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芥川賞作家 柴崎友香さんが信じ続ける“小説の可能性”。特別ロングインタビュー

2020.09.08

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小説を書くということ~作家が語る、書くこと、読むこと SNSやブログを通じて、誰もが書くことができるこの時代、小説を書くとはどういうことなのか。小説家はどんなことを考えながら、小説を書き、読んでいるのか。作家の方々に、それぞれの小説作法を尋ねます。

第6回 柴崎友香さん
〔後編〕


〔前編〕時のなかで降り積もる土地の記憶を見つめ続けて


小説のなかで、写真や映画についてよく触れられているように、アート全般に通じている柴崎さん。“テレビや漫画が大好きで、子どもの頃からつくる側の人になりたかったんです。小学校の頃から授業中も、教科書の下にノートを置いて、話の断片や漫画を描いていました。ずっと次の話を考えているのが普通なことだったので、そうじゃない状態がよくわからなくて”と、幼少期を振り返ることばが、作家の資質を伝えている。







駅ができて初めて列車が走ったときのことを覚えている、と祖父に聞いた、と祖母は言っていた。わたしの祖父ではなく祖母の祖父だ。祖母の父親ならひいおじいちゃんだが、もっと前はなんと呼ぶのか、今日聞いてみた三人には知らないと言われた。
線路は、平原の真ん中をまっすぐに走っていた。線路を通す工事にはその町の人たちもかなりの数が動員されたらしい。祖母の祖父は駆り出されなかった。羊を飼っていたからだと祖母の祖父は言ったらしいが、それが仕事が忙しいからとか収入があったからという意味なのか、ほかの理由なのか、祖母にもわからないという。

「初めて列車が走ったとき、祖母の祖父は羊を飼っていて、彼の妻は毛糸を紡いでいて、ある日からようやく話をするようになった」柴崎友香『百年と一日』より


思いつくままに
世界をつくれるのが短編の醍醐味


――短編の場合、どんな書き方をされるのでしょう。

急に始まって、急に終わらせることができるのが短編のおもしろいところで、理由を追究せずに、パッと世界をつくり出せるのが楽しいです。ただ、いつも(書いている)世界や人物には、その前も後もあると思っていて、それを想像しながら書いています。

――では、長編はどうでしょうか。

長編の場合、1~2年間続くので、書いているあいだは彼ら(登場人物)のすぐ近くにいて、自分もその隣で生活している感じです。(登場人物の)この人にはこういうところがあったんだと書きながら気づくのは友達の意外な一面を発見するのと同じで、小説のなかでも自分の予想を超えて現実のように意外なことが起こってくれると、この小説の世界が成り立ったなと感じます。友達や近所の人くらいの距離感なので、長編小説が終わるときは寂しくなりますね。

短編でもそうですけど、わたしは登場人物を役割から考えて書くことはなくて、こんな感じの人がいるというのが先にある。たとえばAという人のことを、Bはこう見ているけれど、CはAの別の面を見ていたりするように、人の見え方は関係性によって変わります。現実の人と人との関係ってそういうもので、関係が小説のなかで変化していくのが自分にとって書いていておもしろいところです。

――たしかに人と人の関係は、そこに別の人が現れることでも微妙に変化します。

わたしのほぼすべての小説には飲み会や、みんなで一緒にご飯を食べる場面が出てくるんですけど、複数の人が同じ場所にいると、ちょっと親しい人、すごく親しい人、実は苦手と思っている人とか、そこには複数の関係性や、それぞれの異なる思惑が生じます。1対1でいるときや、自分が相手に対して抱いていた印象だけでは見えてこない一面が、複数の人間が同席して、思わぬことが起きることで見えてきたり。今、新型コロナウイルスの影響で飲み会や会食が難しくなっているので、自分の小説はこれからどういうふうにその変化を反映していくのかなと考えたりしています。


――飲み会ではないですけど、柴崎さんが2016年に参加されたアイオワ大学インターナショナル・ライティング・プログラム(IWP *1)も、各国から大勢の作家が集まる体験の場だったのではないかと思うのですが。

IWPは、それこそ10週間、35人ほどの作家がずっと一緒に生活していたので、複雑な関係がありました。わたしはあまり英語が得意じゃないので、その場では人が言っていることがよくわからなくて。後から、あの人とあの人のあいだでこういうことがあったと知らされたり、それこそ帰国後に気づいたこともあったりして、そういう時間のズレが加わったことも体験として貴重でした。

*1 世界中から40人弱の作家が招かれ、10週間、日々をともに過ごすライター・イン・レジデンス。滞在期間中、作家は朗読やワークショップを行い、他の作家たちと交流を重ねたりしながら、アイオワでの日常を過ごす。

「“そんな昔のこと、
まだ考えてたんや”って言われたり(笑)」


――IWPでの経験に基づいた『公園へ行かないか? 火曜日に』のなかの一編、「It would be great.」では、英語の表現やニュアンスについて描かれています。

