学ぶ

齋藤 孝さんが紐解く“福澤諭吉という人”

明るくカラリと生きた
福澤諭吉年表

福沢諭吉

(写真/慶應義塾福澤研究センター)

1835年(天保5年)─0歳─
大坂堂島の中津藩蔵屋敷で下級藩士の子として生まれる。

1836年(天保7年)─1歳─
父百助死去。母お順と兄1人姉3人で中津に帰る。幼少の頃から、手先が器用で、明るく元気。神様のお札を踏んで、罰が当たるか確かめるような科学的合理的な思考があった。

1853年(嘉永6年)─18歳─
浦賀にペリーの黒船来航。

1854年(安政元年)─19歳─
兄三之助のすすめで蘭学修業のため長崎へ。

1855年(安政2年)─20歳─
医師で蘭学者の大坂の緒方洪庵の適塾へ入門。自由奔放な塾風で、当時、諭吉は大酒飲みだった。適塾は重要文化財として現存。
適塾へ入門
(撮影/本誌・坂本正行)

1856年(安政3年)─21歳─
兄三之助が病死したため家督を継ぐ。

1857年(安政4年)─22歳─
適塾の塾頭となる。
洪庵先生は、福澤の理想の教育者像となった
洪庵先生は、福澤の理想の教育者像となった。

1858年(安政5年)─23歳─
藩命令で江戸に出府。築地鉄砲洲の中津藩中屋敷に蘭学塾を開く。これが慶應義塾の起源。

1859年(安政6年)─24歳─
開港したばかりの横浜見学に出かけ、オランダ語が通用しないことを知り、英語の習得に励む。

1860年(万延元年)─25歳─
咸臨丸の司令官に直談判して従僕として渡米。
従僕として渡米
福澤諭吉(右端)と咸臨丸の乗組員5名。(写真/慶應義塾福澤研究センター)

1862年(文久2年)─27歳─
遣欧使節団に随行。香港、シンガポール、カイロを経てマルセイユへ。フランス、イギリス、オランダ、プロシア、ロシア、ポルトガルを回る。この折、西洋列強に蚕食されるアジア諸国を目の当たりにし、強い危機感を抱く。
ベルリンにて
ベルリンにて。(写真/慶應義塾福澤研究センター)

1866年(慶應2年)─31歳─
『西洋事情』初編を刊行。五箇条の御誓文や新政府の制度法令整備に影響を与えたといわれている。
『西洋事情』初編を刊行
『西洋事情』初編。福澤の名を世に知らしめたデビュー作。(写真/慶應義塾福澤研究センター)

1867年(慶應3年)─32歳─
幕府の軍艦受取委員随員として再渡米。

1868年(慶應4年)─33歳─
芝新銭座(現JR浜松町駅近く)に塾を移転。時の年号にちなみ、名を「慶應義塾」と定める。授業料に当たる制度をつくり、生徒全員から平等に集めた。9月改元、明治となる。『訓蒙窮理図解(きんもうきゅうりずかい)』(初等の理科の本)刊行。

1870年(明治3年)─35歳─
中津にいた、母を伴って上京。中津で「中津留別之書」を執筆。

1871年(明治4年)─36歳─
慶應義塾、新銭座から三田へ移転。8歳の長男一太郎と6歳の次男捨次郎のために『ひゞのをしへ』を書き与える。
明治5年頃の諭吉と一太郎・捨次郎
明治5年頃の諭吉と一太郎・捨次郎。9人の子どもを溺愛した家庭人だった。(写真/慶應義塾福澤研究センター)

1872年(明治5年)─37歳─
『学問のすすめ』初編を刊行。明治9年17編で完結。累計部数340万部の大ベストセラーに。

1875年(明治8年)─40歳─
三田演説館開館。『文明論之概略』刊行。西郷隆盛も愛読したといわれている。
三田演説館
三田演説館。(写真/慶應義塾広報室)

1876年(明治9年)─41歳─
雑誌『家庭叢談』創刊。「家庭」という言葉が定着する契機となる。
家庭叢談
家庭教育を重視した福澤が創刊した『家庭叢談』。(写真/慶應義塾福澤研究センター)

1880年(明治13年)─45歳─
わが国初の社交クラブ「交詢社」設立。
明治末頃の交詢社社屋
現在の銀座に建つ明治末頃の交詢社社屋。(写真/慶應義塾福澤研究センター)

1882年(明治15年)─47歳─
不偏不党の新聞『時事新報』創刊。以降、病気で静養に入るまで、16年間、健筆をふるった。
『時事新報』創刊号
『時事新報』創刊号。福澤言論の発信拠点となった。(所蔵/慶應義塾図書館)

1890年(明治23年)─55歳─
慶應義塾に大学部を設置。

1892年(明治25年)─57歳─
北里柴三郎を助けて伝染病研究所の設立に尽力。

1894年(明治27年)─59歳─
中津にある耶馬渓(やばけい)の競秀峰(きょうしゅうほう)一帯が売却されると聞き、これを買収。自然保護の先駆といえる。

1897年(明治30年)─61歳─
『福翁百話』刊行。

1899年(明治32年)─64歳─
『福翁自伝』『女大学評論・新女大学』刊行。

1900年(明治33年)─65歳─
高弟数名に編纂させた『修身要領』を発表。

他界の前年、明治33年5月の福澤夫妻肖像写真
他界の前年、明治33年5月の福澤夫妻肖像写真。(写真/慶應義塾福澤研究センター)

1901年(明治34年)─66歳─
2月3日永眠。戒名は「大観院独立自尊居士」。

*参考文献/福澤旧邸保存会リーフレット、『福沢諭吉 学問のすゝめ』(NHK出版)、『福澤諭吉 家庭教育のすすめ』(慶應義塾大学出版会)

撮影/本誌・坂本正行、西山 航(人物) 取材・文/大山直美 取材協力/慶應義塾福澤研究センター、慶應義塾広報室

※参考文献/『学問のすゝめ』『文明論之概略』『福翁自伝』(以上岩波文庫)、『福澤諭吉 家庭教育のすすめ』『福翁百話』(以上慶應義塾大学出版会)、『女大学評論・新女大学』(講談社学術文庫)、『現代語訳 学問のすすめ』『現代語訳 福翁自伝』『現代語訳 文明論之概略』『おとな「学問のすすめ」』(以上筑摩書房)、『福沢諭吉 学問のすゝめ』(NHK 出版)、『子どものための偉人伝 福沢諭吉』(PHP 研究所)、『慶應義塾150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展』(慶應義塾)

『家庭画報』2020年10月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。

Ranking今週の人気記事 ベスト5

家庭画報 最新号

6月号 4月30日発売

魅惑の「豪邸」拝見

一部地域は輸送の関係で発売が遅れる可能性があります。

© SEKAI BUNKA PUBLISHING INC. All rights reserved.

Loading