との出会いでした。
軽やかにご主人の車椅子を押す森さん(2014年5月)。「外出先で困っても躊躇なく周囲に助けを求められるようになりました」。
夫が通っていた区の障害保健福祉センターで歌のボランティアを始めたのです。クリスマス会で歌を披露したり、音楽に合わせてみんなで一緒に歌ったり。障害の種類も程度も性格も百人百様、接し方も一人一人変えなければ、全員に集中してもらうことはできません。「おかげで相当、根気強くなりました。一生懸命、歌おう、手を叩こうとしてくれる姿が嬉しくて、次はこれを歌ってみようかな、みんなでハモれたら気持ちいいだろうなって、私もやりたいことが増えていくんです。音楽仲間を誘って、この活動の幅を広げたい──。これって、音楽の仕事も介護も両方携わっている私だからこそできることだと思うのです」。
そして、町で障害のある方や高齢者が困っていたら、ためらわず「お手伝いしましょうか?」と声をかけ、手を差し伸べられるようになりました。車椅子の夫と外出先で困ったときも「すみません、助けてください!」とすぐに声が出ます。「夫のおかげで、どんな人とも隔たりがなくなり、助ける勇気と助けを求める勇気の両方を得ることができました」。