アート・カルチャー・ホビー

小説家・平野啓一郎さんが最新作『本心』で描く世界

第11回 平野啓一郎さん
〔前編〕

小説を書くということ~作家が語る、書くこと、読むこと 小説が読まれない、小説が売れない。そんな話を耳にする昨今。けれど、よい小説には日常とは別の時空を立ち上げ、それを読む人の心をとらえる“何か”があることは、いつの時代も変わらない事実。SNSやブログを通じて、誰もが書くことができるこの時代、小説を書くとはどういうことなのか。小説家はどんなことを考えながら、小説を書き、読んでいるのか。作家の方々に、それぞれの小説作法を尋ねます。連載一覧はこちら>>

平野啓一郎さんインタビューひらのけいいちろう●1975年愛知県出身、北九州市で育つ。大学在学中に発表した『日蝕』で芥川賞を受賞し、注目を集める。以来、小説、エッセイ、対談集など多くの作品を発表。美術や音楽にも造詣が深く、各ジャンルのアーティストとコラボレーションを行っている。近作に、映画化もされた『マチネの終わりに』ほか、『ある男』『「カッコいい」とは何か』など。2020年から芥川龍之介賞の選考委員を務めている。


京都大学在学中に発表したデビュー作『日蝕』で芥川賞を受賞以来、コンスタントに作品を発表し続ける平野啓一郎さん。ロマン主義三部作から創作における実験期を経て、「人間の中には対人関係ごとに複数の分人が存在している」という分人主義を提唱する平野さんは、複雑化する世界がどこに、どのように向かおうとしているのか。その動きを冷静に見つめ、今という時代を、そのアクチュアルな小説を通じて描いてゆく。

映画化もされたロングセラー中の小説『マチネの終わりに』、アイデンティティをテーマに運命とは何かを問う前作『ある男』に続く最新作『本心』は、2009年に発表した『ドーン』に続き、近未来を舞台にした長編小説だ。

たった一人の肉親であり、「自由死」を望んでいた母親を事故で亡くした主人公の朔也(さくや)は、その喪失感を埋めようと、母親のヴァーチャル・フィギュア(VF)の製作を依頼する。母親はなぜ自ら死を望んだのか。その本心を知ろうと、彼女と交友のあった人々の話を聞くにつれ、朔也は自分が知らなかった母親の顔を知らされてゆく。

AI(人工知能)はいつ人間を超えるのか。シンギュラリティが議論され、わたしたちの多くが、近い将来について関心を持たざるを得ない今という時代を照射するように、『本心』ではさまざまな課題が描かれる。

最新のAI技術でつくられた母親とのやりとりや、朔也が就いているリアル・アバターという仕事から見えてくる、今と地続きにある20年後の世界がどのように構想されたのか。平野さんにうかがった。

平野啓一郎『本心』 インタビュー平野啓一郎『本心』(文藝春秋)

「お母様のVFを製作してほしい、というご依頼ですね。」
「はい。」
「VFについては、おおよそ、ご存じですか?」
「――多分、一般的なことくらいしか。」
「仮想空間の中に、人間を作ります。モデルがいる場合と、まったく架空の人物の場合と、両方あります。石川(いしかわ)様の場合は、いる方、ですね。姿かたちは、本当の人間と、まったく区別がつきません。たとえば、わたしのVFとわたし本人とが、仮想空間で石川様にお会いしても、まず、どちらが本物かは見分けられないと思います。」
「そこまで……ですか?」
「はい、あとでお見せしますが、その点に関しましては、ご信頼ください。話しかければ、非常に自然に受け答えをしてくれます。――ただ、“心”はありません。会話を統語論的に分析して、最適な返答をするだけです。」
「それは理解しています。」
「興覚(きょうざ)めかもしれませんが、どれほど強調しても、お客様は途中から、必ずVFに“心”を感じ始めます。もちろんそれがVFの理想ですが、その誤解に基づいたクレームが少なからずありますので、最初に確認させていただいています。」
半信半疑だったが、想像すると、喜びというより不穏なものを感じた。
僕は端的に言って、欺(だま)されたがっている人間だった。そして、彼女の口調は、製品の説明というより、僕自身の治療方針・・・・の確認のようだった。

『本心』より

AIの進化に伴い急速に変化する社会

――『本心』では、AIによって変化する人間を取り巻く環境が描かれています。この小説はどんなところから構想されたのでしょうか。

小説は、いろいろな考えや思いが入り組んでひとつの形になっていくものですが、僕は10歳と8歳の子どもがいるので、この子たちが大人になった時に社会がどうなっているかについてはかなり真剣に考えるんです。今の教育プログラムにそのまま乗っていても将来が約束されるとはとても思えないし、彼らにどんな力をつけさせてあげれば、よりよく生きていけるだろうか、と。それが自分の世代が70歳になり、子どもたちが社会の中心になる時代がどうなっているかを考えようと思ったひとつのきっかけです。

――AIの進化に伴い、社会が急速に変化する中、わたしたちの多くは近い将来に強い関心を寄せています。

メディアも取り上げていますけど、AIが発達した社会でどんな仕事が残るのか。それは子どもたちがどう生きていくかという心配と一体になっています。

ここ数年、ウーバーイーツのような労働形態が急速に増えていますが、食べ物の配達だけでなく、依頼者に応じて行動する、何でも屋さんのような拡張された仕事は、ロボットにはなかなか臨機応変に対応できません。AIや機械ができるかもしれないけれど、コスト的に見合わない仕事は残る可能性が高く、遠隔で操作する人に応じて作業する人が増えるのではないかという想像から、リアル・アバターという仕事を考えました。

これはボランティアだったようですけど、コロナでロックダウン中のニューヨークでは、高齢者のためにスーパーに買い物に行くという動きも起きています。連載を始めた頃、AIの美空ひばりが登場して話題になりましたが、連載の途中、それまでイマイチ世界観がよく理解できなかったけれど、急にわかるようになった、という読者の反応もありました。

――小説が時代とシンクロしたという……。

そうですね。僕としてはもう少し先の話として書いているつもりでしたが、コロナによっていろいろなことが加速した印象があります。

誰もが最新の世界に適応できるわけではない

――AI化が進むと、自分の仕事が機械に取って代わられるのではないか。多くの人の不安はそこに起因していると思うのですが。

日本の場合、自己紹介でもまずは職業を尋ねるように、仕事とアイデンティティが強烈に結びついているし、終身雇用がかなり長く続いたので、ひとつの仕事を長く続けるイメージが持たれています。

ただ社会が激変している時代に、ある企業が社会とマッチする期間がどのくらい続くかはわからないし、転職や解雇が普通に起きる状況下で、誰もが最新の世界に適応しながら転職を繰り返せるかといえば、おそらくそうではないでしょう。

一方で社会保障も破綻の危機に瀕しているので、将来のことを考えるとあまり楽観できないのですが、だからこそ小説は絶望的なタッチで書きたくないという気持ちがありました。小説の中で生きる人たちの心情を細やかに描くことで、読者の気持ちが生きる方向に向かっていくようにしたいと思いながら書きました。

――仕事について、いろいろ考えさせられる作品でもあります。

余暇に消費する楽しみや、人間関係を築く喜びなどをすべて奪うこと。それが低賃金長時間労働の問題だと、僕は思っています。今後は仕事を兼業しないとなかなか生きていけない状況が来るでしょうけれど、いろいろなことが上手く回って充実感と豊かさが増す兼業と、追い詰められてやらざるを得ない兼業に二分化する。その労働状況をコントロールするのは難しいことだと思います。

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