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菊乃井・村田吉弘【日本のこころ、和食のこころ】十月 後の月

2017.10.01

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秋が深まった頃の後のちの月(十三夜)は、名残の風情が横溢して、 日本的な「花鳥風月」の美が感じられる気がします。 もともと中国の風習だった月見も、 後の月は日本だけの風習といわれています。


京都の秋といえば、松茸。この頃の厨房は、むせ返るような松茸の香りで包まれる。
お客さまが喜ぶのは、なんといっても焼き松茸。ダイナミックな炭火焼きが何よりのご馳走。



菊乃井では中秋の名月から後の月まで

玄関に月の掛け軸を掛け、月見のお供えをします


京都の本店にいてるとよう月を見上げる機会がありますね。うちは祇園さん(八坂神社)の程近く。東山の麓です。晴れた日の夜、ふと見上げると東山に大きなお月さんがかかってる。そんなときは時間を忘れてしばし見入ってしまいます。うちのおばあさんがようゆうてました。「若い頃は余裕がないねん。けど、一瞬でもいいから空を見上げてご覧。まあるいお月さんが、そらきれいでっせ。あんまり下ばっかり見て仕事してると、しょうもないことばっかり考えて怒りっぽくなりまっせ」。ほんまにそうですね。



旧暦の八月十五日は中秋の名月。十五夜です。そして九月十三日は後の月。十三夜です。もともと満月を愛でるという風習は中国で唐代の頃に始まったと聞いています。日本には平安時代に入り、貴族は詩歌や楽の音を楽しみ、舟遊びをしたり、宴を催してお酒を酌み交わしたそうです。庶民にとっても月は身近で、農民は毎夜月を見て天候をうらない、種をまいたり、収穫をしたりしたんじゃないかなぁ。公家にとっては月見は「観賞」でも、農民にとっては生活の糧に直結するものだったと。中国も明代に入るとお月さんにお供え物をするようになったようで、日本では室町の後期には同じような風習が始まっていたようです。


京都の旧嵯峨御所大本山大覚寺では中秋の名月の頃、龍頭船に乗って空の月と水面に映った月を愛でる行事がおこなわれる。

 
家庭で月にお供え物をするようになったのは、江戸も中期になってからと考えられています。僕は、十五夜のお月さんも好きですが、十三夜、後の月のほうが名残の風情があって好きです。この後の月の風習は日本だけのようで、宇多法皇が「今宵の月は無双である」と賞したのが始まりという人もいます。日本の自然美、季節の美しさ、美意識をあらわす「花鳥風月」、「雪月花」。いずれも月が入っているでしょう。日本人にとって月は特別、風流なものとして扱われてきたんだと思います。かつては十五夜のお月見だけして、十三夜のお月見をしないことを「片見月」といって縁起が悪いとされたそうです。昔は中秋に空の月と水面に映った月を見ることで二つの月を見たことにし、後の月を見なくてもよしとしたこともあったようです。


毎年十五夜から十三夜まで月の掛け軸を掛け、お供えをする。お供えは毎日替える。





月だけが描かれた幽玄な掛け軸は、江戸末期から明治初期に活躍した菊池容斎のもの。栗と豆をお供えにして。


お供えも十五夜は、芋、十三夜は豆や栗。ですので十五夜は別名芋名月、十三夜は豆名月とか栗名月といいます。お団子も西と東では違うようで、京都では里芋のような形の団子に小豆餡がかかっています。子どもの頃は十五夜に届いたお団子を早く食べたくてしょうがなかったなぁ。夕方お供えして、母に「団子は?」と聞くと「じき夕飯や」といわれ、夕飯を食べた後ではもう団子は硬くなっており、「やっぱり硬なったやん」と文句をいったものです。新しい、できたてのお団子が食べたい、おさがりはいやや、と思ってましたが、当主だって神様より先には食べられません。当たり前のことですけどね。
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