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小説に通底しているテーマは“愛”。平野啓一郎さん自選の書3冊

2021.06.01

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第11回 平野啓一郎さん
〔後編〕

小説を書くということ~作家が語る、書くこと、読むこと SNSやブログを通じて、誰もが書くことができるこの時代、小説を書くとはどういうことなのか。小説家はどんなことを考えながら、小説を書き、読んでいるのか。作家の方々に、それぞれの小説作法を尋ねます。連載一覧はこちら>>
〔前編〕平野啓一郎さんが最新作『本心』で描く世界>>平野啓一郎さんインタビュー平野啓一郎さん

『日蝕』からドラクロワとショパンの交流を軸にした大長編芸術小説『葬送』まで、デビューして数年は、自分が書きたいことをしっかりとらえることに意識を注いでいたと話す平野啓一郎さん。だが、小説で社会的な問題を扱うようになるにつれて、その作品は読み手に切実に響くアクチュアルなものへと向かっている。

「『決壊』を書いた頃から、自分が扱っているテーマが本当に重要だと信じるなら、どうすればその問題を多くの読者に読んでもらえるか、考えるようになりました」と、平野さんは言う。AI(人工知能)化が進む近い将来、貧困や格差、死の自己決定権などの問題を哲学的に問う本作を読めば、多くの人がその言葉に納得するだろう。


平野啓一郎『本心』 インタビュー平野啓一郎『本心』(文藝春秋)

VRは、すでに、それなりに生活に浸透している


――小説で描かれるリアル・アバターやヴァーチャル・フィギュア(VF)は、平野さんが想定した20年後を書かれているのですよね。

そうですね。ただすでにヴァーチャル・リアリティ(VR)は生活にそれなりに入り込んでいるとは思います。僕らの中には現実中心主義というか、物理的な体験のほうがヴァーチャルな体験より上位だという価値観が沁み込んでいて、たとえば恋愛にしても、生身の人間ではなく恋愛ゲームに浸っているのは不健全だという考え方がありました。

でも、日本の将来が厳しくなっている中で、お金がないとか、いろいろコンプレックスがあるとか、とにかく現実はつらくて何も楽しいことがない時、仮想空間だけはあらゆる属性から離れて自分が楽しめる世界がある――そういう生活をしている人を批判できないと思うんです。

僕はこの小説を両義的な、アンビバレントなところで書いていました。母親を亡くした悲しみをヴァーチャルなもので紛らわすことも、孤独の淵でそれをよすがに生きる人がいるなら決して否定できない。そう思いつつも、じゃあVFの母親が本当の母親と同じかといえば、やはり生身の人間とは違うという、その揺らぎを書いたというか。

書き始める時は、VFと生きることを、それも新しい生き方だと全面的に肯定する考えを持っていましたが、最終的に小説は、当初より若干保守的なところに着地したかなと思います。


それでも、生きていていいのか・・・・・・・・・と、時に厳(いか)めしく、時に親身なふりをして、絶えず僕たちに問いかけてくる、この社会の冷酷な仕打ちを、忘れたわけではなかった。それは、老境に差し掛かろうとしていた母の心を、幾度となく見舞ったのではなかったか。

何のために存在しているか? その理由を考えることで、確かに人は、自分の人生を模索する。僕だって、それを考えている。けれども、この問いかけには、言葉を見つけられずに口籠ってしまう人を燻(いぶ)り出し、恥じ入らせ、生を断念するように促す人殺しの考えが忍び込んでいる。勝ち誇った傲慢な人間たちが、ただ自分にとって都合のいい、役に立つ・・・・人間を選別しようとする意図が紛れ込んでいる!

僕はそれに抵抗する。藤原亮治が、「自分は優しくなるべきだ・・・・・・・・と、本心から思った」というのは、そういうことではあるまいか。……

『本心』より


――連載時の安楽死から自由死へと、言葉を変えていますが、死の自己決定権も、小説のモチーフのひとつです。

これは重要な変更です。もともと僕は死の自己決定権を、安楽死の文脈で考えてはいませんでした。人間の中には対人関係ごとに複数の分人が存在しているけれど、生きていて幸福感を持てる分人もあれば、そうじゃないものもあります。その延長上で人の死を考えた時、できるだけ幸福な分人で死を迎えることが大事ではないか、と。

