つらくて不安なあなたに伝えたい「私の介護体験」第5回 関係が決してよいとはいえない親とも、死別は必ず訪れます。別れが遠くないとわかったとき、長年のわだかまりを解消するにはどうしたらよいのでしょうか──。青木さやかさんが「後悔したくない」と自分自身を奮い立たせ、人生で一番頑張った3か月間の経験をお話しくださいました。
前回の記事はこちら>>
関係を修復したくてホスピスに通った3か月「母を嫌いではなくなりました」
青木さやかさん(タレント・俳優・エッセイスト)

青木さやか(あおき・さやか)さん 1973年愛知県生まれ。フリーアナウンサーを経てお笑い芸人に。バラエティ番組に多数出演。2017年と19年に肺腺がんの手術を受ける。現在は高校生の娘を育てながらテレビ番組、舞台などで活躍中。著書に実母との確執や半生を綴った『母』(中央公論新社)、『50歳。はじまりの音しか聞こえない 青木さやかの「反省道」』(世界文化社)など。動物保護の活動にも力を入れ「犬と猫とわたし達の人生の楽しみ方」を主宰。
高校時代に生じた嫌悪感。母になっても変わらなかった
「教師だった母は厳しく、私は勉強やピアノをどんなに頑張っても褒められた記憶がありません。でもきれいで聡明で立派で、私には自慢の母でした」。そんな母への思いが180度変わったのは高校時代。両親の離婚がきっかけでした。当時高校生だった青木さんは離婚の原因が母にあるように感じ、母親ではない人生を選ぼうとした母を許せなかったといいます。
「母のことが汚らわしく見えて、大嫌いになりました。一方で、いつか母に感謝できるようになるのではないかとも思っていました。一番期待したのは自分が親になったとき。でも、無理でした」。生後間もない娘を抱く母を見たとき、思わず口をついて出てきたのは「私の大事なものに触らないで」。拒否反応の強さに自分でも驚き、「私はもう絶対にこの人を好きになれない」と確執の根深さを再認識したといいます。
父の死、自分の病、母の終末期。──心が動きだす
40代、青木さんに転機となる出来事が立て続けに起こりました。ご自身と家族が病と死に直面したのです。2014年に父が亡くなりました。最後の会話は電話での親子喧嘩。次に会ったときに謝ろうと思っていた矢先に急に倒れ、ごめんなさいもありがとうもいえなかったことは言葉にならないほどの後悔を残しました。さらに青木さん自身に肺腺がんが見つかります。多少なりとも死を意識した経験は、生き方を変えようと思うきっかけになりました。今までいろいろな人を傷つけてきたことを素直に反省し、母に対しても自分が悪かったことは謝りたいと思い始めたのです。
そして19年、悪性リンパ腫を患い闘病していた母がホスピスに入ることになったと知ります。「嫌いな人がいなくなるなら楽になるだろうと想像したらまったく違った。自分の一部がなくなりそうで怖かった。でも優しくもできない。どうしたらいいかわかりませんでした」。
そんなとき、動物保護活動仲間のある男性の言葉が青木さんの背中を押しました。「親孝行というのは道理なんだ。親との関係がよくなったら自分が楽になる。まず行動してみたらいい、そうしたら心がついてくるよ」。尊敬する相手の言葉は素直に受け止めることができ、「やらなければ」というより「やりたい」と思ったといいます。
心に残る会話
ホスピスに初めて一人で行った日。部屋に入るなり意を決して
さやかさん「お母さん、ごめんなさい、私は今までいい子じゃなくて」
母「何いってるの。さやかは誰よりも優しいでしょう」
──長い間、母に対していつも不機嫌だった私はどんな顔でどんな声のトーンで謝ればいいのかわからず、車を運転しながら繰り返し練習していました。これは私の決意表明。絶対にいわなければならなかったのです。そのときは次の言葉を用意していませんでしたが、今なら「たしかに、私って優しいよね」と普通に返せる気がします。母は、私のことをちゃんとわかっていたんですね。