〔特集〕次世代に伝え継ぎたい 桜絶景を求めて 日本が世界に誇るべき「美しい桜の風景」は、そのどれもがそれを守ろうとする人々の確かな意志によって支えられています。将来の日本人の美意識のために次世代に伝え継ぎたい桜絶景はどこか。長年、桜名所や桜を守る人々を取材してきた家庭画報本誌が、現在の手入れ・管理状況なども踏まえつつ、改めて桜の専門家とともに「新・桜100景」として厳選し紹介します。
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英国の桜守、“チェリー・イングラム”が救った日本の桜、里帰りを果たす
「富山の桜博士」大原隆明さんのように、日本の桜の継承に情熱を注ぐ専門家は、いつの時代も各地に存在しています。多くは敬意を込めて「桜守」と呼ばれていますが、英国にも桜守と呼ぶべき人たちがいます。
その筆頭が“チェリー・イングラム”の愛称を持つコリングウッド・イングラム(1880~1981年)。日本の桜に魅了され、英国ケント州にある自宅に桜園を造って100種類以上を栽培し、希望する人には無償で穂木を分け与え、広めることを喜びとしました。
日本の染井吉野ブームの陰で絶滅の危機にあった他の品種を数多く英国に持ち帰ることで救った、日本の桜にとって「恩人」といえる人物です。
英国の桜研究家、鳥類研究家 コリングウッド・“チェリー”・イングラム:1880年英国ロンドン生まれ。父親は新聞社の経営者で国会議員という裕福な一家の末っ子で三男。自然豊かな地で育つなか、鳥に関心を持ち、鳥類研究の道へ。1919年、転居先「ザ・グレンジ」の桜に魅せられ、研究を開始。日本の桜を英国に持ち帰って広く紹介。日本で絶滅していた品種を数多く救った。1981年に100歳で逝去。
右・25歳の頃のイングラム。左・イングラムが第二次世界大戦中に書きためた桜の観察記録。描かれているのは太白。2点ともイングラム家所蔵、阿部菜穂子提供 参考文献/『チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人』(阿部菜穂子著 岩波書店刊)
「イングラム最大の功績は、桜の多様性がいかに重要か、日本人に気づかせたことです」と話すのは、英国在住の作家で、『チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人』の著者である阿部菜穂子さん。
イングラムが30年に及ぶ研究の集大成として1948年に出版したORNAMENTAL CHERRIES(『観賞用の桜』)。全259ページに日本の桜の歴史や栽培方法、129品種の詳しい解説などを掲載。園芸大国・英国に桜ブームを巻き起こした。
「イングラムは新品種の収集を楽しみに来日した1926年の春、日本の伝統的で多様な桜がおろそかにされ、染井吉野一色になっていることにひどく落胆しました。そして、『桜の会』に頼まれたスピーチで、『このままでは50年後に日本の多様な桜がすべてなくなり、英国の庭まで日本の桜を探しに来ることになる』と警告したのです」。
「桜の会」とは、日本の桜の保護を主目的に、帝国ホテルの支配人だった林 愛作が政治家や学者、華族関係者らに呼びかけて1917年に発足した会。
会長は実業家の渋沢栄一で、イングラムと交流のあった植物学者の三好 学や桜守の舩津静作が役員を務めていました。イングラムは信頼のおける人たちの前だったからこそ、あえて苦言を呈したのでしょう。
富山県中央植物園は、日本で絶えてしまった品種を英国から里帰りさせるプロジェクトを2017年にスタート。同時に、英国やヨーロッパで作られ、日本にはまだない桜も導入することを決めました。
里帰り桜【太白(タイハク)】:日本で一度絶滅した太白は、純白の花の直径が5~6センチもある大輪の桜。イングラムは「雪のように白い花びらと、赤銅色の若い葉のコントラストがすばらしく美しい」と称賛した。英国から里帰りさせた際は、輸送中に枯れてしまうという問題が発生。5度目の輸送時、穂木をジャガイモに挿す方法で成功した。

イングラムが日本に里帰りさせた桜、太白の原木。今も毎年美しい花を咲かせる。撮影/阿部菜穂子
オックスフォード大学植物園・樹木園との連携により、プロジェクトは順調に進み、2026年1月現在、同園は里帰りを果たした桜8品種、英国など海外生まれの桜14品種を展示中。現在も、このプロジェクトは継続しています。

一方、英国でも日本の桜への関心が高まっており、各地で植樹が進んでいると阿部さんは話します。「イングラムの本の英語版を出版したこともあり、日本の桜について話してほしいと頼まれることも増えました。日本にとって桜は大切な財産であり、アニメなどと並ぶ、日本のソフトパワーといえるのではないでしょうか」。
英国ケント州にある旧イングラム邸、通称「ザ・グレンジ」(田舎家の意)。現在は民間の介護施設となっている。
日本の豊かな山林に生まれ、人間に見出されて育まれ、世界へ広がりながら受け継がれてきた桜。時代も国境も超え、桜のために尽力してきた人たちに共通するのは、「多種多様な桜を後世に残したい」という祈りにも似た強い思いでした。
そうした先人たち同様、私たちも皆、多彩な桜を愛でるDNAを持っているはず。2026年の春は、染井吉野以外の桜にも目を向けて、それぞれの美を味わってみませんか。
(次回へ続く。
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