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パヴァロッティが帝国ホテル滞在中にふるまった自慢の「ペンネ・アラビアータ」

2020.12.02

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パヴァロッティが愛したイタリア料理のレシピ 03(最終回) 誰もが知る不世出のテノール歌手、ルチアーノ・パヴァロッティ(1935~2007)の人間味あふれる素顔の魅力を綴った『パヴァロッティとぼく-アシスタント「ティノ」が語るマエストロ最後の日々』。本に書かれている料理にまつわる数々のエピソードからは彼の人間味あふれる魅力が垣間見えてきます。食通のパヴァロッティが愛したイタリア料理のレシピを、翻訳者の楢林麗子さんのエッセイとともにお送りします。前回の記事はこちら>>
パヴァロッティとティノ(『パヴァロッティとぼく』の著者)。ティノの30歳の誕生日をサプライズケーキでお祝い。(『パヴァロッティとぼく』より)

03.ティノが帝国ホテルのキッチンで作ったパヴァロッティ直伝のレシピ「ペンネ・アラビアータ」




―――(「トスカ」の舞台が)ひとつ終わった夜、ホテルに戻るとマエストロはぼくを呼んでこう耳元でささやいた。


「ティノ、ペンネ・アラビアータを20人分作る気はないか?」

==中略==

プロのシェフで構成されているレストラン部に助力を求め、部屋から厨房へパスタ、トマト缶、オリーブオイル、パルミジャーノを運んだ。マエストロの助言に従い、ぼくたちは500グラムのパスタ8袋、つまり人数分の倍の量をゆでた。一口も余らなかった。

「ブラヴォー、ティノ! ブラヴォー!」とマエストロはぼくに向かって、あの威厳のある声でそう言ってぼくを絶賛してくれた。(『パヴァロッティとぼく』21節より)


東京でもふるまったイタリア料理
文/楢林麗子


パヴァロッティはワールドツアーで行く先々のホテルの部屋に特注のキッチンを作らせ、イタリアから持参した山のような食材を使い、愛用の鍋やフライパンまで持ち込んで自分で調理をしました。彼は、人に食べさせること、友達やスタッフと一緒に食べることもまた大きな喜びとしていたのです。

それは1997年に、メトロポリタン歌劇場(MET)の来日公演で、帝国ホテルに宿泊した際のエピソードにも表れています。

パヴァロッティはこのとき、東京公演の共演者やMETのスタッフら仲間全員を、帝国ホテルの自分のスイートルームに招いたのでした。いったい何人いたのでしょうか。40人分を完食したというのも納得です。

このとき東京に持参した食材は、前の滞在先のニューヨークで調達したのではなく、わざわざイタリアに寄って仕入れてきたものでした。

帝国ホテルのスイートルームにはキッチンはもちろん、そのほかリクエストしたものが完璧に準備されていて、パヴァロッティとティノを感激させました。

故郷のモデナにいるときは、ティノとふたりで家の近くのバール(カフェ)によく出かけ、モデナ名物のニョッコ・フリット(gnocco fritto)という薄い揚げパンのようなものに生ハムをはさんだローカルなサンドイッチをほおばり、冷たいビールを飲むことを楽しみにしていました。

それもレストランで出されるような上品で小さいニョッコ・フリットではなく、地元の人が食べるような、大きくて、素朴で庶民的な味をこよなく愛していたのです。

モデナの自宅“カーザ・ロッサ”のすぐ横にある、パヴァロッティが開いた「レストラン・エウローパ '92」では、今でもモデナならではの郷土料理が存分に楽しめます。オーナーシェフのチェーザレの得意料理の「金箔をのせた黒米のリゾット」や「コンソメスープに入ったトルテリーニ(具を包んで小さくまるめたパスタ)」はパヴァロッティの大好物でした。

生前毎年この地で行われた「パヴァロッティ&フレンズ」(ポップスターたちと共演した大規模なコンサート)の際にはライザ・ミネリ、ボノ、スティーヴィー・ワンダー、セリーヌ・ディオン、マライア・キャリーといった大物歌手たちが訪れ、その味を楽しんだといいます。

パヴァロッティは、歌声で人々を魅了しただけでなく、イタリア郷土料理の魅力も世界に広めていたのですね。

リゾートホテルのキッチンで料理するパヴァロッティ

ペンネ・アラビアータ
Penne all'Arrabbiata


※パヴァロッティのレシピは家庭料理なので、およその分量を記載しています。お好みに合わせて調節してください。

●材料(4人分)
・ペンネ 400g

・パッサータ※(粗ごししたトマト) 約600g

・エクストラヴァージン・オリーブオイル 適宜

・みじん切りの唐辛子(乾燥したもの) 適宜

・パルミジャーノ・レッジャーノチーズ 約50g

・ガーリックソルト、オニオンソルト、黒コショウ 適宜

・砂糖 少々

●作り方
1) フライパンにオリーブオイルを少量入れて熱し、パッサータ(※缶詰のホールトマト、カットトマトなどをこしたものでもよい)を加え、ガーリックソルト、オニオンソルト、黒コショウ少々と、酸味をとるために砂糖をひとつまみ入れ、そのまま5分煮込む。

2)深鍋にお湯をわかし、沸騰したら塩を加え、ペンネを入れる。

3)ペンネがアルデンテにゆであがったらざるで水気を切り、1)のトマトソースに入れ、唐辛子を好みの辛さだけ加えて炒める。

4)火を止め、オリーブオイルをまわしかけ、おろしたパルミジャーノをひとつかみ入れればできあがり。

パヴァロッティが望んで撮影したティノとの最後の写真。この2週間後にパヴァロッティは亡くなった。(『パヴァロッティとぼく』より)

『パヴァロッティとぼく-アシスタント「ティノ」が語るマエストロ最後の日々』


エドウィン・ティノコ 著 楢林麗子 訳 小畑恒夫 日本語版監修 アルテスパブリッッシング刊 ・詳しくはこちら>>
ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti)
1935年10月12日、イタリア・モデナ生まれ。輝かしい歌声から“キング・オブ・ハイC”と讃えられた20世紀最高のテノール歌手。レコード・セールス1億枚。世界で最も売れたクラシック・ヴォーカリストとして知られる。「神に祝福された声」と評されたイタリアの空を思わせる明るく豊かな美声は世界中の人々から愛された。2007年9月6日、モデナにて死去。

エドウィン・ティノコ(Edwin Tinoco)
『パヴァロッティとぼく―アシスタント「ティノ」が語るマエストロ最後の日々』の著者。“ティノ”はパヴァロッティの付けた愛称。ペルー・カハマルカ生まれ。ペルーの首都リマの5つ星ホテル「ラス・アメリカス」で客室担当係として働いていた1995年(当時28歳)にパヴァロッティに出会い、彼が亡くなるまでの13年間、パーソナル・アシスタントを務める。

楢林麗子(ならばやし・れいこ)
翻訳家。「三大テノール」をきっかけにオペラに興味を持ち、鑑賞したイタリア・オペラのビデオやDVDは150本以上、オペラやコンサートは、海外公演約30回、国内公演約90回。好きな言葉は「Never too late(なにごとも遅すぎることはない)」。50歳からイタリア語を学び始めて、『パヴァロッティとぼく―アシスタント「ティノ」が語るマエストロ最後の日々』が初の翻訳となる。
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