小説を書くということ~作家が語る、書くこと、読むこと 小説が読まれない、小説が売れない。そんな話を耳にする昨今。けれど、よい小説には日常とは別の時空を立ち上げ、それを読む人の心をとらえる“何か”があることは、いつの時代も変わらない事実。SNSやブログを通じて、誰もが書くことができるこの時代、小説を書くとはどういうことなのか。小説家はどんなことを考えながら、小説を書き、読んでいるのか。作家の方々に、それぞれの小説作法を尋ねます。
連載一覧はこちら>> 第2回 絲山秋子さん
〔前編〕
いとやま あきこ●1966年東京都生まれ。大学卒業後、住宅設備機器メーカーに入社、営業職として国内各地に赴任する。2003年『イッツ・オンリー・トーク』で文學界新人賞、04年『袋小路の男』で川端康成文学賞、05年『海の仙人』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、06年『沖で待つ』で芥川賞、16年『薄情』で谷崎潤一郎賞を受賞。
「テイストの違うものを書こうという気持ちはありますね」。ご自身もそう口にするように、長編、短編を問わず、つねにそれまでとは違うタイプの作品を発表し続けている絲山秋子さん。小説のモチーフやテーマは異なるものの、絲山さんの作品において大きな要素となっているのが“仕事”と“土地(場所)”だろう。
登場人物がどんな仕事に就き、どのように働いているか。彼らがどんな土地で、どのように暮らしているか。仕事と土地を通じて描かれる登場人物たちは、まるで隣にいるかのような存在感を放ち、会話の妙とも相まって、読者を小説世界へと誘う。
食品会社を舞台にした最新刊『御社のチャラ男』では、絲山さんはどこにでもいる“チャラ男”の存在を複数の視点で語ることで、会社という組織の不思議さや理不尽さを、笑うに笑えぬリアルさで描いている。
絲山秋子『御社のチャラ男』(講談社刊)上司に対してほぼ自動的に働く忖度、そこから醸成される有無をいわさぬ気配、会社と個人の相関関係……。「もう会社をやめて20年近く経つけれど、後になってふっとわかることってありますね」と話すように、デビュー以前、メーカーの営業職としてバリバリ仕事をこなし、転勤も多かったという絲山さんの経験は、いろいろなかたちで今回の作品に生きているのだろう。
三芳部長のことをチャラ男と名付けたのは、山田さんだった。
「チャラ男さんですよね、あのひとは」
山田さんは柔らかい声でそう言って笑った。
(中略)
「外資系でも公務員でもチャラ男はいます。士業だって同じです。一定の確率で必ずいるんです。人間国宝だっているでしょう。関東軍にだっていたに違いありません」
どういう並びで人間国宝や関東軍が出てくるのかさっぱりわからないが、俺は笑った。警察にもいるのだろうか。三芳部長みたいな男が。拘置所にも裁判官にも刑務官にもいるのか、チャラ男が。そんなこと笑って話せる日はもう来ないかもしれないけれど。
当社のチャラ男――岡野繁夫(32歳)による
絲山秋子『御社のチャラ男』より
バラバラな人が毎日集まる会社というおもしろい場所
――今回の小説は、同じ会社で働く人たちがチャラ男について語ることで、会社という組織の不思議さが描かれていきます。
チャラ男って、だいたい社長や上司に気に入られているんです。その人たちにはないものを持っているから。でも、同じ会社で長く勤める人はあまりいなくて。
あちこちで、似たような人間関係を見てきたので、もっと多くの人たちと共有できるのではないかと思い、チャラ男を中心にした話を書いてみることにしました。
――作品によってはかなり取材をされるようですが。
今回は、会社や土地の取材はしていません。チャラ男についても会社についても、よくないことも含めて書くことになるので、逆に“あの会社を想定しているのでは?”と思われることがないように気をつけました。人物についても実在のモデルがないので、遠慮せず、どんどん入っていって書かせてもらった感じです。
会社って、出身地も趣味も性格も違う人たちが集まっていて、だけど毎日、顔を合わせなければならない場所ですよね。不満に思うこともみんなバラバラで、それでも一定の社風はあるという、本当におもしろい場所だと思います。
作家の仕事とは、架空と現実の境目を合わせること
――絲山さんは、小説を書くとき、その背景に社会情勢や自然現象なども描きますよね。
私たちは身の回りで起きていることの影響を受けずに生きてはいけないと思っています。たとえば元号が変わるときの、どうなるんだろうと世間がワサワサしていたあの4月の雰囲気を、今、思い出して書こうとしても、何か違うものになってしまうので。その辺りは連載中に感じたことを大事にしています。小説内で生きている架空の人たちと、社会で実際に起きていること、この2つの境目をどう合わせていくか、そこが自分の仕事だと思っています。
――会社員時代の絲山さんはバリバリ仕事をして、営業成績もよかったのではと想像してしまうのですが。
取引先やエンドユーザーにはよくしていただいたんですけど、社内では上司とけんかばかりしていましたね。つまらない意地を張ることもあったし、周囲にとっては面倒くさくて扱いづらい存在だっただろうなと今になって思います。
そういえば、会社をやめてだいぶ経ってから昔の同僚に、“私、集団行動ができないことに最近気づいたんだよね”といったら、“俺たちはずっとわかっていたよ”と笑われて。自分では、時間が経たないとわからないこともたくさんあります。もちろん私の会社員時代と今では、状況がだいぶ違うでしょうけど。