〔特集〕誌上でゆっくり学ぶ・愛でる 京都の“別格” 京都では合わせて17の寺社が世界遺産に登録されていますが、平安遷都にあたり大きな意味を持った構成資産が2か所あります。桓武天皇が遷都の成功を祈願した京都最古の下鴨神社と新しい都を守るために作られ、平安京造営の起点となった東寺です。千年の都では、世界遺産以外にも名所・名刹は数しれず ── 深淵なる京都の別格を訪ね、日本の真髄(こころ)を学びます。
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東寺の非公開・小子房を特別拝観
五重塔の曼荼羅空間と
講堂の立体曼荼羅を堪能した板垣さん。最後に、三浦執事長の案内で非公開の「小子房」へ。ここは勅使をお迎えする特別な場所です。
〔通常非公開〕堂本印象の襖絵で彩られた勅使供応の場南北朝時代、足利尊氏が都に入る際に奉じた光厳上皇が、洛中の戦いが収まるまでの間、御所とした場所。1934年空海の千百年御遠忌の際に再建された。襖絵や壁画、襖の引手や照明を堂本印象が手がけている。全6室のうち、写真の「鷲の間」は玄関正面にあたり、厳粛な雰囲気。他の部屋は牡丹や瓜、雛鶏など、和やかな水墨画が描かれている。最奥の「勅使の間」は金地に極彩色で「渓流に鶴」「日輪山嶽」などが描かれている。
左は「瓜の間」。スイカとたわむれるイタチを描写。右は「牡丹の間」。水墨画の技法を駆使して紅白の牡丹が描き分けられている。引手も堂本印象のデザイン。
官寺と密教の根本道場、2つの役割を担う東寺
板垣さん(以下、板垣) こちらは、これまで見てきた曼荼羅の世界観とは異なる場所ですね。
三浦執事長(以下、三浦) これは東寺の成り立ちに理由があります。東寺は、平安京という都の誕生とともに、官寺、つまり国立の寺院として創建され、天皇や皇族の祈願などが行われる場でした。そのため、現在もここ「小子房」で勅使をお迎えしています。
平安遷都には多額の費用がかかったため、さまざまな施設の建設が順調ではなかったといわれています。そこで、時の帝であった嵯峨天皇が823年に空海に伽藍の整備を託したのです。そのときから、空海の教えである真言密教を広める場として発展してきました。
板垣 伽藍の整備とは、どのようなものだったのでしょうか。
三浦 空海が国から東寺を賜った際、創建から27年が経過していましたが、建てられていたのは金堂のみでした。空海は着任後、まず講堂を手がけ、並行して五重塔の建設を計画しました。東寺の境内はほぼ正方形なのですが、その中心に講堂を建て、講堂の中心に大日如来が祀られています。記録は残されていませんが、航空写真もドローンもない時代に、空海は、東寺全体を曼荼羅として設計したのではないでしょうか。
板垣 境内をどのように巡ると理解が深まるでしょうか。
三浦 東寺のほとんどの仏像は、南を向いています。南大門から入り、まずは本堂である金堂、次に空海にとっての本堂ともいえる講堂、そして五重塔と、創建された順番にお参りしていただくのがよいでしょう。加えて、最後に、空海の住まいであった御影堂にも立ち寄っていただきたいですね。空海は、ここで立体曼荼羅を構想し、工事を指揮しました。現在も毎朝6時に空海のお食事をお供えする生身供が営まれ、閉門までの間、どなたでも自由にお参りいただけます。
板垣 五重塔初層は、時間が許せば何時間でも過ごせる場所でした。伝統的な仏教美術は、教義を学んだうえで、さらに自分なりの受け止め方ができる、自由なものだと感じています。本日はありがとうございました。
板垣李光人(いたがき・りひと)2002年生まれ。2012年俳優デビュー。2025年第48回日本アカデミー賞 新人俳優賞を受賞。NHK大河ドラマ『どうする家康』で井伊直政、『青天を衝け』で徳川昭武を演じた。2025年10月24日公開予定の映画『ミーツ・ザ・ワールド』ではアサヒ役を演じている。2024年、デジタルイラストと油彩を組み合わせたキャンバスアートを中心とした個展を開催。
(次回に続く。
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