母のお世話で学んだ介護を前向きに捉えるコツ
2022年、近くに住む母に異変が生じます。きっかけは愛犬の死。日課だった散歩に出かけなくなり、人とのかかわりも減り、家でじっと過ごす時間が増えていきました。2月のある日、いとうさんが散歩に誘うと、5メートル歩いただけで「苦しい」と立ち止まってしまいます。受診した病院での診断は間質性肺炎。心臓の機能も低下しており、すぐ入院することになりました。「退院後は自宅療養を続け、ヘルパーさんをお願いして私も毎日介護に通いました。入院中に筋力が弱ってしまい、外出時は車椅子。酸素ボンベも必要な状況でした」。
その間、認知症も進みました。いっとき娘のことが誰だかわからなくなったり、持病のある飼い猫に薬を与え忘れたり。ある夜、様子を見に行くとトイレが水びたし。尿パッドを流して詰まらせてしまったのです。いろいろ試した挙げ句に結局、手で搔き出して一件落着。このとき、いとうさんの中で何かが吹っ切れました。
「これからも母は同じようなことを繰り返すに違いない。ならば、先手先手で大事に至らない工夫をしよう、と開き直りました。ペット用吸水シートは必須アイテム、絨緞が汚れたときは水洗いしながら吸引する掃除機が百人力。武器を集め、知恵を働かせて闘いに挑むゲームのような感覚で、介護を楽しめるようになったのです。母が私を育ててくれたように、今度は私が母の面倒をみてあげたい、と前向きになれました」
愛犬の散歩が日課だったお母様と(2019年1月)。
早かった介護の終わりと今も残る一つの後悔
しかし、母の衰えは予想外に急激に進みました。介護施設に入所後、転倒して大腿骨を骨折。手術を受けた直後に心臓の機能が悪化し、専門病院に移って1週間で亡くなってしまったのです。2023年2月、異変が生じてから、わずか1年で訪れた別れでした。
「介護ってもっと長く続くものだと思っていました。もう少し闘いたかったな……。実は私には、悔やんでも悔やみきれないことがあるのです」。
多少無理をしてでも、母を車椅子に乗せて外に連れ出し、大好きなお花を見せてあげればよかった――。「また元気になると信じていた私は、来年、一緒に桜を見に行こうと思っていました。でも“来年”では遅かった。それだけが心残りです」。
いとうさんが4月から情報経営イノベーション専門職大学で教えているのは「ヒューニング学」という耳慣れない学問です。それもそのはず、「名付け親は私(笑)。ヒューマン(人間)とチューニング(調律)を合わせた造語です。どんな名器にも調律が必要なように、人間も自分の考え方を変える術すべを学ぶと、人生を前向きに送ることができます。私の経験から、介護も同じ。もっと楽で自由な介護のためにも役立つスキルだと考えています」。
心に残る言葉
施設のスタッフさんや、病院の看護師さんが母のことをこう呼んでいました。
「ありがとうの伊藤さん」
――認知症が進み、あまり話さなくなった頃、私は母に、繰り返し、「一生懸命お世話をしてくださる方々に、“ありがとう”と伝えることだけは忘れないでね」とお願いしていました。母はそれをちゃんと守り、みなさんから愛されていました。
「周りの方々に感謝しなければばちが当たるよ」――
思い返せば、これは私が芸能界デビューしてから母にいつもいわれていた言葉でした。私は、母に教えられたことを母に返していたのですね。 介護で学んだ3つの大切
1 “今度”や“来年に”ではなく、“今”やること介護は先が見えません。予想外に早く終わってしまうこともあります。「やってあげたい」「一緒にやりたい」と思うことは先延ばしせず、“今”やることが大事なのですね
2 介護一色にならず、自分の時間を持つことありがたいことに私には研究や仕事があり、介護をしながら自分の時間を持つことができました。介護だけの日々だったら精神的につらかっただろうと思います
3 介護の体験を周囲と共有すること介護経験者の工夫や気づき、失敗や後悔も含めた体験談がもっと伝われば、介護は今より楽になり、認知症の正しい認識も広がっていくのではないでしょうか
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