日本語は本音と建て前とか婉曲表現が多いとよく言われていて、アメリカの人や英語の表現はストレートという印象を持っていたのですが、英語も文脈によって意味が変わったり、婉曲表現や忖度もするんだな、と。「It would be great.」が、その場の文脈で積極的な意味になったり消極的な意味になったりすることは、解説してもらってなんとなく理解はしたのですが、ずっと気になっていたので、帰国して2年くらい経って、日本の小説を英訳しているアメリカの人にそのことを質問して話したとき、感覚的に急に腑に落ちたんです。そういうふうに、わたしは疑問をしばらく寝かせておくことが結構あります。わからないけれど気になることをモヤッとしたまま置いておく。何年か経って、友達にその話をすると、“そんな昔のこと、まだ考えてたんや”って言われたり(笑)。

――ずっと考え続けているわけではなく、何か引き金があって思い出すという感じですか。

ことあるごとに浮上してくるという感じでしょうか。サクッと整理して分けてしまうとそれで終わってしまうかもしれないのですが、放置していることで別のこととつながったり違う事柄に広がったりする。その分、普段、頭のなかは散らかっているけれど、それが自分の小説に生かされているのだろうと、そう思うようにしています。


――柴崎さんは小さい頃から小説家になろうと思っていて、高校時代も教科書の下に小説用のノートを置いていたそうですが……。

小説家に、というよりはつくる側の人になりたいとずっと思っていました。アニメや漫画もよく読んでいましたけど、テレビばっかり見ていて、自分もこういうおもしろいものをつくる人になりたいなあ、と。授業中に別のノートを置いていたのは小学生のときからで、話の断片や漫画を描いていました。気がつけば、つねに次の話を考えていたので、そうじゃない状態というのがわからないんです。

――日常にいながら別の世界を考えているという感じですか。

どうなんでしょう。友達に妄想好きの子がいて、アイドルとの恋愛がずっと進展していって、会うたびに聞くのを楽しみにしていたんですけど、自分が次の話を考えているのとは違う感覚だな、と。最初から、客観的にフィクションをつくりたいという気持ちだったんだと思います。

――柴崎さんは、小説とエッセイの境が曖昧なものが好きだという話もされていますよね。

読む方には自由に読んでもらっていいと思っています。書く側として小説とエッセイの違いは何かと聞かれれば、小説と思って書けば小説、エッセイと思って書けばエッセイと答えています。実際に経験したことかそうでないかは、小説とエッセイの境目ではないですね。書き方の思考回路の違いというか。エッセイでもすごく非日常的で不思議な話を書く方もいますけど、その方がエッセイといえば、“エッセイなんやー”と思って読みますし。

IWPの話も最初はエッセイで書くつもりでしたが、アメリカに滞在中の奇妙な感じ、自分が周囲のことを把握できていないこととか、普段、日本にいるときとは違うコミュニケーションの取り方などを伝えるには、小説という形式がよいと思ったんです。

――IWPに参加した2016年はアメリカ大統領選の年で、トランプが当選したことを、ご自身の出身地とラストベルトの問題とを重ねて書かれていました。

外国や、日本でも知らない土地に行くと、自分が当たり前に思っていることと違う点と共通する点があって、その両方から理解できることがあります。似ている点と違う点を発見したり、考えたりすることは好きですね。

『春の庭』の翻訳が出て、去年はスイス、ドイツ、ロシアに行って作品を朗読する機会がありました。小説の冒頭に、裏の家が相当に古い2階建てで、という文章があります。築70~80年くらいを想定して書いていたのですが、朗読したチューリッヒには築400~500年の建物がたくさんあって、築70~80年は全然古くない、むしろ新しいくらいで(笑)。時間の感覚も、場所によって変わるものだと思いました。東アジアなど近い国であれば、40~50年前と景色がまるで変わってしまったことは共通の感覚としてあって、一方、ヨーロッパでは、それは把握しがたい現象に思えるかもしれません。そんな違いがあっても、どこの街に行っても読者の方と話すと『春の庭』で書きたかったことを受けとってもらえていて、場所や人の記憶に関して根底にある感覚は伝わるんだなあと思ったりもします。

デビューから20年。
より強く信じる“小説の可能性”


――デビューから20年、小説を書き続けてきたなかで、何かご自身のなかで変化したと思うことはありますか。

書けば書くほどこんなこともできるんだとわかってきて、デビューした頃よりも、小説がますますおもしろく思えます。特に『百年と一日』は、書き続けて読み続けてきたからこそ、小説は時間についてもいろいろな書き方ができるんだと実感して、形にできた作品です。小説って、読んですぐにはわからなくても、別の本を読むことで新たに気づくこともあるように、書くことの積み重ねのなかで、小説の可能性を感じています。

――最近、読んで印象に残っている本は、何かありますか。

ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤーの短編集『フライデー・ブラック』です。アメリカでは今、黒人差別の問題が大きくなっていますが、2年前に若い黒人の作家が発表したこの短編集は、激しい暴力や差別に晒されている人々の状況を、時にはシュールに、時には寓話的に描いていて、小説は現実をこんなやり方で伝えることもできるのだと驚いた作品でした。

小説家になってよかったことのひとつは、周りにおもしろい小説を知っている人がたくさんいることです。作家になるまで身近にはそれほど小説を読む人は多くなかったけれど、今はいい小説を教えてもらえる環境にいるので、こんな小説もあるんだと感動してばかりです。
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