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江國香織さんの最新作『去年(こぞ)の雪』。不思議な読後感を残す物語はこうして生まれた

2020.04.07

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小説を書くということ~作家が語る、書くこと、読むこと 小説が読まれない、小説が売れない。そんな話を耳にする昨今。けれど、よい小説には日常とは別の時空を立ち上げ、それを読む人の心をとらえる“何か”があることは、いつの時代も変わらない事実。SNSやブログを通じて、誰もが書くことができるこの時代、小説を書くとはどういうことなのか。小説家はどんなことを考えながら、小説を書き、読んでいるのか。作家の方々に、それぞれの小説作法を尋ねます。連載一覧はこちら>>

第3回 江國香織さん
〔前編〕


えくに かおり●1964年東京都生まれ。87年『草之丞の話』で《小さな童話》大賞を受賞。89年に初の短編小説集『つめたいよるに』を発表。2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、04年『号泣する準備はできていた』で直木賞、12年『犬とハモニカ』で川端康成文学賞、15年『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で谷崎潤一郎賞を受賞。『きらきらひかる』『冷静と情熱のあいだ Rosso』『間宮兄弟』など、映像化されている作品も多数ある。





小説、詩、童話、エッセイ、絵本、そして海外文学の翻訳と、20代半ばのデビュー以来、あらゆるジャンルで物語を描き続けている江國香織さん。「現実を生きているより、物語のなかにいる時間のほうがはるかに長いので」。そう話すように、書くことと読むことに耽溺しながら実人生を過ごしている作家の文章には、小説、エッセイを問わず、虚構がもたらす肌触りや息遣いが感じられる。

名前を付された人だけでも、170人を超える人物が次々と立ち現れ、ときに時空を超えて不意につながり、互いに見えない気配を感じ合っている――そんなこれまでのどんな小説とも比較のできない、不思議な読後感を残す長編小説『去年(こぞ)の雪』について、江國さんは「留められないものを留めるような、断片でできた小説を書きたいと思っていたんです」と話す。

いろいろな人がそれぞれに生きている情景を、空から降っては消えてゆく雪片のイメージに重ねて描いた最新作のこと、デビュー当時と現在の、小説との向き合い方の変化、いつの間にかテレビがつけられなくなっていたというように、聞いている者の胸がすくようなアナログな生活のことまで、物語のエピソードのごとく語られる話は、“江國香織ワールド”としか形容できない魅力に満ちていた。

江國香織『去年の雪』(KADOKAWA刊)


でこぼこ道でバスが揺れ、膝の上にのせた習字道具がカタカタと音を立てる。織枝はジャンパーのポケットからキャラメルの箱をだし、紙をむいて口に入れた。むいた包み紙を、座面と背もたれのあいだに押し込む(深く手を入れれば、そこはある種の空洞になっているのだ)。新しい学校で、織枝はいじめられているのではない。ただ観察され、判断され、警戒され、何か失敗するのを待たれている、そんな感じだ。

(中略)

二つ目のキャラメルを口に入れ、一人でも平気だ、と織枝は思う。現にきょうも、一人で学校に行って一人でコークスを運び(朝、コークス小屋に行って炭の山にスコップを突き入れ、バケツにすくって教室に運ぶのは日直の役目で、日直は二人いるはずなのに、もう一人は現れなかった)、誰とも喋らずに授業を四つ受けて一人で学校から帰り、おばあちゃんとお昼をたべて、またこうして一人でバスに乗っている。

江國香織『去年の雪』より


頭にあったのは、ヴィヨンの詩とソール・ライターの写真


――たくさんの人が立ち現れては消え、ときに時空を超えてつながってゆく。『去年の雪』はたとえ難い小説でした。書き始める時点では、どんな話にしようと考えていたのでしょうか。

小説を書くときは、大体いくつかのヒントが重なっているんです。そのひとつが、巻頭で引用しているフランソワ・ヴィヨンの詩、「だけど、去年の雪はどこに行ったんだ?」で、学生時代に初めて読んで以来、いつかこういう小説を書いてみたいと思っていました。

それと、連載が始まる前にソール・ライターという写真家の展覧会を見たのですが、その写真が素晴らしかったんです。残された写真はすごくビビッドだけれど、被写体になった人たちは多分もうこの世にいないということが頭に残っていて。この2つがイメージソースになっています。

あと、これもこの作品に限る話じゃないですけど、小説を書くときはいつも読む人に、初めての手触りと感じてもらえるような、既読感のない小説を書きたいという気持ちがあります。

――この前の長編小説『彼女たちの場合は』とは、だいぶ色合いが違う小説ですよね。

『彼女たちの場合は』も、たくさんの人が登場しますけど、最初から最後まで、逸佳と礼那というふたりの少女の話であることはゆるぎません。今までも、ある家族やカップルの話を書いてきましたけど、今回はいろいろな人がそれぞれに暮らしている、そういう世の中そのものを主人公にしてみよう、と。

――世の中を映す、人間図鑑のようでもあって。

人が何を考え、どう暮らしているか。人の気持ちや生活の細部などは、たとえ親しい人のことでもなかなか見えないものですが、小説のなかでなら見ることができます。人は自分自身のことでさえ、考えたこと、やったことの大半を忘れてしまいます。取るに足りないことだから忘れるのだけれど、今日という一日はたしかにあって、人はたしかにいたわけで。

今、生きている人はもれなく死んでしまうけれど、でも、とりあえず今日はみんな生きているように、留められないものを留めるような小説にしたいという思いがありました。
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