イチから始めるきもの道

博多織の魅力を探りに現地へ! 献上柄に込められた想いとは?

そして奥に進むと、博多織に関する歴史のコーナーが。

「博多町家(はかたまちや)」ふるさと館の奥にある博多織の展示コーナー。

博多織の歴史は鎌倉時代にまでさかのぼります。

圓爾弁圓(えんにべんえん※後の聖一国師<しょういちこくし>)と商人だった満田弥三右衛門(みつたやざえもん)は中国・宋へ渡ります。そして6年の歳月をかけ聖一国師は禅を、弥三右衛門は織(広東織)、朱(朱焼)、箔(箔焼)、素麺(食品)、麝香丸(じゃこうがん、薬)の技法を極め、1241年二人は無事に福岡へ戻ります。弥三右衛門は習得した技術を町の人々に伝えましたが、唯一織の技だけは誰にも伝えず家伝に。

さらに弥三右衛門は独自の文様を作りたいと聖一国師に相談へ。聖一国師はそばに置いてあった仏具である独鈷(とっこ。尖った両先端は刃であり、どんな硬い石でも打ち砕くと言われている)と華皿(仏の供養をする際、散布する花を入れておいた皿のこと)を用いてはと助言をし、独鈷と華皿柄が生まれます。

献上柄は独鈷と華皿という仏具がモチーフ。それぞれの文様には意味があるのです。

独鈷には厄除けやどんな煩悩も打ち砕くという意味が、華皿には供養、浄化の意味が。また、太い2本の線に細い2本の線が挟まれている縞は「親子縞」と呼ばれ、親が子を守る、慈愛・繁栄を意味し、2本の細い線に太い2本の線が挟まれている縞、「孝行縞」には子が親を守る、尊敬・継承という意味があるのです。

そして弥三右衛門の子孫である満田彦三郎(みつだひこさぶろう)もまた中国・明に渡り、さらなる織物の技法を研究。模様の浮きでた厚地の織物、今の博多織を生み出します。

Hさん「弥三右衛門が福岡に戻り、織物の技法を伝えたのが1241年。昨年の2018年度は777年目だったんです。福岡市をあげて博多織・献上柄に関する様々なイベントを行いました」

777年! 染めや織りの技法が伝承されているだけではなく、777年も前に誕生した柄が今なお色あせることなく、こんなにも愛され続けているなんて。

Hさん「献上柄は当初『独鈷と華皿柄』と呼ばれていました。江戸時代の筑前福岡藩主である黒田長政が徳川家への献上品として博多織を献上し、それから献上柄と呼ばれるようになりました。また、博多織は非常に糸の密度が高く、厚みと張りが特長です。刀を帯にさしても緩まないということで、武士の間で大流行しました。博多織の帯は一度締めたら緩まないんです」

先ほどの手織り機から響き渡っていた音を思い出しました。力強く、しっかりと打ち込むことで張りのある風合いになり、重たい刀をさしても緩まない帯が生まれたのです。一度締めたら緩まない……。だから伊達締めは博多織に限るんですね!

次は歩いて数分の場所にある「はかた伝統工芸館」へ。
博多織の他に博多人形、博多曲物(はかたまげもの)、博多鋏(はかたはさみ)や博多張子(はかたはりこ)など職人技の光る工芸品が展示されています。

「はかた伝統工芸館」の2階展示コーナーの奥に鎮座する博多人形「福の神」(博多人形師 中村信喬作)。地元の方達の間ではパワースポットと呼ばれているそう。

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