〔特集〕誌上でゆっくり学ぶ・愛でる 京都の“別格” 京都では合わせて17の寺社が世界遺産に登録されていますが、平安遷都にあたり大きな意味を持った構成資産が2か所あります。桓武天皇が遷都の成功を祈願した京都最古の下鴨神社と新しい都を守るために作られ、平安京造営の起点となった東寺です。千年の都では、世界遺産以外にも名所・名刹は数しれず ── 深淵なる京都の別格を訪ね、日本の真髄(こころ)を学びます。
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“不便の神様” が守った
浄瑠璃寺で浄土世界を体感する
浄土庭園

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国宝]「本堂(九体阿弥陀堂)」と特別名勝「浄土庭園」九体の阿弥陀像を祀るための横長の堂で、唯一現存する。境内西側に東面に建つ。本来の形として、宝池の対岸から拝めるよう、一体一体の阿弥陀像の前に扉を持つ。浄土庭園は平安後期に流行した。秋には、朱に染まった紅葉と里山の自然が調和した幽玄な景色となる。写真/ kazukiatuko(ピクスタ)
平安人が憧れた
極楽浄土に導く阿弥陀仏
九品往生
現存する唯一の[国宝]「九体阿弥陀如来坐像」藤原時代。未熟な私たちを理想の未来である “西方浄土” へと導く阿弥陀如来。往生には9つの段階があるという九品往生の考えに基づき、九体の阿弥陀像が祀られた。ただし各如来が特定の階を示すものではない。2年前に110年ぶりの修復調査が完了し、九体すべての仏師が異なることがわかった。
京都の市街地から南に35キロほど、奈良との県境に位置する自然豊かな南山城・当尾(とうの)の里山に、平安の頃より仏の心を伝える古寺、浄瑠璃寺はあります。創建は永承2(1047)年、決して広くはない境内に多数の国宝や文化財を有し、特別名勝の庭園では平安の人々が憧れた極楽浄土に触れることのできる、大変貴重な場所。洛内から遠く離れた静寂の山里ゆえ、戦禍を免れることができたのです。
「このようなものがよくも作られ、今まで残ったなと思いますね」。本堂の国宝九体阿弥陀如来坐像を前にお話くださったのは、浄瑠璃寺の住職、佐伯功勝(こうしょう)さん。
九体の阿弥陀像を祀る配置は、平安時代に栄華を極めたかの藤原道長によって最初に実践され流行しましたが、今では浄瑠璃寺が現存する唯一に。九体が並ぶ理由、それは浄土三部経にある九品往生に基づきます。
「人は往生の際、普段の行いや心がけによって “下品下生(げぼんげしょう)” から “上品上生(じょうぼんじょうしょう)” までの9段階があり、それによって最期に阿弥陀様が迎えに来る方法が異なる。それならば阿弥陀様が九体いらっしゃれば、どこに自分がいたとしてもすぐにお迎えがあるだろう、そんな贅沢な発想で作られたのですね」と佐伯住職。
「九体の阿弥陀様はよく見ると、お顔の様子からきもののしわまでまったく違います。一体ごとにお参りし、じっくり向き合ってください」。
[国宝]浄瑠璃寺「三重塔」平安より悠久の時を刻む紅葉が赤く染まる庭園にひときわ映える三重塔は、治承2(1178)年に京都の一条大宮から南山城(みなみやましろ)の浄瑠璃寺に移築された。初層に秘仏・薬師如来坐像を祀る(次写真)。写真/masa(ピクスタ)
秘仏二題
〔通常非公開〕三重塔初層の「薬師如来坐像」藤原時代。澄み切った静寂の浄瑠璃浄土にいて、太陽の昇る東より我々を現世へと送り出してくれる薬師如来。浄瑠璃寺の根本本尊であり、本堂の九体阿弥陀如来坐像よりも60年前に造顕された。三重塔内部に描かれているのは十六羅漢図。開扉日は、毎月8日、彼岸の中日、1月1、2、3、8、9、10日。※いずれも好天に限る
〔通常非公開〕日本一の美人の仏様「吉祥天女像」鎌倉時代。重文。五穀豊穣、天下泰平を授ける女神、吉祥天。南都仏教の寺では吉祥天を祀り、正月に祈りを捧げるところが多い。秘仏ゆえ豊かな色彩が残り、華やかなお姿。「これまでの行いを懺悔してから、謙虚に拝まれるのがよいでしょう」と佐伯住職。特別開扉日は10月1日~11月30日、1月1日~15日、3月21日~5月20日。写真/©(一社)木津川市観光協会
(次回に続く。
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