動物・ペット

【スーパー獣医 野村潤一郎先生の動物エッセイ】ある日診察にやってきたのは泥棒!?

2021.09.17

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スーパー獣医の動物エッセイ「アニマルQ」 野村獣医科という空間においては、飼い主は等しく動物の命や健康と向き合っている存在であり、飼い主の職業や社会的地位で区別されることも、それが問われることもありません。とはいえ、なかには自らの素性を語り出す飼い主もいて、そこから思いがけない展開になることも……。

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コソ泥と愛犬

イラスト/コバヤシヨシノリ

文/野村潤一郎〈野村獣医科Vセンター院長〉


「院長先生、刑事さんから電話です」

何ごとかと思い、心配顔の看護婦長から受話器を受け取る私。

「どうしましたか」

「野村先生から10万円借りたと言い張っている泥棒がいるのですが、本当ですか」

「貸していませんよ。そんな物騒な知り合いなんかいませんし」

「わかりました。『おいコラッ! 先生は知らないって言ってるぞ。お前また苦し紛れに噓ついたな』。あ、こっちの話です、失礼しました」

どうやら刑事さんは取り調べ中に供述のウラをとるため、犯人の目の前で電話をかけているようだった。それにしてもなぜ私の名前が出てきたのだろうか。私はある飼い主を思い出した。

「あ、もしかしたらその泥棒は小柄な爺さんですか」

「え、そうですが、よくご存じで」

「きっとうちの患者さんだと思います」

「ええっ!」

「その人、やっぱり本物の泥棒だったんですね」

35年も病院をやっていると、患者数も多いため様々なタイプの飼い主が訪れることになる。普通の人たちに交じって政治家や芸能人はもちろん、大富豪や人間国宝、そうかと思えばユーチューバーや宇宙人みたいな人まで何でもござれの状態だ。

大勢の人間が集まる場所ではどこでもそうだと思うが、こうなるときっと詐欺師や窃盗犯もいるはずで、時には非番の警察官の横に座ってお互いに気付かずに順番を待っているなんてこともあると思う。

もちろん病院に訪れる客がどんな家業だろうと私は差別も区別もしない。私の目には一律に“動物の健康を取り戻したいと願う愛すべき飼い主たち”にしか見えないし、実際にここに来る人間はそうなのだから誰もが均一かつ平等になる。

「刑事さん」

「はい」

「その泥棒は死刑ですか?」

「いえ、今回は不法侵入だけですから」

「では、犬をうちで預かると伝えてください」

「え! こいつ、犬なんか飼ってるんですか。『おい! お前がうちの“別荘”に入っている間、先生が犬の面倒みてくれるってよ。よかったな』。あ、たびたび大声出してすいませんです」

かくして泥棒の愛犬はパトカーで我が病院に護送された。ペスという名のこの小さな雑種犬はその境遇に大いに問題があるものの、本人にとっては飼い主の稼ぎ方などもちろんどうでもよく、いつもとうちゃんと一緒にいたいだけのごく普通の犬だった。

「おまえはしばらくこの病院で私と暮らすんだよ」

それにしてもステレオタイプなペスという名前、チェコ語の「犬」を表す言葉が起源とされているが、昔は「ぺスター」=「害獣」が元になっていると言われていた。

後者が正しいとすると、これは飼い主が無意識に自分の本性を示してしまったのかもなどと思いつつ、少し汚れて鼻水を垂らしているペスを見れば、ああやはり犬は無条件に可愛いのだった。しかしぼんやり外をながめる横顔は何だか不憫で切ない。

診察フロアのテラスからは夏の最後の日差しに照らされて、街路樹の葉が反射しながら揺れている。そういえば数年前のこんな日に彼は初めてやってきた。

「この犬、だんだんと食が細くなりまして……」

私はペンを走らせる。

「えーと……最近……食が……と……それから?」

飼い主から話を聞いてきちんとした時系列のカルテを作るのは、もの言えぬ動物たちの医療においてとても重要な作業である。ところが、途中少し沈黙した後に彼はこう続けた。

「先生……私はね……泥棒なんですよ……」

「ふむふむ……ええと……私は泥棒……と……あっ、変なこと言うから書いちゃったじゃないですか!」

イラスト/コバヤシヨシノリ

稟告が世間話に移行してしまう飼い主には度々遭遇するが、診察台の向こうで何やらとんでもないことを口走り始めたこの老人は、よく見れば人の良さそうな顔に不釣り合いな鋭い目をギラギラ光らせていて、只者ではない雰囲気をただよわせていた。

