
角餅か、丸餅か、すまし仕立てか、味噌仕立てか──。お正月にどんなお雑煮を食べているかがわかればその人の出身地のおよその察しがつくものです。本州、四国、九州を5つのお雑煮文化圏に分けて、その文化が生まれた歴史的背景を探ります。お雑煮を巡る旅が、より興味深く感じられるでしょう。
臼でついた餅をのし、堅くなってから切る「のし餅」は「敵をのす」の意を汲み、武家社会の江戸で生まれたもの。角餅が一度に多くできる合理的な方法で、京都で生まれた丸小餅が鏡餅の分身と考えられるのに対し、略式といえる。また「ミソをつけない」すまし仕立ては、江戸時代に造られるようになった野田醬油を使ったことで広まったとされる。
【角餅・すまし文化圏】に位置する長野・石苔亭いしだ(せきたいていいしだ)のお雑煮。焼いた角餅と地元のご馳走である塩鰤、寒締めほうれん草が入ったお雑煮。名古屋コーチンのガラだしに、かつおと昆布だしを合わせたすまし仕立て。能舞台に見立てた器に盛られた祝い肴とともに。長野県下伊那郡阿智村智里332-3 TEL:0265(43)3300
関ケ原を分岐点にして、東はのし餅を切った角餅、西は丸小餅と、2つのエリアに分かれる不思議。正確にいえば新潟県糸魚川から富山県高岡、石川県金沢、岐阜県関ケ原、三重県四日市、松阪、熊野新宮を結ぶラインが分岐点となる。フォッサマグナと分岐ラインが似ているが、その理由は不明。ちなみに、角餅は焼く地域が多く、丸餅は煮るところがほとんど。
室町時代の京都で生まれたお雑煮。発祥時は味噌と水をとろ火で煮つめ、麻袋にいれてぶら下げ、その雫をためた「垂れ味噌」雑煮で、味噌とはいえ、すまし仕立てだった。直接味噌で味つけするのは、武家が支配していなかった地域か、寺院における質素と合理の精神を受け継いだ地域で、近畿、香川、徳島では白味噌、越前では赤味噌が使われる。
お雑煮に小豆汁を用いる地域が、主に日本海側に点在している。中心は出雲地方。その起源は鎌倉時代、ほうとうを小豆汁で食べる習慣があったからなどとされるが、定かではない。兵庫県日本海側、石川県能登、新潟県、三重県などに点在しているため、出雲人の移動により伝播したのではないかとされる。山陰ではすまし仕立てのところもある。
醬油のすまし仕立てのお雑煮は江戸で生まれたもの。西日本は古式の丸餅文化圏でありながら、九州を含めて多くの地域で関東風のすまし仕立てになったのは、徳川家の治世となった江戸時代の参勤交代の影響だといわれている。古式の丸餅と、武家文化が入り込んだ新式のすまし仕立ては、折衷型のお雑煮といえる。この記事の掲載号
撮影/大泉省吾、齋藤幹朗、三苫正勝、本誌・坂本正行 取材・文/遠藤綾子、瀬川 慧、西村晶子、森山弥生 監修・作図/奥村彪生 イラスト/駿高泰子