カルチャー&ホビー

工藤美代子さん綴る【快楽(けらく)】第8回「私はゴースト。もう会えない(前編)」

2022.11.14

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潤う成熟世代 快楽(けらく)─最終章─ 作家・工藤美代子さんの人気シリーズ「快楽」の最終章。年齢を理由に恋愛を諦める時代は終わりつつある今、自由を求めて歩み始めた女性たちを独自の視点を通して取材。その新たな生き方を連載を通じて探ります。前回の記事はこちら>>

第8回 私はゴースト。もう会えない(前編)


イラスト・大嶋さち子

文/工藤美代子

英語というものは難しい言葉だと思う。近頃の若い人は、流暢に外国語を操る人がたくさんいる。バイリンガルどころかトライリンガルもよく聞く。


ふり返ってわが身を考えると、どうも英語の能力に浮き沈みがあったようだ。たとえば今すぐにアメリカへ行って、現地で取材をして来いと言われたら、72歳の私はまったく役に立たない。なにしろ日本語の単語だって片っ端から忘れているのだ。どうやって英語を話せというのか。おそらく私の英語の語彙は中学3年生と同じくらいだろう。

そもそも昔から、英語を間違えたらみっともないという思いしかなかった。こんなに英語コンプレックスが強かったら上達するはずがない。

ところが、37歳から42歳までの間だけ、とても自由に英語が口から飛び出した。理由は今もって不明だが、唯一考えられるのは、仕事のために膨大な英語の本や外交文書を読み込んでいたことだ。頭にかなりの分量の英語が流し込まれたから、それが蛇口から漏れ出て来たのかもしれない。

いずれにしろ39歳の夏、私は稀有な体験をした。僥倖(ぎょうこう)と言っても良いような一人のイギリス人女性との出逢いがあった。場所はロンドンから車で3時間ほどかかる、のどかな田舎町だった。目的があって、私はその町を訪れた。そして、おそらくは生涯でただ一度だけ、英語で外国人と心を通わせて話し合うことができたのである。もはや自分が英語を話していることさえ忘れて会話に没頭した。そして現在、彼女の年齢に近くなってみるとわかるのだ。それがいかに女性の老いの神髄に深く触れる言葉の数々だったかと。

令和の日本で、西脇順三郎という名前の詩人を知っている人は少ないだろう。だが、文学関係者は聞き覚えがあるかもしれない。

西脇は明治27年1月に新潟で生まれた。同世代の文学者と言えば少し早いが明治19年の谷崎潤一郎、遅ければ明治32年の川端康成がいた。明治27年生まれの有名作家は江戸川乱歩くらいだろうか。詩人の室生犀星の誕生は明治22年だ。

彼らは皆、明治維新以降の日本で西洋文化の洗礼を受け、新しい口語体で作品を書くようになった世代である。この中からノーベル文学賞の候補者が出たのも当然の流れだった。

私が西脇の名前を初めて聞いたのは中学生の時である。西脇がノーベル文学賞の候補になっていると新聞などで報じられた。この時は谷崎潤一郎も候補者の一人だった。

だが、西脇と谷崎には大きな違いが一つある。谷崎の作品は英語に翻訳され注目されていた。太平洋戦争が終わり、欧米では日本文学に興味を持つ優秀な研究者が次々と現れていた。谷崎も川端も井伏も三島も、ノーベル賞の候補となったのは、こうしたジャパノロジストたちの真摯な仕事に負うところが大きかった。
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