5月・くつろぎ
三枝政代(料理家)熱海──。
その地名を聞くと、心の中にぽっと灯りがともったような懐かしさでいっぱいになります。
3歳で熱海の家に疎開し、中学を終えるまで両親とこまやかな時間を過ごしたあの日々。あけびの蔓や野の花に心誘われて、道草を重ねながら家に帰れば庭で、お気に入りの籐椅子に座った父が「オカエリー」と迎えてくれます。
お父様が愛用していた籐椅子は、今も東京の自宅のリビングに。熱海時代に交流のあった文士や芸術家の方々との貴重な思い出の品もともにある。福島繁太郎の『エコール・ド・パリ』は耽読の書。
そのテーブルの上には、母手製の揚げたてドーナッツ! つまみ食いをして叱られた梅干し作り、滝で冷やした西瓜の香り、大晦日のにぎやかなお餅つき。
くつろぎや団らんという言葉を知る前に、すべてを両親から惜しみなく与えられていた幸せで温かき幼少時代。この愛おしき思い出こそ、私の原風景なのです。
ドーナツはさくっと歯ごたえのある懐かしきオールドスタイル。お母様譲りの味わいは、ミルクといただくのがお決まり。誰もが笑顔になる組み合わせだ。
三枝政代(さえぐさ・まさよ)
1941年、東京都生まれ。東京藝術大学作曲科卒業。東京・青山で紹介制の料理教室を50年以上開催。四季を大切にした料理としつらいを提案している。
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