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「徳川家康の“逆境”人生年表」。絶体絶命の危機を克服した、壮絶な人生を振り返る

2023.04.20

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徳川家康の秘密 第4回(全26回) 東海道で結ばれる出世の道を巡りながら、人間・徳川家康の実像と、意外に知られていない現在の日本人と家康との関係に迫ります。前回の記事はこちら>>

居城で辿る家康の逆境人生年表


困難を乗り越えて人は強くなる――
絶体絶命の危機を克服した壮絶な人生を振り返ります。

生誕の地 岡崎城


居城で辿る家康の逆境人生年表
生誕からわずか6歳で人質に出されるまでと、桶狭間の戦いの後、今川家から帰還し、自立した19歳から29歳までをここで過ごす。江戸時代以降「神君出生の城」として神聖視され、本多家、水野家、松平家など家格の高い譜代大名が城主となる。

出世城 浜松城


居城で辿る家康の逆境人生年表

写真/msks〈PIXTA〉

かつての主家・今川氏真を1569(永禄12)年に降伏させ遠江を領有。遠江支配のため、三河から曳馬城に移り、ここを浜松と名づけた。29歳~45歳まで17年間の居城。1572(元亀3)年三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗するも、後、駿河、甲斐、信濃を加えた5か国を領有したことで、家康の出世城と呼ばれる。

2度戻った 駿府城


居城で辿る家康の逆境人生年表
武田氏を攻め滅ぼした家康は、信長から駿河を与えられる。今川家の人質として8歳から19歳まで、45歳から49歳まで、将軍職を秀忠に譲った大御所時代の66歳からの、幼年、壮年、晩年の3期にわたって過ごす。大御所として天下の実権は握り続けたため、駿府は事実上の首府として繁栄した。

東京の礎を築いた 江戸城


居城で辿る家康の逆境人生年表
写真/まちゃー〈PIXTA〉

1590(天正18)年、小田原征伐により秀吉による関東平定が完了すると、家康は僻地・江戸への国替えを命じられる。当時の江戸は大湿地帯で、利根川の東遷の大事業などを経て開発。現在の日本の三大都市のうち東京と名古屋は、家康により作られたことになり、その功績は計り知れない。

居城で辿る家康の逆境人生年表
駿府城公園、鷹狩姿の家康像。撮影/本誌・西山 航

【岡崎城幼少期】


1542(天文11)年 1歳
三河の岡崎城で松平広忠・於大の方の長男として「寅の年、寅の日、寅の刻」に誕生。幼名は竹千代。

居城で辿る家康の逆境人生年表
東照公産湯の井戸(岡崎城)。撮影/小林廉宜

1544(天文13)年 3歳
於大の方の兄・水野信元が織田方に寝返ったため、離縁され、生みの母と生き別れ。

居城で辿る家康の逆境人生年表
於大の方像(大樹寺)。撮影/小林廉宜

1547(天文16)年 6歳
人質として尾張国・織田信秀のもとに送られる。

【駿府人質時代】


1549(天文18)年 8歳
織田・今川の人質交換で駿府の今川義元のもとへ。義元の許可を得て、臨濟寺にて、太原雪斎に学問を学ぶ。天下泰平の礎は、幼時期の雪斎の感化にある。

居城で辿る家康の逆境人生年表
竹千代君像。(JR静岡駅前)

1556(弘治2)年 15歳
今川家の家臣・関口氏純の娘・築山殿と結婚。

【岡崎城時代】


1560(永禄3)年 19歳
桶狭間の戦いで今川義元が敗死。家康(元信)は、今川軍の一翼を担っていたが、これを機に岡崎に戻る。いったん松平家の菩提寺・大樹寺に入り、岡崎城に誰もいなくなったことを確認したうえで、岡崎城に帰還。「捨て城なら拾おうではないか」。

居城で辿る家康の逆境人生年表
家康の父・広忠含め松平家8代の墓が並ぶ大樹寺廟所。

1563(永禄6)年 22歳
3大危機(1)三河一向一揆で家臣団が大分裂。

【浜松城時代】


1570(永禄13/元亀元)年 29歳
居城を浜松城に移す。姉川の戦いで、織田信長とともに浅井・朝倉軍に勝利。

1572(元亀3)年 31歳
3大危機(2)三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗。
居城で辿る家康の逆境人生年表
岡崎城の「しかみ像」。撮影/小林廉宜

1575(天正3)年 34歳
長篠・設楽原の戦いで、信長とともに武田勝頼を破る。

1579(天正7)年 38歳
信長の命により、築山殿を殺害、長男・信康を謀反の疑いで切腹させる。

1582(天正10)年 41歳
三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の5か国を支配する。

3大危機(3)本能寺の変の後、伊賀を通って三河まで帰る決死の「神君伊賀越え」。

1584(天正12)年 43歳
小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉軍に勝利。

【駿府城】


1586(天正14)年 45歳
居城を駿府に移す。

【江戸城時代】


1590(天正18)年 49歳
秀吉の命で、本拠地を放棄し、関東の荒れ地、江戸に移封。

1600(慶長5)年 59歳
関ヶ原の戦いで石田三成軍に勝利し、実質的な天下人となる。

1603(慶長8)年 62歳
征夷大将軍に就任。江戸幕府を開く。

【駿府城時代】


1607(慶長12)年 66歳
駿府城に入り大御所政治。

1610(慶長15)年 69歳
名古屋城の普請を開始。

1614(慶長19)年 73歳
方広寺鐘銘事件。大坂冬の陣。

1615(慶長20/元和元)年 74歳
大坂夏の陣。豊臣氏を滅亡させる。名実ともに天下人となる。

1616(元和2)年 75歳
駿府城で没。遺命により駿河の久能山に埋葬される。

1617(元和3)年
東照大権現となる。

居城で辿る家康の逆境人生年表

家康の墓・神廟(久能山東照宮)。写真/本誌・西山 航
撮影/本誌・西山 航 取材・文/清水千佳子
『家庭画報』2023年5月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。
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