インタビュー・レポート

スポーツクライミング 野口啓代 選手「引退を宣言している女王が今、最高の笑顔を見せる理由」

すべてを糧に未来を信じて 届け! スポーツの力 第3回(最終回) 私たちはなぜこんなにも、スポーツに魅了されるのでしょうか。人生のすべてを賭けて、競技に向き合ってきたカヌー・スラロームの羽根田卓也選手、競泳の萩野公介選手、スポーツクライミングの野口啓代選手にスポーツへの思いを語っていただきました。前回の記事はこちら>>

野口 啓代(スポーツクライミング)
引退を宣言している女王が今、最高の笑顔を見せる理由

野口啓代(スポーツクライミング)引退を宣言している女王が今、最高の笑顔を見せる理由
2019年世界選手権第7日、得意とする種目、ボルダリングの予選に挑む。ホールド(突起物)を摑む手の爪は「塗ると気合が入る」という赤。写真/共同通信社

長い手足を自在に操り、そそり立つ壁を登っていく野口啓代選手は、20年間、第一線で活躍を続ける、クライミング界の女王です。

小学5年生でクライミングに出会うまで、習い事はピアノに書道、英会話。スポーツには無縁だった少女が、瞬く間に才能を開花させた背景には、茨城で牧場を経営する家で伸び伸びと育った日々がありました。

「牛舎の屋根や庭の木に登るのが大好きで、クライミングの壁も同じような感覚で登れました。指先の力が強いのも木登りのおかげですね」。明るく話す野口選手に、現役最後の夏を迎えた今の思いを聞きました。

野口啓代(スポーツクライミング)引退を宣言している女王が今、最高の笑顔を見せる理由

野口啓代(のぐち・あきよ)
1989年茨城県生まれ。クライミングを始めてわずか1年の小学6年生時に全日本ユース制覇。2008年に日本人として初優勝したボルダリングワールドカップでは通算21勝。これまでに4度、ワールドカップ年間総合優勝の栄誉に輝く。19年世界選手権で2位となり、東京2020の代表に内定。メダル候補として活躍が期待されている。TEAM au 所属。写真は、実家にあるスピードの壁を笑顔で登る野口選手。「高い所も全然平気」なのも大きな強み。写真/松尾憲二郎(アフロスポーツ)

父のサポートも力に変えて競技人生の集大成へ

――今は1日に何時間くらいクライミングの練習をしますか。

野口啓代選手(以下N) 6時間~8時間です。スピードとボルダリング、リードの3種目で戦うオリンピックに向けて、毎日2種目以上の練習をしています。

――ご実家にクライミングの壁があって、いつでも練習できるのはいいですね。

N 父のサポートには本当に感謝しています。クライミングというマイナー競技でプロとしてやっていけるかどうか不安だった時期も、父は「自分が今いちばん好きなことをやったほうがいい」と背中を押してくれました。なかなかいえることではないと思っています。

――20年間の競技人生で、いちばん苦しかったのはいつですか。

N 2015年に初めて足の怪我をしたときです。幸い、それほどひどい怪我ではなく、数か月で治ったのですが、それまでどこも怪我をしたことがなかったので、痛みや思うように動けないことが辛かったです。よかったのは、リハビリをきっかけにトレーナーに体の使い方を教わるようになったこと。ずっと独学で取り組んでいた自分のクライミングを別の視点から考えるきっかけにもなりました。

――2016年に、東京2020で初めてスポーツクライミングが採用されると知ったときのお気持ちは?

N 私自身も採用のための招致活動をしていて手ごたえは感じていたのですが、実際に決まったときは驚きました。私が始めた頃、クライミングはとてもマイナーな競技で、オリンピックは自分にとって出るものではなく、見るもの。ほかのメジャーなスポーツと一緒にオリンピックの競技になる日が来るなんて、という感じでした。採用がきっかけで国内でも知られるようになり、クライミングジムが一気に増えたのは本当に嬉しいです。

――採用決定を聞いて、すぐに「出場するぞ!」と思いましたか。

N いえ、最初は目指すかどうか迷いました。27歳だった私には、2020年に31歳になっている自分が想像できなかったんです。「オリンピックを目指します」と口にできるまでには時間がかかりましたね。でも、足の怪我が治ってきて、どんどん調子が戻ってきたことで、「経験したことのない大きな舞台に出たい。目指してみようかな」とポジティブに考えられるようになりました。

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