アート・カルチャー・ホビー
2020/11/02
オーストリア・ロースドルフ城のコレクションから。「海を渡った古伊万里」破壊から再生への物語 17世紀以降、数多くの器がヨーロッパに輸出された「伊万里焼」。オーストリアの、とある古城に渡った器は、戦禍の中で破壊されてしまいます。その破片が里帰りして美術館に展示されるまでの数奇な運命をたどります。
色絵唐獅子牡丹文亀甲透彫瓶
筒状の器の外側に、高度な技術で網目の透かし彫りを施した二重構造の瓶。このような器は国内の伝世品ではほとんど知られていない。有田窯 1700~1730年代 ロースドルフ城蔵
オーストリアの首都、ウィーンの北約70キロにあるロースドルフ城。美しい森と田園地帯にある古城です。現在の城主、ピアッティ家はもともと北イタリア出身で、18世紀後半にドイツのドレスデンに移住、ザクセンの宮廷で高い地位を得たとされています。ロースドルフ城を獲得し、移り住んだのは19世紀前半、今から5代前のことです。歴代の城主は芸術を愛し、なかでも東洋の陶磁器を熱心に蒐集、そのコレクションを維持、拡大してきました。
先々代城主、フェルディナンド・ピアッティのときに第二次世界大戦が始まり、膨大な陶磁器のコレクションは地下室に隠されました。しかし終戦直前の数か月間、城を接収した旧ソビエト軍がそれを見つけてしまいます。彼らは撤収する際、かつて城を豪華に飾っていた陶磁器の大多数を、心なくも破壊して去っていったのです。
旧ソビエト軍により破壊されたおびただしい数の器は、見る者に大きなショックを与える。今回の展観ではロースドルフ城の内部を一部再現する形で、こうした破片も展示される予定。
この陶片群が今回の物語の主役です。粉々に砕け散った大皿や壺が散らばる姿に、大きな衝撃を受けない人はいないでしょう。
ロースドルフ城のコレクションは、17世紀以降に日本から輸出された色絵の伊万里磁器、中国・景徳鎮窯の器が中心で、ほかにオランダのデルフト窯やドイツのマイセン窯、デンマークのロイヤル コペンハーゲン社など、ヨーロッパ各地の名窯の器が所蔵されています。残された陶片の数は1万点以上におよび、現在はあえて、城の一室の床に美しく散らすように展示され、インスタレーションとして公開されています。
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ヨーロッパで陶片が伝え残されてきた理由© SEKAI BUNKA PUBLISHING INC. All rights reserved.
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