「夜に歩き回って忍び込む家を物色するんだけどね、ペスがいれば怪しまれることがないんですよ。こんな良い相棒に死なれては困るんですわ」

変な人だなと思いながら私は答えた。

「そうですか。夜に散歩をすることが多いならフィラリアの予防薬も忘れずに飲ませてくださいね。夜間の蚊は非常に活発になりますから」

とにかく犬の健康を守るのが私の仕事なのだ。

「ついでに電池で光る首輪も付けてあげれば交通事故防止にもなりますよ」と続けると、「泥棒がピカピカ目立ってどうするのよ」と笑う。

悪ふざけをしているようには見えなかった。自分の仕事にプライドを持っている様子すら感じたので、彼をクラシックスタイルのプロと認識することにした。

私は裏街道の人たちに安心感を与える何かを持っているらしく、見知らぬ暴走族が一列に並んで見送ってくれたり、ガラの悪い人たちに「お疲れ様です」と挨拶されたりすることが非常に多いので、これもそんな感じだったのだろう。カミングアウトした泥棒はご機嫌で喋り続けた。

「やっぱり犬を飼っている家があったら、向こう三軒両隣には入れませんやね」

「そうでしょうね。少しの物音でも吠えますから」

「隣の家が犬を飼っていたら感謝しないとね」

そう言いながら顔をくしゃっとさせて笑い、薄い白髪頭を撫でたかと思うと、急に真面目な顔になり、今度は少し凄んで見せた。

「先生、雨戸狙いのチュン太とはアタシのことですわ」

私は笑いをこらえながら言った。

「中々のコードネームですな」

警察は窃盗などの常習犯に“あだ名”を付けることがある。お巡りさんたちも「容疑者を発見!」とかではなく「ケツパーのヒロシを確保!」みたいなほうが“気分がアガる”らしい。ちなみに「ケツ」は尻、「パー」はポケットのことでお尻のポケットの財布を狙うスリ犯に付けられた名だ。

その他にも電車内で荷物をまさぐる“電まさのヤス”、サウナの客を狙う“汗多(あせた)のジョー”、オモチャの鼻眼鏡で監視カメラをごまかす“デカ鼻のイカ爺”など様々なネーミングを警察が行うが、中には恥ずかしくて本人に言えないようなものもあるとのことだ。

まれに“ルパン”などとカッコいい名前を自分につけて犯行現場に書き残していく犯人もいるが、こういうのはムカつくのでお巡りさんたちは完全無視するらしい。

「でね、先生」

「はい」

「ペスに見張らせて庭に入ったら、まず何をすると思います?」

「泥棒のすることなんか知りませんな」

「茂みで大便をするんですよ。度胸をつけるためにね」

「なんてことをするんですか。だったら自分のウンチもウンチ袋で持ち帰ってくださいね。愛犬家のエチケットですから!」

「そして気分が落ち着いたところで、今度は雨戸の溝に小便をかけて滑りをよくするんです」

「え~、きたないなあ。排尿した後はペットボトルの水で流すのが犬飼いのルールですよ!」

「何でチュン太かわかりますか」

「あ、スズメが鳴き始める明け方に泥棒に入るからでは?」

「当り、さすが野村先生」

「いやどうも」

「去年一年で稼いだ金は300万だよ」

「アッハ! 時給計算すると最低賃金以下ですな」

「だけどアタシにはこれしかないんだよね」

「さっきから聞いてるとかなりヤバいですね、アッハッハ!」

「ホントにね、ワッハッハ!」

「ところでペスの検査の結果が出ましたよ。やはり肝臓病でした。薬を出すから飲ませてください。あと犬に泥棒の手伝いをさせるのはやめたほうがいいです。バチがあたりますよ」

