インタビュー・レポート

曽野綾子 × 五木寛之【特別対談】これからの時代を生きる

これからの時代を生きる 曽野綾子(作家)+五木寛之(作家)写真/アマナイメージズ

「孤立しながら、皆が社会とのつながりを求める。
『アローン・アンド・トゥギャザー』の時代です」(五木)

五木 ただコロナ禍はまだまだ当分、続くでしょう。僕は確実に人々の在り方は変わっていくだろうと思っています。スペインの思想家に、ホセ・オルテガ・イ・ガセットという、『大衆の反逆』という著を書いた人がいますね。その時代を表現する言葉として「トゥギャザー・アンド・アローン」(Together and alone)というのがあるそうです。人と交流しながら孤独を噛みしめる。

曽野 それは、とても自然なことですね。

五木 悪しきポピュリズムに対する批判でもあるし、論語の「和して同ぜず」も同様です。僕は非常に好きな言葉だったのですが、今、思うのは、ステイ・ホームというのは孤立しているように見えるけれど、インターネットでつながったり、いろいろな方法でコミュニケートを取っている。その様子を見ていると、これは「アローン・アンド・トゥギャザー」(Alone and together)という、逆の時代に入ってきたと感じるんですね。孤立しながら、皆がより社会とつながっていこうとしている。

曽野 逆転し始めたとしたら、その流れが生産的な力を持つのか、破壊的な力を持つものなのか……、私はまだ決めかねますね。けれどうろうろと決めかねている部分があるということが、人間の面白いところだと思います。

五木 僕自身、これまで毎日、たくさんの人に会う日々が続いていたのですが、突然にそういう日常を失ったとき、思いがけず心もとないというか……寄る辺なき気持ちになって驚いたな。

曽野 五木さんでも、そのようなことを感じられるのですね。

五木 「面授」という言葉がありましてね。“人と人は互いの息遣いが聴こえる距離で、相手の話を聞き、何かを悟る”という意味です。やはり僕は、人にはそれが必要だと思うんです。たとえアクリル板をはさんだとしても、互いの表情を間近に見て話すことが重要で、どれほどリモートで話しても、満たされないのが人間なんじゃないか、と。「三密」というのは、本来は仏教語で、身密、口密、意密といいます。徐々に煩悩から離れ、人間が悟りに達するという非常に大切な段階のことをいうのですが、僕はこの時代はひょっとしたら、「三断」になってしまうのではと危惧してるんですけどね。

曽野 「三断」、ですか。

五木 ええ。「分断」、「切断」、「独断」です。実際には離れながらつながろうとしても、難しいのではないかと。ですから最近は、この状況を前向きに捉える必要があると感じて、自分自身の内側にバッテリーを充電していく、いい時間かなと思うようになりました。

曽野 それは大衆の中での個を見つける力、時間でもありますね。本来、個は個としてあるのだという眼力というのか、感受性が要ることです。でも残念ながら、個は個としてのみでは生きられないというところを認めざるをえなくて、それを認められるのはむしろ勇気だと思います。

五木 なるほど。勇気ですか。

曽野 まあ小説家なんていうものは、そのあたりは生業として、最後まで卑怯で小心者でいていいと私などは思うんですけど(笑)。

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