動物

【スーパー獣医 野村潤一郎先生の動物エッセイ】骸骨のような猫が病院にやってきた

イラスト/コバヤシヨシノリ

数か月が過ぎた。中野通りのソメイヨシノは満開だ。暖かい上昇気流に乗った花びらが病院ビルの上空高くまで吹き上げられ、再び碧い空から舞い落ちるのを見るのが好きだ。

突然猫の飼い主がやってきた。暗い顔をしているのが気にかかる。そして目を合わせない。

「どうしました、猫は元気にしていますか?」
「それが元気過ぎて……」
「ほっ、それはよかったです」

しかし飼い主はこう続けた。
「……この猫、安楽死させてください」

私はこの言葉を聞いて、今何が起こっているのか理解できず、しばらく呆然としてしまった。

「………なぜです! なぜですか! 理由は何?」
「元気過ぎてうるさくて困るんです」
「……つまり飼うのに飽きたということですか」
「不要猫を安楽死させるのも仕事でしょ」
「そんなの想像したこともないよ!」

ヒビだらけの汚れたキャリーケースの中を覗くと、猫がこちらを見ていた。
痩せていた……。

「ああ、ボロボロになってる!」
「猫がこんなに手がかかるなんて知らなかったんです」と飼い主。
「猫に手をかけなさ過ぎる貴方が言うか?」

猫はこちらを見つめて小さく鳴いた。
「センセ、オイラヲコロスノカニャ……」

酷い……なぜ人間の皆さんはこうもヒトデナシが多いのか。いや、むしろヒトだからそうなのか。

「……じゃあ奥さん、ここに捨てていったら?」
「ここで飼ってくれるんですか」
「さあねえ……」と私。安心なんかさせるか。

飼い主(元)は逃げるように去った。
さてと……。実を言うと私は内心嬉しかった。こんないい猫が私の家族になったのだから。

「さあ、出ておいで。ここがおまえの家だ」
「エ……コロサナイノカニャ」
「そんなことするわけないよね……」

私は猫に新しい名を付けた。
「おまえはこれからトライキングと名乗れ」
「カッコイイニャ」

その後、三本脚のトライは再びライオンのような姿を取り戻した。威風堂々、病院を我が物顔で歩き回り、モリモリの筋肉ではち切れそうな後ろ脚の一本で高いところに飛び乗っては辺りを見回し、妙に高い声でニャアと吠え、ご機嫌な毎日を過ごした。我が病院の美人看護婦軍団のお姉さんたちにも大好評だった。

「キャー、トライって素敵な猫ね!」
大勢の飼い主たちも彼の雄姿を見て「励みになるわ!」と褒めたたえた。

数年後、私の幼馴染みの水野が愛犬の診察に来た時、トライが挨拶に出てきた。
「ヨオ、ヒゲノオッサン、オミャア、イケテルニャ!」

それを見て彼は「おっ!」という顔をして言った。
「いい猫だなー、俺にくれないか」

この男は私にとって数少ない信頼できる友人だ。裕福な家に生まれ子供の頃から動物たちに囲まれて育った。優しい人物なのは50年近くの付き合いだからよくわかっている。世間一般では大金持ちはケチだとか、美人は性格がダメとか悪く言われるが、個人的にはその逆のことが多いのではと感じる。

「おまえにならタダでやるよ」と返した。
「沖縄に家を買ったから連れていくよ」
「暖かくて猫には理想的な場所だな」

初顔合わせで猫を気に入った水野はそのまま連れ帰った。
「センセ、オイラ、タマノコシダニャ!」

その日の夜、彼から電話があった。
「あのさあ……猫の脚って何本だったっけ……」

実は私は彼にトライの脚が一本足りないことを伝えるのを忘れていた。長毛で脚が隠れていた上、立派な尻尾の毛に目が行き、水野は気付いていなかった。少しまずかったかなと思いながら、しらばっくれて答えることにした。

「普通は四本脚だが三本脚のもいるよ」
「なんだそうか、わかった」と納得した水野。

それから10年間、トライは暖かい沖縄の家で優しい家族に囲まれ、新鮮な魚を食べながら幸せに暮らし、天寿を全うした。

三本脚のトライが星になった晩、南の島の輝く夜空から声が聞こえた。
「ミンナ、アリガトニャ!」

野村潤一郎(のむら・じゅんいちろう)

野村獣医科Vセンター院長。1991年小さな病院から始まった野村獣医科も今は大勢のスタッフを抱える日本屈指の動物病院に。最先端の科学機器と高度な医療技術、“極上の愛”で診療にあたり、開業以来、年中無休。動物たちの守護神として、楽しくもあり、辛くもあり、悲しくもある診療の毎日を送っている。

『家庭画報』2021年3月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。

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