世代を超えて受け継がれる
軽井沢ソサエティ
今もなお、名門避暑地として進化を続ける軽井沢。その基盤には、独特の文化と由緒あるソサエティが世代を超えて受け継がれている “聖域” があるからです。
軽井沢ソサエティの代表的な存在が「軽井沢会」。軽井沢会が所有するテニスコートは、夏の間、別荘に滞在し家族ぐるみの交流を楽しむ人たちの社交場として、重要な役割を果たしてきました。
軽井沢会を通して友人関係を築き、その交流が孫の代へと受け継がれ、軽井沢の発展に寄与する ── 軽井沢ソサエティは “軽井沢愛” を育む土壌なのです。
軽井沢会のクラブハウスは、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計。軽井沢の自然と調和する建物は、軽井沢のテニス文化の象徴。手前は1970~80年代に使用された、木製のテニスラケット。
父から娘へ ── 受け継がれる軽井沢会テニスソサエティの伝統
軽井沢に根づく、もう一つの伝統。それがテニスです。避暑地として栄え始めた明治の頃から、テニスは社交の象徴。名士として、この地と深い縁を持つ倉島家も、その流れの中にいます。
軽井沢会テニスコートの観覧席で、侑里さんを抱っこする寿永子さんと祖母の光慧子さん。三世代にわたって軽井沢会の会員。
侑里さんは幼い頃から、元デビスカップ日本代表強化選手である父・倉島英造さんのもとで腕を磨いてきました。
クラブハウスでくつろぐ英造さんと侑里さん。軽井沢会の公式な場面にはブレザーを羽織って。
10代の頃から親子でダブルスを組み、今も軽井沢滞在中はラリーを交わすのが習慣です。
2001年の「軽井沢国際テニストーナメント」で英造さんとミックスペアを組み、見事優勝。トロフィーと盾を手に記念撮影。
その舞台は、明治から続く名門・軽井沢会テニスコート。
旧軽井沢の中心にあるテニスコートは落ち着いた雰囲気が漂う。
毎夏の「軽井沢国際テニストーナメント(軽トー)」では、英造さんと侑里さんのミックスペアが何度も優勝を果たしています。
英造さんの影響で6歳頃からテニスを始め、8歳で本格的に開始。数々の試合で優勝し、ジュニア時代には30個以上のトロフィーを獲得した侑里さん。そこには英造さんとの思い出も詰まっている。
「軽トーは観客との距離が近く、選手同士も仲間として応援し合うような、あたたかい空気感が魅力です」と侑里さん。
英造さんは現在も指導の現場に立ち、8月には軽井沢プリンスホテルでご自身が校長を務めるテニスアカデミーのレッスンを主宰。
「教えるのは技術だけではありません。礼儀や姿勢もまた、テニスを通じて学んでいけるのです」と語る英造さん。
夏の時期、テニスコートそばの軽井沢集会堂では、軽井沢会主催の音楽会などが開催され、西田さんもご両親とよく訪れる。
父から娘へ、そして次の世代へ。軽井沢の緑に囲まれたコートには、受け継がれる精神と静かな熱気が息づいています。
祖父でファッションデザイナーの西田武生さんと侑里さん。背景に写っているのは、祖父が所有していた坂倉竹之助さん設計の別荘。
(次回に続く。
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