特別対談、再び 塩沼亮潤(大阿闍梨〔だいあじゃり〕)+羽生結弦(プロフィギュアスケーター)流れの中で、生きる 2024年10月号にて実現した、宮城県仙台市・慈眼寺のご住職、塩沼亮潤大阿闍梨とプロフィギュアスケーターの羽生結弦さんによる特別対談「『生きる』意味」。「お二人のお話をもっと聞きたい」といった反響に応え、第2弾をお届けします。再び語り合ってくださったお二人の現在地や心境は? お互いをリスペクトする間柄ならではの深遠なやりとりに加え、羽生さん自らが書かれたQ&Aの回答や世界の平安を祈る塩沼大阿闍梨の今まで、今回もすべての言葉が心に響きます。
神は細部に宿る。プログラムと護摩修法の共通点
「自分がやるべきことを全うして、幸せだと思う方向に歩みを進められている実感があります」―羽生結弦さん羽生 プロフィギュアスケーターとして、勝ち負けから解放されて活動している今、僕がすごく大事にしているのが「神は細部に宿る」という視点です。振り上げた足の位置、首の角度、目線といったほんのちょっとした仕草なのですが、どの一瞬を切り取られたとしても何かが宿っているように演じたい。転換期となった18年の平昌五輪後、僕がずっと大切にしているところです。
「失敗は多いほうがいい。失敗して傷ついた分、人の痛みがわかって優しくなれるはず」―塩沼亮潤大阿闍梨塩沼 私も、袈裟を着て歩く時の首の角度や護摩修法での姿勢など、いつも自分で確認して軌道修正していますよ。細部あっての全体、全体あっての細部ですから。
羽生 やはり、そうですか! 阿闍梨さんがお経を唱えてくださったり、護摩修法に臨まれている姿にありがたさを感じるのは、ざっくりいうと一つ一つの仕草が洗練され、研ぎ澄まされているからなのでしょうね。声の響き一つとっても、細心の注意が払われ魂が宿っているからこそ、こちらも心が洗われて幸せを感じることができるのだと思います。
塩沼 月に一度、護摩修法を行っていますが、毎回違うんです。自分の内面、日常生活のすべてが表れるからこそ毎日の過ごし方が大切なのですが、プログラムを深めていくことと護摩修法は同じなのかもしれませんね。
羽生 本当ですね! 阿闍梨さんは1000日間一人で一日48キロ歩く大峯千日回峰行や、9日間食べず飲まず寝ず横にならずの中、ご真言を20万遍唱える四無行を満行されていますが、死の淵まで追い込む過程で体得された人生訓はどのようなものでしょう。
塩沼 一言でいうと「因果律」、ある原因があればそれに応じた結果が生じるということですね。千日回峰行では一日48キロ歩かなければならないので、最初は山肌をガンガン削らんばかりの勢いで進んでいたところ、結局自分自身の足も傷めていたんです。極限状態の山中で、多くの大切なことを学びました。私は思い立ったら行動するタイプなのでこれまでの人生、失敗も多くて。9割以上、失敗かもしれない(笑)。でも、痛い思いをした時の自分の言動を振り返ってみると、心のどこかに慢心があったように思います。
羽生 巡り巡っているんですね。
塩沼 繫がっています。でも、私は失敗は多ければ多いほどいいと思うんです。傷ついた分、人の痛みもわかり優しくなれますし。
羽生 スポーツ界では自身が金メダルを取ったコーチより、銀メダリストのほうが金メダリストを輩出する確率が高いといわれるのですが、それって心の痛みがわかるからかもしれませんね。今のお話を聞きながら、自分はどちらかというとトントン拍子だったな⋯⋯と反省していました。
塩沼 トントン拍子に見える裏には、擦り傷、切り傷がたくさんあるじゃないですか。
羽生 とはいえ、金メダルを目指して血の滲むような努力をしてきた人たちの上に立つ者として、常に謙虚でいなければと思います。
羽生コーチのスケート教室終了後に見せた晴れやかな笑顔。羽生さんが高校生の頃からのおつきあいで、高校の先輩・後輩でもある。