「Q」を探せ!

文/野村潤一郎〈野村獣医科Vセンター院長〉
「ピッピッポーン」
午後7時の時報と共に、白黒のブラウン管に“丸地に三角”の製薬会社の看板が映し出された。でも、これは番組提供会社のCMだからどうでもよい。次の瞬間が重要だ。
「ギッチョーン、ガッチョーン、ギイイイ、バッチーン」
古い鉄扉が軋むのに似た不気味な効果音と共に、水面に浮かんだ油のようなマダラ模様がグルグルと回転し、やがて5つの文字になる“ウルトラQ”。前代未聞のSFドラマのはじまりである。
1964年、円谷プロが製作したこの作品は、日常にいきなり突入してくる怪奇現象をテーマにしていた。基本的にパラレルなアンソロジーであり、毎週これでもかというくらいに摩訶不思議な事件が起こる。
魔術団で箱抜けを演じる少女が夜な夜な肉体から精神を分離させて街を彷徨い、人々を驚かせる話。現実世界に嫌気がさした男が、時間と空間を超越する異次元の列車に乗る話。
どれもワクワクするものばかりだったが、その中でも幼児期の私を熱狂させたのは度々登場する“怪獣”と呼ばれる巨大な生物たちだった。
こう進めると「大人になってもまだそんなこと言って」と思われてしまうかもしれない。
しかしウルトラQは高尚なSFであり、現代の怪獣番組のように子供に玩具を買わせるためのヒーローアイテムや、ママさんを熱中させるイケメン、パパさんが喜ぶ美女はなしだ。
登場するのはセスナ操縦士、その助手、そして新聞記者の女性。そしてここが肝心なのだが、白髪にカイゼル髭の博士。このいかにも権威のありそうな外観の専門家が何かの破片を調べて、「これは地球には存在しないチルソナイトという金属だ」とか言うと、突如アカデミックになり物語にリアリティが増す。
トンネル工事の最中に地下洞窟から目覚めた怪獣ゴメスの回も印象深かった。その手にしては小柄な身長10メートルというサイズ感は、寝ている時に壁を壊して部屋に入ってきそうで恐ろしい。
角と牙と爪で武装したこの凶暴な生物は、学名ゴメテウスといい、新生代第三紀に生息していた肉食性の原始哺乳類だという。地下洞窟は70キロ先の金峰山につながっていたが、そこにある洞仙寺に奉納されていた古文書によって、ゴメスにはリトラという天敵がいたことがわかる。
リトラの学名はリトラリアといい爬虫類と鳥類の中間的生物という説明である。なんと蛹のような形態で休眠することが可能であり、それらしき球体がゴメスが出現した場所で同時に発見されていた。
リトラは蛹から羽化(?)するとゴメスと戦う宿命らしい。口から強い酸を吐いて攻撃するが、しかしこれを使うと自身も内臓が溶解して死滅するに至る……という設定だった。
「怪獣番組の筋書きなんかどうでもいいわよ」と叱られてしまいそうだが、そっちではない。この番組の偉大さは、この回だけでも4歳児だった私をはじめ日本中の生き物好きの子供たちの脳に、学名、新生代第三紀、肉食性、原始哺乳類、天敵、その他もろもろの科学の言葉を何気なく記憶させたことにある。
見る側も興味があるから吸収が早く、例えるならば白い紙に鉛筆で書くというよりも、殴られて痛さを覚えるくらいの勢いでその世界に導かれたといってよい。
PTAは「グロテスクな怪獣は子供の美的感覚を狂わせる」と有害宣言をしたらしいが、当時の怪獣たちの外観には、無理矢理怖がらせる部分は見当たらず、生物学的に見てもバランスが良く、それどころか逞しく、むしろ美しかった。
空想の世界に酔い足元を見ないで空ばかり見ていたら、たしかにダメな大人になると思う。しかし生き物に興味を持った幼稚園入園前の私は、身の回りに棲む“足元を這いずり回る未知の怪獣たち”にも敏感になった。当時の新宿はまだ自然が残っていて虫たちが沢山いた。土を掘り、石をどかし、枯れ木を割り、立って見える範囲を捜索し尽くすと、今度は空を求めて木に登り、水の中にもその姿を求めた。税務署通りの角を曲がり細い坂道を登ると成子天神社があった。その敷地内で昆虫を観察するのが日課だった。
ある日いつものように土を掘っていると100枚近くの10円玉が出てきた。地面から沢山の硬貨が発掘されるのはまさにミステリーであり、これこそ日常に潜む「Q」の世界だと心が躍った。
嬉しくなってこれを祖父に見せたところ「神様に頼る人が願をかけて埋めたものだから、元の場所に戻してきなさい」と静かな口調で叱られた。私はこの説明に納得したが、怪獣よりもはるかに非現実だと思っていた神様が存在し、しかも願いは有料だったという世知辛さに対してさらなる「Q」を感じた。
帰り道に同年代の友達に会った。私は彼の顔を見てぎょっとした。顔一面に隙間がないくらいびっしりとイタズラ書きをされていて、しかもそれは油性のマジックインキによるものだった。太い線だらけで真っ黒になった顔に目だけが光っていて、まるで件のドラマの第20話に登場する海底原人ラゴンのようだった。
「自分で描いたの?」
「いじめっ子にやられた」
「ひどいね」
「殴られて頭もコブだらけだよ」
こんなことをするやつがいるなんて! これも「Q」の一種に認定できる。私は持っていた全財産の30円を“願いの代金”として土に埋め神様に“注文”した。
「この哀れな海底原人が、いじめっ子に苛められませんように」。彼は切れた唇で小さくつぶやいた。「ありがと」

数日後、天神様のエノキの梢にギラギラと輝く飛行体を目撃した。音のない夏の炎天下、青い空と濃緑の葉を背景にふわふわと移動する“空飛ぶ火の玉”が虹色に光りながら目の前にいる。幻想的な光景だった。
「神様が願いを叶えてくれるのかな、あれが怪獣になっていじめっ子を食べてくれるのかな……いや違う! あれは!!」
それは神の使いではなく、生まれて初めて見る生きたヤマトタマムシだった。
このように不思議の正体は“まれにしか現れない現実の何か”だったりする。この美しい昆虫はオスが上空をパトロールして地面近くのメスを探す。交尾をした後、メスは朽ち木の隙間に尻の先を入れて卵を産む。この知識は裏の小林のおじさんが貸してくれた大人向けの昆虫図鑑によって学習済みだった。
我にかえり虫取りアミを振る。しかしオモチャ屋で買った子供だましのそれでは短すぎて届くはずもなかった。
「大人用の長いやつがほしいなあ」
この時の悔しさが忘れられず、私は現在3段ロッドで最大3メートルに伸びる高級品を常に携帯している。そんなものを使って今さら虫を獲るのかといわれれば、そうでもない。
現在の私は、5歳の頃と違って世界中の昆虫をお金で買える。だから蚊に刺されたり、毛虫まみれになったりしながら、網を振るのはあまりやらない。
