海外

識者が語るベートーヴェンの魅力【アンドリス・ネルソンスさん(指揮者)/平野 昭さん(音楽研究家)】

講堂を改装したコンサートホール

【ボン大学でシラーの詩に出会い後の「第九」につながった】
当時数少ない学問と信教の自由が尊重された最新学術機関で、ベートーヴェンは最先端の思想に触れます。講堂を改装したコンサートホールでは演奏会も随時開催。

「第九」につながる思想はボンで培われた

ベートーヴェンの原点となった街ボン。中世的な伝統を重んじる教会や宮廷、近代的な思想を教える大学、知識人や芸術家が集まる社会――さまざまな知と時代感覚が共存するこの街で、ベートーヴェンは洗礼を受け、教会や宮廷でオルガンを弾き、宮廷オーケストラでヴィオラを奏し、作曲を始め、11歳の頃にはピアノ作品を初出版するなど、神童ぶりを発揮しました。

ボン郊外のバート・ゴーデスベルクにあるラ・レデュット

ボン郊外のバート・ゴーデスベルクにあるラ・レデュット(舞踏会場)。旅行中のハイドンがベートーヴェンとここで出会い、その才能を確信してウィーンへ誘ったキャリアの出発地点(現在迎賓館として利用)。

18歳になったベートーヴェンはボン大学で自由主義思想や後の「第九」につながるシラーの詩に出会います。

「自由と進歩のみが、すべての偉大な創造におけると同様に、芸術の世界の目的」と後年語ったように、その思想が多くの作品に投影されていきます。まさにボン時代に音楽的・精神的基盤が築かれたのでした。

ポッペルスドルフ城

ポッペルスドルフ城はケルン選帝侯の元居城。裏庭には植物園が、中庭では野外音楽会が開催されます(中央駅から徒歩約16分)。

闇の中から光を見出した、ハイリゲンシュタットの遺書

「かつては申し分のない完全さで私が所有していた感覚」――ベートーヴェンにとってそれは聴覚でした。音楽の都ウィーンで意気揚々と演奏・作曲活動に励んでいた矢先、聴覚に異変を感じ、壮絶な自己との闘いが始まるのでした。

ハイリゲンシュタットの遺書
Original: “Staats- und Universitätsbibliothek Hamburg, Signatur: ND VI 4281”

【「喜びの日」はいつ来るのか? 絶望の中で神に問うた日々】
切迫感が漂う“遺書”(1802年/ベートーヴェン博物館に展示)。ベートーヴェンが下線で強調した言葉が、胸に迫ります。「僕には何も聞こえなかった」「芸術が僕を引き止めてくれた」、「おお、神の摂理よ、私に今一度の、純粋な喜びの日を私に与えてほしい」。

世間には決して公表せず、ハイリゲンシュタットにひきこもり、独りその苦悩を“遺書”に書き綴った31歳のベートーヴェン。自らの生命を絶つことを思いとどまった理由はただ一つ、「芸術」でした。闇から光を見出す……どうしても見出さねばならぬ!

すべてを吐き出し不死鳥のように甦ったベートーヴェンは、より高い理想、より強い喜びを追求するように。作品にもいっそうの生命力が漲り、交響曲第3番「エロイカ」、オペラ『フィデリオ』などが生み出されていきます。

ベートーヴェンの胸像

ハイリゲンシュタットの「ベートーヴェンの散歩道」近くにある、りりしい表情のベートーヴェンの胸像。

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