〔連載〕生きものと歩む “環境農家”の愉しみ
写真や切り絵作品を通して、里山を表現してきた今森光彦さん。農業を始めたことで里山を見る目が変化したと話します。
農業者となり得られた新しい視点は生命とのかかわり方に変化をもたらし、作品をより豊かに彩ります。
季節が回り、春が再び訪れました。本連載は一旦今回でひと区切りです。
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第12回 新しい視点
春がやってきた裏の畑。甘い香りに包まれながらの農作業はとても楽しい。畝の脇には、オオイヌノフグリやホトケノザが満開に咲いている。育てている野菜はもちろん、無数の野草にとりかこまれていることに喜びを感じる。だんだん理想の畑になってきた。
「生きものは、同じ土地にいる仲間」
空気が膨らんできました。裏の畑では、菜の花が満開です。甘ったるい匂いをかいでいると、子どものころアゲハチョウやモンシロチョウを追いかけて、畑の畝を走っていたのを思い出します。昔ながらの田畑の再現は、“環境農家”の目標なので、この風景にはそこそこ満足しています。
そもそも、私が環境農家になろうと思ったのは、里山のことをより深く知りたかったからに他なりません。農家申請をしたいと、家族や周りの人に言うと、写真家なのにそこまでしなくてもいいのでは、という意見がほとんどでした。でも、私としてはどうしても農業者になりたかったのです。
写真を撮るという行為には、自分と被写体との間に、どうしても距離が生まれます。これは、客観視が要求される写真という手段の宿命かもしれません。そのことを私はよく次のようにたとえます。大好きな愛車があって、その姿を撮りたいとき、車から少し離れないといけません。ハンドルを握って愛車と一体になっていては、車の全体像を眺めることができないのです。写真撮影には、貴重な画像を得られる反面、何か大切なものを見失っているかもしれないという不安が常にあります。
私は、今まで、琵琶湖周辺の里山をテーマに写真を撮ってきました。その一方で、フィールドワークや環境の整備、アトリエを構えるなどして、できるだけ里山に近づきたいと願ってきました。しかし、里山にギリギリまで迫っていたのですが、ほんとうの意味で「生態系の中にいたか」というと、果たしてそれは疑問です。先ほどの例に倣うならば、愛車の姿は十分眺めていたのですが、ハンドルを握って運転はしたことがなかった、といえるでしょう。
箱館山から見下ろした湖西の遠景。真っ青な琵琶湖が山々に囲まれていることが実感できる。西部地方は、湖と山が迫っているので、絶えず水の流れを感じられるところが最大の魅力だろう。
里山というキーワードを使い始めた当初から、私は、“生命の小宇宙”という言葉も頻繁に使っています。里山の撮影は、この緻密な小宇宙の球体を眺めることから始まったといえるでしょう。球体の外から観望する里山の風景は、どれも素晴らしく、そこに蠢(うごめ)く生命たちのことも手に取るようにわかります。しかし、そこには、高みから見下ろす冷めた視線の自分がいました。どうにかして球体の中に入ることができないだろうかと思うようになったのは15年くらい前のことです。糸口を探し回ってほどなく、私は、球体の表面に小さな扉を見つけました。それが、農業者になって「オーレリアンの丘」や自宅の裏に畑を持つことだったのです。
農業者として小宇宙の中にすっぽりと入ってしまうと、景色が一変しました。空は広く、生命のあたたかさに抱かれているような感じです。その代わり、全体像が眺められなくなり風景の写真は撮れません。というより、撮る気持ちになれない、といったほうが正確でしょう。
畑でカエルに出会っても、小宇宙の外側から覗いていたときは、それが、アマガエルなのか、トノサマガエルなのかが気になりました。ところが、畑仕事をしているときは、カエルの名前などはどうでもよく、自分と同じ土地にいる仲間という感覚。「おお、お前、もう冬眠から覚めたのか!」などと挨拶をしたくなるのです。科学的な外側からの眼差しから、里山的な内側からの眼差しへの反転です。生きものが豊かだったころの農地には、このように、穏やかで平等な眼差しが満ち溢れていたに違いありません。
これからの私としては、表現者でもありつづけたいので、小宇宙の扉を開け閉めして自由に出入りすることがとりあえずの目標。外側の眼差しと、内側の眼差しをバランスよく持つ環境農家になりたいと思っています。
ハチドリは、中南米を取材していた時によく出会った野鳥。体長が数センチほどしかない可愛らしい鳥で宝石のように輝く。南米原産のデュランタの花にやってきたところを切り絵で表現した。
3月・畑の頼れる仲間たち
早春は、越冬していた生きものたちが目を覚ます季節。裏の畑の散策がとても楽しくなります。ナナホシテントウは、枯れ葉の裏に隠れていたのですが、暖かくなると草の上で日向ぼっこをするようになります。すごく鮮やかな紅色なので目を引きます。
ナナホシテントウ
美しい青紫色の翅を持つムラサキシジミは、アカガシなどの葉裏に身を隠していましたが、暖かい太陽の光に誘われて翅を開いて気持ちよさそうです。
ムラサキシジミ
冬の間、神社の杜の縁でよく見かけたルリビタキ。本格的な春がくるまでは、爽やかな姿に出会えそうです。
ルリビタキ