首都圏に残された故郷の風景
大空仰ぐ、命の息吹
高度経済成長期以降、急速に失われていった、都市周辺の自然。東京からわずか30キロ圏内、埼玉県さいたま市と川口市をまたぐ約1260ヘクタールもの大地に、首都圏最後の大自然空間、「見沼たんぼ」があります。ここは多様な生き物の宝庫であり、江戸時代からの稲作文化が息づく、都会のオアシスです。変わりゆく人間社会の営みの傍らで守られてきた、美しい自然の姿が、永遠にあり続けますように──。

10月の冷え込む朝、芝川のほとりのケヤキ林が朝陽のシャワーを浴びて黄金に煌めく。

約1500平方メートルの遊休耕作地を活用し、景観保全の一環として整備された「ひまわり畑」が9月に見頃を迎える。遠く向こうに見えるのは、さいたま新都心のビル群。中央にそびえるポプラの木は、見沼田んぼのシンボルの一つ。
都市開発の荒波を退け、守り抜かれた聖域
約6000年前、見沼たんぼの3分の2は海底にあったといわれています。その証にこの地域では貝塚などの縄文時代の遺跡が数多く発掘されました。それから時を経て、大量の水を蓄える広大な湿地帯となり、洪水などの水害から下流地域や、周辺都市を守ってきた歴史があります。

9月の芝川沿い、朝焼けに染まる雲が水面に映り込み、幻想的な光景が広がる。遠くにそびえるスズカケノキの大木が神々しさを放つ。
江戸時代中期、利根川から水を引くための用水路が整備され、巨大な沼地だった「見沼」は、水田へと生まれ変わりました。以来、この地域は稲作の拠点として、人々の暮らしを支えてきたのです。

1月、見沼自然公園の凍った池で身を寄せ合っている水鳥たち。水面からは水温と外気温との差で気嵐(けあらし)が立ち上っている。
水の神様である「龍神」を祀る神社が点在していることも、地域の人々が水と深いかかわりを持ちながら、自然に対する畏敬の念を抱いて暮らしてきたことを物語っています。見沼たんぼは、何千年もの時を刻み、太古からの霊気を秘めた“聖域”として、戦後の都市開発の波を退け、現在まで守り抜かれているのです。

11月、稲を収穫した後の茎や葉が積み上げられ、天日干しされていた。この日本古来の稲わらの乾燥方法「わら立て」は今なお地域の風習として受け継がれている。稲作の副産物である稲わらは、かつては生活用品や農具、かまどの燃料、肥料などに余すことなく利用され、大切にされていた。
かけがえのない、昔ながらの田園風景

刈り取った稲は、木や竹で組んだ棚に掛け、天日干しする。この昔ながらの手作業による「稲架(はさ)掛け」を今でも行っている。

9月下旬、加田屋新田付近の畦道や土手に彼岸花が群生し、真紅の花びらが秋風に揺れる。間もなく収穫を迎える時期になると、あたりは活気づき、田んぼを巡回する農家の軽トラックが行き交う。