インタビュー・レポート

樹木希林のことばの種【梶川芳友さん×内田也哉子さん特別対談】

「ここに来ると、ほっとするの」そういって、樹木希林さんは生前、何必館(かひつかん)・京都現代美術館に幾度となく足を運びました。そして、館長である梶川芳友さんと尽きぬ語らいのときを過ごしました。樹木さんが亡くなって1年余り。内田也哉子さんは、次男の玄兎(げんと)くんと京都を訪れました。母と長年の友が交わした言葉を、今ひとたび辿るために——。

樹木希林のことばの種
——母の生き方の原点を探して——

梶川芳友さん(何必館・京都現代美術館館長)×内田也哉子さん(文筆家、翻訳家)

梶川芳友さんと内田也哉子さん

梶川さんを美術の世界に導いた村上華岳の仏画が掛かる茶室にて。樹木さんも飽くことなく向き合い、晩年は複製を身近に置いたというこの1枚に、也哉子さんも会いに来た。

「母にとって師であり、数少ない心の友だったと思います」—— 内田さん

内田さん(以下敬称略) 母はいつも小さい荷物のガラガラを引いて、ふらっとこちらに現れて。梶川さんがいらっしゃらなければ、ご縁がなかったと帰っていくんだけど、大抵は会えましたよね。

梶川さん(以下敬称略) ある程度見当がつくの。気配というか。電話もね、「リーン」と鳴って「樹木さんと違う?」と家内にいうと、「樹木さんです」。

内田 ええ?

梶川 いや、本当に。何か目に見えない要素というか、同じ周波数みたいなものをキャッチするアンテナがあったのかもしれないですね。

内田 そうですね。本当に大事なとき、これを聞きたいというときには、電話で何時間でも朝までしゃべる。話が永遠に終わらない。

梶川 「じゃあ、この続きをまた話しましょう」という「今度」がないんです。というのは、お互いの中で同じ状態があるわけがないから。ぷつっと切れたら続きはないわけです。

内田 ないから、とことん話す。母にとっては、梶川さんは師であり、本当に数少ない心の友だったと思うんです。お目にかかるときも、やっぱりかなり話を深めていく感じでしたか。

樹木希林さんと梶川さん

「座辺師友(ざへんしゆう)」——優れたものや人に囲まれていると、おのずとそのことが身につく。すなわち周りのすべてが師であり友であることの意。梶川さんから教えられた北大路魯山人の言葉を、樹木さんは終生信条とした。2008年、京都・梶川家にて。

死ぬっていうことはどういうこと?

梶川 いつも長く話をする中で、樹木さんは、突然核心というかな、たとえば「死ぬっていうことはどういうことなの?」って聞かれる。

内田 「一言で答えて」というでしょう?

梶川 そう。それは、僕がどの深さでものを考えているかということを、ある意味試されているのかもしれない。

内田 どう答えられたんですか。

梶川 「死ぬっていうことは、人の中に生きるっていうこと。そして、自分の中に逝った人を生かし続けるということではないかなあ」と。

内田 はあ、それがふっと出る。

梶川 自分の中に確たるものがないと、なかなか一言に尽くすことはできないわけだから。

内田 母の問いに対して投げ返せるその動じない強さを、母はとてもおもしろがっていたんだと思います。母の言葉は、自分がさまざまなところから吸収したものでオリジナルではないんです。言葉というのは受け取る側がどう捉えるかですから、母も梶川さんの言葉を、自分なりに消化して心身に蓄積していったんでしょうね。

内田也哉子さん

男物と女物の結城紬を半身ずつ合わせて仕立てたきものに更紗の帯。母から譲り受けたというきものを纏う也哉子さんに、樹木さんの面影が重なる。

内田也哉子(うちだ・ややこ)さん
1976年東京都生まれ。文筆家、翻訳家。音楽ユニットsighboatでも活動。映画『東京タワーオカンとボクと、時々、オトン』で第31回日本アカデミー賞新人俳優賞受賞。19歳で俳優の本木雅弘さんと結婚。3児の母。近著は『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社刊)。

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