「そうだよね、わかったよ……」

雨戸狙いのチュン太は唯一の家族であるペスの病気が発覚し、たいそうしょげていたが、結局その後通院もせず薬も取りに来なかった……。

今ここで舌を出して喘いでいるペスは暑いからではなく病気が進行しているからだ。それは白目の色を見ても明らかだった。黄疸が出ているのである。

連絡のあった警察署の刑事さんは、雨戸狙いのチュン太が犬を相棒にして罪を重ねていたことを知らなかった。現行犯逮捕されたのだとしたら、彼は私との約束通り、犬を使わずに単独で下見をしていたことになる。具合の悪い犬はかえって足手まといだったのかもしれないが……。

数か月が過ぎた。中野通りの桜は葉を落とし始め、夜は冷え込むようになった。ペスは回復し、病院での健康的な生活にすっかり馴染んでいたが、時々さみしそうな顔をして窓の外を見ることがあった。私はペスに言った。

「おまえのとうちゃん、なかなか迎えに来ないな」

ペスにとっては犬の散歩を装った泥棒の下見も、他人の庭で大小便を排泄する最低の飼い主も幸せな日常だったに違いない。大きな近代的な病院ビルでエアコンの利いた清潔な個室で眠り、高級な食事を与えられ、屋上ドッグランで日向ぼっこをする優雅な生活なんかより、犬は飼い主のいる自分の家が好きだ。

私はペスの肩を撫でながら彼の心の中に入り、思い出箱のふたをそうっと開けてみた。ちっぽけな犬のちっぽけな幸せが次々と現れては消えた。仕事で稼ぐとワンカップを飲みながら食べ物をぶら下げて帰ってくるとうちゃん。とうちゃん、えびせんべい美味しかったね。夜の町でお巡りさんを見ると冷や汗をかくとうちゃん。

とうちゃん、いっしょにいっぱい歩いて楽しかったね。アパートの狭い部屋でボロい布団にくるまっていっしょに寝てくれたとうちゃん。とうちゃん、暖かかったね。やさしいやさしい僕のとうちゃん、僕を育ててくれたドロボーのとうちゃん。

ペスにとってとうちゃんこそ世界の全てだったのだろう。犬はそういう生き物なのである。

私は警察に問い合わせた。

「雨戸狙いのチュン太はどうなりましたか」

電話に出た事務員らしき女性は抑揚のない冷たい声で言った。

「お教えすることはできません」

数日後に当時の担当の刑事から折り返しの連絡が来た。

「ああ先生、どうもその節は……。実は雨戸狙いのチュン太は、先日心筋梗塞で急死したらしいんですよ。身寄りがなかったので遺骨は無縁仏に入ったと思います」

犬は不思議な生き物で最愛の主人の後を追うことがある。ペスもまたそうだった。

この季節が来ると思い出す。夏の終わりの日差しに揺れる緑の葉、古めかしいコソ泥の得意そうな顔と風になびくペスの毛並み。青く高い空のあの雲の上で、爺さんと愛犬は泥棒なんかせず幸せに暮らしているに違いない。

野村潤一郎(のむら・じゅんいちろう) 野村獣医科Vセンター院長。至高の動物愛とブラック・ジャックなみの手術の腕は当代随一。自ら100頭以上の動物を飼育する、車とカメラが好きなマルチ獣医。コロナ禍でも動物たちは待ってくれない。最愛のものたちの命を守るべく、休日なしで日々奮闘中。
『動物医の不思議な世界 アニマルQ』
2025年2月27日発売

四六判、352ページ 定価1,980円(税込)

名獣医が語る、愛とミステリーに満ちた動物たちの真実

最新かつ高度な医療を提供する動物病院、野村獣医科Vセンター。科学に精通した獣医師であり、超動物マニアでもある野村潤一郎院長の腕を頼って、患者は全国から訪れる。そんな熱い病院に渦巻く、笑いと涙、驚愕と感動の物語。そして、なぜか院長の周りばかりに次々と起こる、今の科学では解明できない動物を巡る摩訶不思議な出来事、名付けて「アニマルQ」。新たな書き下ろしを加えて待望の書籍化。
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イラスト/コバヤシヨシノリ 『家庭画報』2021年10月号掲載。 この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。

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