きものダイアリー

松本幸四郎夫人・藤間園子さんが案内する「江戸更紗」の魅力。恵まれた水が生んだ染色文化

松本幸四郎夫人・藤間園子さんが案内する「江戸の手仕事」 歌舞伎俳優の夫を支え、きものを着る機会も多い藤間園子さんが江戸時代から続いているものづくりの現場を訪ね、日本の装いの文化と伝統工芸の魅力をお伝えします。前回の記事はこちら>>

藍地宝相華文更紗帯

藍地宝相華文更紗帯。「宝相華」とは牡丹やシャクナゲなどの美しい部分を組み合わせて描かれた空想の花。ペルシャ的な趣があり、吉祥の意味を持つ意匠。帯/竺仙

第4回 江戸更紗

平山邦夫さん(更紗師・更紗工房ひらやま)

「更紗工房ひらやま」の平山邦夫さんと松本幸四郎夫人・藤間園子さん

かつては染織工房が多くあった下落合の工房で現在も江戸更紗を染めている「更紗工房ひらやま」の平山邦夫さん(左)と松本幸四郎夫人・藤間園子さん(右)。きもの、帯/竺仙 帯揚げ/和小物さくら 帯締め/道明

恵まれた水が生んだ江戸の染色文化

藤間 更紗がインドから日本に伝わったのは室町時代から桃山時代で、当時の庶民にはとても高価で手が届かないものだったために模倣したことから始まったそうですね。そうして生まれた国産の更紗を「和更紗」と総称して、産地の地名から「江戸更紗」と呼ばれるようになったことを知りました。平山さんが江戸更紗のお仕事を始められたのはどういう経緯からだったのでしょうか?

平山 昭和8年生まれの私は8人兄弟で、祖父も同居していたので11人の大家族でした。父は江戸更紗の職人で、最初は父が一人で作業をしていたんですが、手伝ってもらえないかといわれて、3番目の兄と私が一緒に始めました。

藤間 子どもの頃からお父さまのお仕事をご覧になっていたんですね。

平山 父が作業をする工場が遊び場でした。染めるときに色が滲まないように生地に糊をつけた反物を川の水につけて洗うという作業があるんですが、父は目の前に流れている妙正寺川で作業をやっていました。子どもだった私は、ザリガニやフナをとって川遊びをしていました(笑)。

平山さんが手がけてきた江戸更紗

手前はこれまで平山さんが手がけてきた江戸更紗の切れ端を色見本として残したもの。同じ型紙を使っても色味や色の配置を変えることで、まったく印象が異なる生地ができる。奥にあるのは、平山さんが色を作るときの参考資料として雑誌に載っている洋服の写真などから気に入った“色”を切り抜いて集めたもの。平山さんは常に“今”の色の感覚を大切にしてきた。

藤間 江戸の染色文化は高田馬場や落合界隈が盛んだったとか。それも“水”が関係していたと伺いました。

平山 落合という地名は“神田川と妙正寺川が落ち合う”ことに由来していて、川を流れる水もとてもきれいでした。染色と水質には密接な関係があるんです。それで近隣に江戸小紋や更紗の工房が何軒かありましたが、今はほとんどなくなりました。

藤間 このお仕事をなさるのには絶好の環境だったのですね。

平山 それで主に雑用と“色合わせ”といって色を作る作業から始めました。一時は10人くらいいた職人たちが使う色をすべて私が作っていました。生地によって色の染まり方が異なるので、その生地に合わせて作るんです。縮緬は層が厚いので濃くなってしまうし、羽二重だとツルツルなので色が薄く出てしまいます。

藤間 どういうふうに色がのるのかを想像しながら作るんですね。

平山 そういうことです。さらにいえば職人の“手”にもよるんです。濃くする人もいれば、薄くする人もいる。それぞれの職人の性格も考慮しながら染料を調合していました。

平山さんがイメージして調合した染液

平山さんがイメージして調合した染液。色の創造は大事な工程で更紗師にとって真髄ともいえる作業とされている。

藤間 色を創造するということが江戸更紗の工程の中で特に大事な作業だそうですね。その作業はどれくらいなさっていたんですか?

平山 30年くらいです。以前は隣の土地に広さが70坪の工場があって、職人も多く、8人の職人が作業すると8反分の色を作っていました。

藤間 その頃にお父さまからどんなことを教えていただいたんですか?

平山 職人っていうのは、見て学ぶものなので、特に教えてもらったことはないですね(笑)。“見て習え”です。実際にやってみないとわからないこともありますから。

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