世の中は、デジタル化、スピード化が急速に進み、私たちの暮らしはますます便利で快適なものになりました。しかし、はたして私たちは幸せを手にすることができたといえるのでしょうか。私たちの暮らしはどこかで、大切なものを置き忘れてしまっていないでしょうか。義理人情に厚く、おせっかいで、濃密な人間関係に支えられた昭和という時代。どこか不器用でアナログな“昭和”を見つめることで、合理性一辺倒ではない、暮らしの豊かさを再発見していきます。
本当の豊かさ宿る「昭和遺産」
懐かしいあの味、家族で行った洋食屋
文・平松洋子 (エッセイスト)
洋食は、“西洋”の料理そのものではなく、あくまでも「和洋折衷の料理」だというところに人気の秘密がある。明治以降、ハイカラ好きの日本人のあいだで“西洋”の味はみるみる市民権を得ていくのだが、その過程で、料理しやすく、食べやすい料理にアレンジされていった。続きはこちら>>
日中友好の親善大使
パンダのランラン・カンカン
昭和47年、日中国交正常化を記念して中華人民共和国から贈呈されたランラン(左)とカンカン。11月5日に東京・上野動物園で一般公開されると同時に日本中に大フィーバーを巻き起こした。続きはこちら>>
東京・雑司が谷に現存する
昭和の趣漂う駄菓子屋
かつて、学校から帰ったら、わずかなお小遣いを握りしめ駄菓子屋へと走ったもの。色とりどりの駄菓子から、メンコや紙飛行機といったおもちゃまで揃う店は子どもたちの遊びの拠点だった。続きはこちら>>
“懐かしの昭和”で町おこし
昭和の町 豊後高田(大分県)
文・泉 麻人(コラムニスト)
豊後高田の町を訪ねるのは2度目。およそ10数年前に紀行番組の仕事で立ち寄ったはずだが、そのときはあまりゆっくりと散策する時間はなかった。続きはこちら>>
創建当時の姿に復原された
東京駅丸の内駅舎
全長335メートルという長い駅舎は世界の都市の駅と比べても珍しいという。2つのドームは、関東大震災には耐えたものの、第二次世界大戦の戦災で上部が倒壊。平成24年に終えた保存・復原工事により、ほぼ設計当時のままに復原が叶った。続きはこちら>>
夏座敷──住まいの衣替えという発想
温帯モンスーン気候帯で、高温多湿の日本の夏は、熱帯の国々と同じくらいに暑いといわれます。この暑さをしのぐため古来から日本人は知恵を絞り、工夫してきましたが、その究極の形が「夏座敷」でした。続きはこちら>>
今も昔も楽しい、子供の草花遊び
昭和の子どもは遊びの天才。お金をかけずに工夫して遊びました。続きはこちら>>
花火で夕涼み 縁台に集う
高温多湿の夏は、「暮らしを外に持ち出す」ことが日本の知恵でした。縁台は、縁側の機能を家具に仕立てたもの。上がり框(かまち)とほぼ同じ高さで、いわば座敷の出張所のような生活空間でした。続きはこちら>>
夏といえば、なんといってもかき氷
シャカシャカと大きな鋸のこぎりで氷を切る氷屋さんの音。飛び散る氷片。そして、鋳物の重たそうなかき氷器から、勢いよくみるみるうちに山盛りとなるかき氷。続きはこちら>>
「“何もないけれど、どうぞ”といえるのが嬉しかった時代です」
江上栄子さん(料理研究家)
昭和を代表する家庭の味といえば、卵焼きが思い浮かびます。子どもの頃のお弁当に入っていた卵焼きのおいしかったこと。ほんのり甘くて香ばしい卵焼きに、誰もが笑顔になりました。続きはこちら>>
金継ぎや手縫い雑巾に宿る“もったいない”の心
談・小山薫堂(放送作家)
稲刈りをした後、お米を食べるだけではなく、わらを使って草鞋を作り、使い果たしたら燃やして灰にして肥料に使い、また新しい農作物を育てる。それはサステナビリティであり、日本流にいうと、「もったいない」。続きはこちら>>
エッフェル塔より高い「昭和の金字塔」
東京タワー
家庭画報本誌の創刊と同じ昭和33年の開業。エッフェル塔を超える高さ333メートルは、自立鉄塔としては当時世界一。続きはこちら>>
すべてのアイテムが今も現役!
読者が選んだ“わたしの昭和遺産”
昭和時代に誕生して一世を風靡した食品、おもちゃ、雑貨など暮らしの中の身近な「昭和遺産」を読者アンケートの結果をもとに集めました。すべて今も買えるものばかり。目から鱗の蘊蓄とともにご紹介します。続きはこちら>>
本誌が考える【昭和遺産】とは、昭和時代に生み出されたもの、もしくは昭和時代に広く一般に親しまれたもので、次世代へ継承したいモノ、コト、場所を指します。
『家庭画報』2020年8月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。