自分一人では生きていけないと、誰もがそう言いますが、死については一人で引き受けないといけないという考えが強くあります。でも、死に対して恐怖感だけでなく孤独があるから、人は孤独死に対して強い反応をするのだと思うんです。

――確かにそうかもしれません。

自分の最期を悟った時、家族や愛する人を呼んで、スケジュールを立てて亡くなるほうがもしかすると、最後の迎え方として幸福ではないか。出生に関しても医療が関与し、人間がコントロールするようになっていますが、次は死の自己決定権が哲学的な問いになると思っています。ただそれは、安楽死の問題も近接しているので、安楽死の問題もかなり調べました。

たとえばオランダは死の医療化がかなり進んでいて、治らない病、苦しみが甚だしい場合、長く関わったかかりつけの登録医が、その人が一時的な抑うつ状態でないこと、明確な持続的意思があることを確認するなど、厳格な状況の下で安楽死が認められています。

ただ、優生思想に基づく事件が起きている中で、安楽死と死の自己決定権を巡る議論を重ねると、問題が混同される可能性があると思い、それで自由死という言葉に変更しました。死の自己決定権については、平時にこそ哲学的な問いとして議論すべきで、やまゆり園のような優生思想と結びついた事件(相模原障害者殺傷事件)が起きた時は、いったん議論をやめるべきだと僕は考えています。

本をどう読めば、楽しめるかを伝えたい


――『本心』も、『マチネの終わりに』や『ある男』同様、日本や世界の動きを反映して、作品が立ち上げられていると感じたのですが。

やはり僕は現代の作家として、今という時代と向き合い、自分なりの思想を持って現代の読者に向けて書くことが基本だと考えています。社会は複雑化しているのに、従来の文学のフォーマットに収めようとすると、その複雑さを相当捨象しないとかたちに収まらないからか、最近はすごくウェルメイドで読みやすくて、上手く書けている、けれどそんなこともうわかっているじゃないという小説も少なくありません。

社会の複雑さはそのまま書くべきですが、といってごちゃごちゃ書いてもわからなくなるので、読者が小説を読む喜びを得られるように、相当工夫する必要はあると思っています。

――社会が変化する中でそういう思いに至ったのでしょうか。小説をどう書くか、デビュー当時と考え方は変わりましたか。

デビューして数年は、自分が何を書きたいか、しっかりとらえることで精いっぱいで、『葬送』くらいまでは書きたいことを書いて、自分が理想とする読者のことくらいしか考えていませんでした(笑)。

第2期と呼んでいる実験的な短編を書いていた頃は、こういう表現がどこまで通じるか、読者の反応を見始めていましたが、自分にとって契機となったのは『決壊』という長編小説です。

この作品は、人は人を殺してよいのかという哲学的な問いを含んだ小説で、気概としては全人類に関わりのある主題だという思いがあるのに、本当に文学を好きな人だけに届けば満足なのか? 当時、僕はNPOなどで具体的に活動している人たちと接する機会が増えていて、自分が専門にしている問題を世間に伝えるために、彼らがすごく努力していることを知りました。

だから文学者も、自分が扱っているテーマが本当に重要だと信じるなら、文学の完成度だけでなく、多くの読者に読んでもらうためにどうするべきか、考えるべきだと思うようになっていきました。その頃から主題の現代性と、それを読者がどう読むか、そのバランスを意識的に考えるようになりましたね。

――そうした流れの中で、「文学の森」のような読者とのオンラインでの読書会も実践されているのでしょうか。

十数年前に『本の読み方』という本を書いたのですが、当時の出版業界はわりと高圧的に“現代の若者は本を読まなくなった”と、読書離れについて嘆いていました。でも、ただ嘆くよりも、本をどう読めば楽しめるのかを語るほうが重要なのではないかと思ったんです。

本に限らず、今はいろいろ表現がありますが、僕からすると、それはどうかと思うような内容のものも少なくありません。余暇に差別を助長するようなテレビ番組などが溢れているなら、文学に触れてもらいたいですし、であれば本を読むことを勧める機会や場を作ったらどうか、と。

やはり現代人は孤独というか、友達はいても本の話をじっくりできる相手はいないという人も多いので、「文学の森」のような場があると、僕がいつも直接、関与していなくても、そこで交流が芽生えるんです。それはすごくいいことだと思っています。
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