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縄文人は太陽運行の規則性を知っていた! 全国各地に残された天文学的モニュメント

私たちに生きる縄文の遺伝子 8月・日の出日の入り

縄文

1995年6月21日夏至の日没 撮影/胡江 世界文化遺産・特別史跡 大湯環状列石(秋田県鹿角市十和田大湯)

世界文化遺産・特別史跡大湯環状列石には、直径30メートルを超えるふたつの環状列石、万座と野中堂がある。それぞれ環状に連なった列石が大小二重の円弧を形成し、その間に大きな石を立てた日時計状組石がある。そして、この30メートル以上離れた場所にあるふたつの日時計状組石を見通した先に夏至の太陽が沈む。4000年前の縄文人が遺した特別な空間だ。

二至二分

文=小林達雄(考古学者)

縄文人が自分たちの生活環境を塗り替えていく中で始めたのが、日常生活とは結び付かない記念物(モニュメント)の構築だった。そして彼らは記念物を造る際に、山を意識していた。これはちょうど能舞台のようでもある。

能舞台は、正面の鏡板に老松が描かれることで、象徴的な空間が成立する。それと同じように、縄文時代の記念物は山を視野に入れて造られた。

とりわけ際立って目立つ八の字形(富士山)の頂上と、日の出を合わせて、記念物造営の場所の選定や設計に取り組んだりもしている。その実例は全国各地に残されていて、天文学の先走りが見える。

縄文人は宇宙との交信のすぐ手前まで来ていたのであり、太陽運行の規則性を見逃すことはなかった。

春分の太陽は真東から昇り真西に落ち、それから北よりに位置を変えながら夏至まで移動する。その様子を遠景の山並みのシルエットと合わせて逐一確認できたのが、縄文人の生活技術、自然の社会化の成果のひとつであった。

『家庭画報』2022年8月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。

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