アート・カルチャー・ホビー

チャイコフスキーが最後に辿り着いた安住の地、クリン

私たちの心に寄り添うチャイコフスキー 第1回(全9回) 2020年に生誕180周年を迎えたピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840~1893年)。時に甘く、時に悲しく、深く、語りかけるその音楽は、子どもから大人まで聴く者の心をとらえて離しません。本特集では、彼が生前暮らした家や資料、チャイコフスキーに魅了されたかたがたの言葉から、チャイコフスキーの心の奥底、その音楽の真髄に迫ります。

チャイコフスキー
国立チャイコフスキーの家博物館でゲストを迎えるのは、1893年、ハリコフで行われた公演の際に撮影されたポートレート。

作曲の傍ら後進を指導したモスクワ音楽院
作曲の傍ら後進を指導したモスクワ音楽院
モスクワ音楽院で作曲や理論を教えたチャイコフスキー。フォン・メック夫人から経済支援を受けるようになるまで約12年間教鞭をとった。生誕100周年を記念してチャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院が正式名称となったここでは、4年に一度チャイコフスキー国際コンクールが開催され、世界中から精鋭が集まる。音楽院前には銅像があり、音楽遺産としての価値が感じられる。©Aleksandr Shapunov/ROSCONCERT

国葬が執り行われたカザン大聖堂
国葬が執り行われたカザン大聖堂
1893年、サンクトペテルブルクで「交響曲第6番」を指揮・初演したチャイコフスキーは、その9日後に急死。同市内のカザン大聖堂で、皇帝アレクサンドル3世により執り行われた国葬には約8000人が集まり、その死を悼んだ。©Alamy Stock Photo/amanaimages

突然祈りに目覚めた聖イサァク大聖堂
突然祈りに目覚めた聖イサァク大聖堂
38歳のとき、サンクトペテルブルクにある聖イサァク大聖堂の中で祈りに目覚める。生と死、罪と贖罪について考え始める一方、罪悪感に悩む者へのキリストの眼差しに共感。オペラ作品等に投影されたとの説も。©Alamy Stock Photo/amanaimages

苦痛や悲しみだけではなかった。
チャイコフスキーの創作を支えたもの

モスクワ郊外クリンの家のサロン
「交響曲第6番」を書き、多くの友人と交流した家
チャイコフスキーが住んだ当時のまま残されている、モスクワ郊外クリンの家のサロン。現在は「国立チャイコフスキーの家博物館」として公開されている。「苦悩の人として知られるチャイコフスキーが、普通の人々と同じように、喜んだり、笑ったり、悲しんだりしている、そんな日々の感情がここに宿っていて、まるで彼が生きているかのように感じます。友人も多く、誰かが遊びに来ればピアノの連弾をして楽しんでいました」(アダ・アインビンデルさん/国立チャイコフスキーの家博物館原稿・印刷資料部部長)

「音楽は、私の魂の告白です」
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー

最後に辿り着いた安住の地、クリン

最後に辿り着いた安住の地、クリン

自然をこよなく愛していたチャイコフスキーは大都会モスクワから離れ、52歳の時クリンに落ち着きました。晩年の傑作、「交響曲第6番」はこの家で書き上げられました。

作曲を始めたのは暗くて陰鬱な真冬。「彼は自分の心を音楽に表しました。自然から感じたことも音に出ていると言えるでしょう」(アダ・アインビンデルさん)。

完成したのは美しい夏。移り変わる季節を感じつつ、ほとばしる楽想を五線紙に書き綴ったチャイコフスキーの姿が目に浮かんできます。

「未来の作品の種が、突然意外な形で現れ、土に根を下ろす。
土壌が豊かであれば、最後に花を咲かせるのです」
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー

撮影/Vladimir Volkov 取材・文/菅野恵理子 編集協力/三宅 暁 取材協力/Natalia Goryacheva ロシア国立チャイコフスキーの家博物館

『家庭画報』2021年1月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。

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