動物

【スーパー獣医 野村潤一郎先生の動物エッセイ】ある日診察にやってきたのは泥棒!?

診察フロアのテラスからは夏の最後の日差しに照らされて、街路樹の葉が反射しながら揺れている。そういえば数年前のこんな日に彼は初めてやってきた。

「この犬、だんだんと食が細くなりまして……」

私はペンを走らせる。

「えーと……最近……食が……と……それから?」

飼い主から話を聞いてきちんとした時系列のカルテを作るのは、もの言えぬ動物たちの医療においてとても重要な作業である。ところが、途中少し沈黙した後に彼はこう続けた。

「先生……私はね……泥棒なんですよ……」

「ふむふむ……ええと……私は泥棒……と……あっ、変なこと言うから書いちゃったじゃないですか!」

イラスト/コバヤシヨシノリ

稟告が世間話に移行してしまう飼い主には度々遭遇するが、診察台の向こうで何やらとんでもないことを口走り始めたこの老人は、よく見れば人の良さそうな顔に不釣り合いな鋭い目をギラギラ光らせていて、只者ではない雰囲気をただよわせていた。

「夜に歩き回って忍び込む家を物色するんだけどね、ペスがいれば怪しまれることがないんですよ。こんな良い相棒に死なれては困るんですわ」

変な人だなと思いながら私は答えた。

「そうですか。夜に散歩をすることが多いならフィラリアの予防薬も忘れずに飲ませてくださいね。夜間の蚊は非常に活発になりますから」

とにかく犬の健康を守るのが私の仕事なのだ。

「ついでに電池で光る首輪も付けてあげれば交通事故防止にもなりますよ」と続けると、「泥棒がピカピカ目立ってどうするのよ」と笑う。

悪ふざけをしているようには見えなかった。自分の仕事にプライドを持っている様子すら感じたので、彼をクラシックスタイルのプロと認識することにした。

私は裏街道の人たちに安心感を与える何かを持っているらしく、見知らぬ暴走族が一列に並んで見送ってくれたり、ガラの悪い人たちに「お疲れ様です」と挨拶されたりすることが非常に多いので、これもそんな感じだったのだろう。カミングアウトした泥棒はご機嫌で喋り続けた。

「やっぱり犬を飼っている家があったら、向こう三軒両隣には入れませんやね」

「そうでしょうね。少しの物音でも吠えますから」

「隣の家が犬を飼っていたら感謝しないとね」

そう言いながら顔をくしゃっとさせて笑い、薄い白髪頭を撫でたかと思うと、急に真面目な顔になり、今度は少し凄んで見せた。

「先生、雨戸狙いのチュン太とはアタシのことですわ」

私は笑いをこらえながら言った。

「中々のコードネームですな」

警察は窃盗などの常習犯に“あだ名”を付けることがある。お巡りさんたちも「容疑者を発見!」とかではなく「ケツパーのヒロシを確保!」みたいなほうが“気分がアガる”らしい。ちなみに「ケツ」は尻、「パー」はポケットのことでお尻のポケットの財布を狙うスリ犯に付けられた名だ。

その他にも電車内で荷物をまさぐる“電まさのヤス”、サウナの客を狙う“汗多(あせた)のジョー”、オモチャの鼻眼鏡で監視カメラをごまかす“デカ鼻のイカ爺”など様々なネーミングを警察が行うが、中には恥ずかしくて本人に言えないようなものもあるとのことだ。

まれに“ルパン”などとカッコいい名前を自分につけて犯行現場に書き残していく犯人もいるが、こういうのはムカつくのでお巡りさんたちは完全無視するらしい。

「でね、先生」

「はい」

「ペスに見張らせて庭に入ったら、まず何をすると思います?」

「泥棒のすることなんか知りませんな」

「茂みで大便をするんですよ。度胸をつけるためにね」

「なんてことをするんですか。だったら自分のウンチもウンチ袋で持ち帰ってくださいね。愛犬家のエチケットですから!」

「そして気分が落ち着いたところで、今度は雨戸の溝に小便をかけて滑りをよくするんです」

「え~、きたないなあ。排尿した後はペットボトルの水で流すのが犬飼いのルールですよ!」

「何でチュン太かわかりますか」

「あ、スズメが鳴き始める明け方に泥棒に入るからでは?」

「当り、さすが野村先生」

「いやどうも」

「去年一年で稼いだ金は300万だよ」

「アッハ! 時給計算すると最低賃金以下ですな」

「だけどアタシにはこれしかないんだよね」

「さっきから聞いてるとかなりヤバいですね、アッハッハ!」

「ホントにね、ワッハッハ!」

「ところでペスの検査の結果が出ましたよ。やはり肝臓病でした。薬を出すから飲ませてください。あと犬に泥棒の手伝いをさせるのはやめたほうがいいです。バチがあたりますよ」

「そうだよね、わかったよ……」

雨戸狙いのチュン太は唯一の家族であるペスの病気が発覚し、たいそうしょげていたが、結局その後通院もせず薬も取りに来なかった……。

今ここで舌を出して喘いでいるペスは暑いからではなく病気が進行しているからだ。それは白目の色を見ても明らかだった。黄疸が出ているのである。

連絡のあった警察署の刑事さんは、雨戸狙いのチュン太が犬を相棒にして罪を重ねていたことを知らなかった。現行犯逮捕されたのだとしたら、彼は私との約束通り、犬を使わずに単独で下見をしていたことになる。具合の悪い犬はかえって足手まといだったのかもしれないが……。

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