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帝国ホテル東京 料理長・杉本雄さんが語る 母・杉本三枝子さん。忘れられない母の味

わたしの人生の灯台 母の肖像 最終回(全3回) 誰にでも“お母さん”がいます。当たり前でありながら、かけがえのない特別な存在。どんなかたちであれ、母親ほど私たちに大きな愛情を注ぎ、影響を与える人はいないでしょう。“母の愛”が人生の大きな道しるべとなった3人のかたの心に響く物語をお届けします。前回の記事はこちら>>

杉本 雄さん(帝国ホテル東京 料理長)が語る 母・杉本三枝子さん

欧州での13年間、パリの一流レストランなどでフランス料理の技を磨き、帰国後、38歳の若さで帝国ホテルの第14代東京料理長となった杉本 雄さん。現状に甘んじることなく、常に挑戦を続けるその姿勢は、母・三枝子さんの寛容な愛によって育まれたものでした。

杉本 雄さん

杉本 雄さん
1980年、千葉県生まれ。99年帝国ホテルに入社し、メインダイニング「レ セゾン」の配属となる。2004年退社し渡仏。ヤニック・アレノ、アラン・デュカスらのもとで研鑽を積み、17年帰国。同年、再び帝国ホテルに入社。19年第14代東京料理長に就任。写真は19世紀末に出版されたジョゼフ・ファーヴルの料理事典を手にする杉本さん。全4冊からなるこの洋書は、杉本さんのバイブル。完成した料理の写真がなく文字中心のため、内容を想像する楽しみがあるという。

「料理上手でおおらかな母。これからは、自分の料理で感謝の気持ちを伝えたい」── 杉本 雄

杉本 雄さんと母三枝子さん

三枝子さんと一緒に行ったハワイでの一枚。ご両親ともに海外志向があり、昔も今もハワイを頻繁に訪ねている。

杉本三枝子さん
料理好きの両親のもと、千葉県銚子市で生まれる。大学の国際観光学科で同窓だった泰英さんと出会い、結婚。一男一女をもうける。大学時代には、インターンシップで帝国ホテルに勤務した経験も。

祖父譲りの料理上手。母の手料理が今日の源泉

私が生まれ育った千葉県銚子市は、サンマやサバ、イワシなどの産地として知られる港町です。母はこの町で育ち、結婚してからもここに居を構え、現在も銚子で暮らしています。

母の父、つまり私の祖父は、当時の男性としては珍しく、「専門調理師」の免許を持っていました。昔は一級調理師という呼び名だったようですが、この資格は調理師免許の上に位置づけられ、保持者は調理師学校の教員になることもできます。

といっても祖父は教員になりたかったわけではなく、本格的に調理を楽しむために、趣味の一環として取得したのだそうです。子どもの頃、味にうるさく美食家だった祖父が、大きな包丁を使って魚をさばいていたことなどをよく覚えています。

そんな祖父のもとで育った母も料理上手ですが、結婚後は仕事を持っていたため、昼間は家にいないことが多く、長時間キッチンに立つことはありませんでした。でも、週末や時間があるときはいつもおいしい手料理を作ってくれました。例えば、チキンのクリームソース煮や、カニの身をほぐしてベシャメルソースとからめ、椎茸の中に詰めてグラタンのようにしたもの等々。

ご両親の陶芸品

陶芸は仲のよいご両親の趣味の一つ。この器は数ある作品の中から杉本さんが譲り受けたもの。「mond dia dohe」とは、ハワイの象徴、ダイヤモンドヘッドのことで、ハワイに対する想いを書いたもの。日々、愛用中。

銚子の漁港で揚がる魚には、市場まで行かずに地域で消費されるものもたくさんあります。うちの家ではそういう食材を使った料理が多かったです。私が小学生の頃、土曜日の昼食によく出してくれたふぐの塩焼きも、そんな料理の一つです。

なぜ曜日まで覚えているかというと、土曜日は小学校が早く終わるため。下校のチャイムが鳴ると、お昼ご飯を楽しみにして急いで家に帰るのです。すると、ふぐがあると(笑)。もちろん、焼き物にするふぐなので高級なものではありませんが、鮮度がとてもよいので、塩をして焼いただけですごくおいしかったことが印象に残っています。

こうした家庭環境の中、私の興味も自然に料理に向いていきました。

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