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明治神宮の美の源泉とは? 中島精太郎宮司に伺いました

2020.11.11

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鎮座100年を迎える森の社を訪ねて 明治神宮100年目の美と森 最終回(全7回) 東京という都会の中心に位置し、荘厳な鎮守の杜と日本一の初詣参拝者数で知られる明治神宮。明治天皇と昭憲皇太后をお祀りし、創建されたのが1920年。戦後復興を経て今年は鎮座100年の節目となります。11月1日の鎮座百年祭に向けてさまざまな準備が行われてきました。それは明治神宮における美の再編ともいえます。この美の神域に美の源泉を辿り、新たな時代に向けてのメッセージを探ります。前回の記事はこちら>>

中島精太郎宮司に聞く、明治神宮の美の源泉


美の神域である明治神宮。ではその御祭神である明治天皇の美学とは何だったのでしょう。
明治神宮の御苑内にある閑かな隔雲亭(かくうんてい)にて中島精太郎宮司にお聞きしました。
中島精太郎宮司
中島精太郎(なかじま せいたろう)
明治神宮第11代宮司。

1946年、北海道生まれ。國學院大學文学部神道学科卒。22歳で明治神宮に奉職し、1974年権禰宜、1995 年禰宜、2003 年権宮司、2007年より現職。明治神宮の100年の歴史の半分以上をともに歩む。

「明治天皇様の美学は“御製”のなかにあります」


あの時代に、のべ10万という人が奉仕してできたこの美しい森には、自然の森とは違う人の心、魂が宿っている感じがします。よく「癒やし」といいますが、「洗心(せんしん)」という言葉があります。癒やしより洗心のほうがこの森にはふさわしいかなと思います。人の真心でできた森は人々の心を洗っていただけるところ。そういうことによって祈りの森となるのかと感じています。

私たち日本人の宗教観は自然と神と人間に境目がない。誰に教わるでなく感性としてそこに到達できるわけです。だんだん森の奥に入っていくとそこに神々しさとか清々しさが生まれてきます。

隔雲亭

隔雲亭
隔雲亭は茶室となっていて、こちらは立礼の間。周囲を広葉樹に囲まれ、昭和33年の再建当時の型板ガラスが美しい。

明治という時代、我々が想像できない社会環境の変化の中で、明治天皇様はご生涯、国と国民のことしか頭にありませんでした。つまり私情というものをことごとく自分から排していくという、自己修養にお務めなされた日々を送られていたと思います。

隔雲亭
御苑の南池(なんち)を見下ろす場所に建つ。色づく木々に心洗われる。

明治という時代から明治天皇様の美学を見ようとするとなかなか見えづらいと思います。むしろ明治天皇様から明治という時代を見るほうが本質が見えてくる。

では何をもって見るのかというと、御製(ぎょせい)、いわゆる和歌ですね。皇后様の場合は御歌(みうた)といいます。これを繙(ひもと)くと明治天皇様、昭憲皇太后様のお人柄がよく見えてきます。

明治天皇・御製
御製
御製は天皇が詠まれた和歌、皇后の場合は御歌という。御製約10万首のうち8936首をまとめた『類纂 新輯明治天皇御集』(1990年明治神宮刊)は大御心に触れる一読の価値ある書。「いそのかみ古きためしをたづねつつ新しき世のこともさだめむ」など、変化の激しい現代社会へのメッセージ、また生きるヒントに溢れている。

御製は鎮座四十年祭記念事業で刊行した『新輯(しんしゅう)明治天皇御集』を見ても9万3032首という膨大な数があります。自然を詠まれているものもたくさんありますが、そのほとんどが国のこと、国民のことで、心配されていることを切々とお詠みになっている。今風にいうなら上から目線ではないわけです。

目に見えぬ神にむかひてはぢざるは
人の心のまことなりけり

という代表的な御製があります。神様に恥じない心こそが誠の心であって、それは非常に清らかな心境であるし、それもまた神様は受け入れてくれる──。それはある種ご自分に言い聞かせていらっしゃるようにも思えるんですね。

国のため民のためにとおもふこと
夢のうちにもえこそ忘れね

この御製の大御心は、「国の繁栄のために、国民の幸福のためにと、心を尽くす我が願いは、夢の中でさえも、どうしても忘れることができません」という意味です。

明治天皇様のご生涯は、この御製さながらに「国安かれ民安かれ」と祈られたご生涯でした。その大御心は御歴代天皇におかれましても変わることなく、今上陛下へと受け継がれている、慈しみに満ちた尊い御心でもあります。

隔雲亭
隔雲亭は明治天皇が昭憲皇太后の御休所として建てられたが戦災で焼失。現在の建物は昭和33年に再建されたもの。

父君であった孝明天皇様から明治天皇様への影響は、非常に大きかったと思います。孝明天皇様は本当に祈りの深いかたでした。幕末の動乱期でしたからね。侍従を遣わして、それぞれご縁の深いお寺や神社に祈願されておられます。

明治天皇様の心の美学はやっぱりそういうところにあるんじゃないかと思います。だから、神々しさにより一層強いものがあるし、この森を造ったかたがたもそういう明治天皇様を敬慕されておられたと思います。

江戸から明治になり社会観が激変するなかで、明治天皇様の「五箇條の御誓文」は国造りの基本になっていました。今の時代では「きょうからこれで行きますよ」といわれても、崇高すぎて難しいだろうと思いますが、この機会に再認識くださるとよいですよね。

たとえば、「上下(しょうか)心を一(いつ)にして盛(さかん)に経綸(けいりん)を行ふべし」。自由に議論しようよ、物事を決める時というのはそういうものだよ。今日的に申し上げますと、このようなことでありましょうか。

このように、新しい時代に国民とともに国づくりをするにあたり、広く国民に意見を求められた時代でもありました。

御苑の散策路
菖蒲田で有名な御苑の都心とは思えない森が広がる散策路。かつての武蔵野を彷彿させる。

明治神宮は今年、鎮座百年祭を迎えました。これからも明治天皇様の御製、昭憲皇太后様の御歌にあります「心の美しさ」を奉戴申し上げ、明治の人々の心を大切にして「神やどる祈りの杜」として、お参り下さる皆様がたをお待ち申し上げたいと思います。

明治天皇と明治という時代


明治天皇、昭憲皇太后
孝明天皇の崩御により14歳で皇位を継承。翌年の大政奉還で明治が始まる。以後、五箇條の御誓文、版籍奉還、廃藩置県、学制頒布、鉄道・電信・電話網の敷設、太陽暦の採用、大日本帝国憲法発布、帝国議会の開設、など、行われたことは今の社会の土台となった。

そして日清・日露の戦争。大元帥であられた天皇は常に平和的解決を望まれた。前線の兵士を思い、冬もストーブを使われなかったという。こうしたわずか一代の御代において日本は近代国家へと一気に躍進する。

天皇自ら道を示され、自ら実践し、国と民のために祈る。国民にとって天皇はまさに畏敬の存在だった。明治天皇の崩御の報せは世界を駆け巡った。世界で指折りの偉大な君主の一人と見られていたからである。(写真はご尊影/明治神宮ミュージアム蔵)

五箇條の御誓文明治元年公布の五箇條の御誓文は、臣下を率いる天皇が日本の神々に誓われたもので、いわば自らを律する5つの誓い。身分に関係なく議論を尽くし、悪習を廃し世界に学び、国民すべてが夢を叶えられるようにという内容で、明治維新の先進性がわかる。
構成・取材・文/三宅 暁(編輯舎) 撮影/鈴木一彦

『家庭画報』2020年11月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。
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