
今回の公演の⼤きな⾒どころが、世界初演となる新作能『寛永⾏幸』です。後⽔尾天皇が京都御所を出⽴し、徳川秀忠、家光⽗⼦が待つ⼆条城へ向かう⾏幸。そして5⽇間にわたる饗応を経て、御所へ還幸するまでを、⼀曲の能として描きます。この作品は、最初から「新作能をつくろう」と始まったわけではありませんでした。林喜右衛⾨さんは、その経緯をこう振り返ります。
「絵巻物を⾒るような能」。その⼀⾔に、この作品の⽬指す世界が凝縮されています。橋掛かりには、後⽔尾天皇、家光、供の⼈々が列をなし、壮麗な⾏幸の情景が⽴ち上がります。さらに物語は、能ならではの幻想へと広がります。夢の中で舞い始める後⽔尾天皇。その舞に家光、そして秀忠も加わります。
400年前の歴史をたどるだけではなく、その時代に⼈々が願った⽂化の姿を、新たな能として現代に⽴ち上げる。新作能『寛永⾏幸』は、その挑戦そのものが、今回の記念能を象徴する試みといえるでしょう。
新作能『寛永⾏幸』には、もう⼀つ⼤きな⾒どころがあります。⾦剛流若宗家・⾦剛⿓謹さんと、京観世五軒家の林家当主・⼗四世林喜右衛⾨さんによる異流共演です。林さんは、新作能の構想を練る中で、「⽂武和合」というテーマを舞台そのものでも表現したいと考えました。
「公家と武家の和合というのが、この⾏幸の⼤きな意味です。であれば、能も観世流だけではなく、京都にいらっしゃる⾦剛流の若宗家・⾦剛⿓謹さんにもご出演いただいて、異流共演ができないかと思いました」(林さん)。
異なる流儀が⼀つの作品をともに創り上げることは、決して当たり前のことではありません。林さんは、「思い切ったお願いでした」と話しますが、⼀⽅の⾦剛さんは、その気持ちに応える形で、依頼を受けたといいます。互いの流儀について伺うと、林さんは、⾦剛流の魅⼒を「舞⾦剛」という⾔葉に重ねました。
「観世流から⾒ていますと、舞の⾒せ⽅が実に豊かなのです。派⼿であったり、アクロバティックであったり、こちらの想像を超えるような動きもある。悪い意味ではなく、本当に⽬を楽しませてくださる流儀だと思っています」(林さん)。
⼀⽅で、⾃らが受け継ぐ観世流については、「観世流は、新しいものを取り⼊れることを恐れない流儀だと思っています。『⾯⽩い』『いいな』と思えば、流儀の枠を越えて学び、⾃分たちの芸に⽣かしていく。そういう柔軟さも、観世流の⼀つの特徴ではないでしょうか」と話します。
⾦剛さんも観世流に対しては特別な思いを持っておられました。
「観世流さんは五流派の中でも最も⼤きな流派です。それだけに、お家ごとに芸⾵もさまざまで、本当に多彩です。私⾃⾝も、いつも勉強させていただいています。⾦剛流は昔から『⾦春を⽗とし、観世を⺟とする』と⾔われています。古い⾦春流の流れを受け継ぎながら、観世流の艶やかな要素も受け継いでいる。そういう複合的な芸⾵が⾦剛流なのだと思っています」(⾦剛さん)。
京都という同じ⼟地で、それぞれの芸を磨き続けてきた者同⼠が、互いの芸を尊重しながら⼀つの舞台を創る。そのこと⾃体が、今回の公演が掲げる「⽂武和合」という精神とも重なります。
林さんは、最後にこう語ります。「私が⾦剛流のように舞うのでもなく、⾦剛さんが観世流になるのでもありません。それぞれが受け継いできた芸を、そのまま舞台へ持ち寄る。その上で⼼を⼀つにすることが、今回⼀番⼤切なことだと思っています」。
新作能『寛永⾏幸』に続いて上演されるのは、『猩々乱』(『乱』)。1626(寛永3)年、後⽔尾天皇と徳川秀忠、家光が⼆条城で鑑賞した記録が残る演⽬です。しかも今回は、⾦剛流と観世流による異流共演という、極めて希少な舞台になります。⾦剛さんは⾒どころをこう説明します。
「今回は特殊演出の『乱双之舞』が⼀番の⾒どころとなります。流儀によって舞い⽅が異なり、私どもの流儀では⾜先で⻘海波を描くような舞が⼊ります」。
同じ曲であっても、流儀によって表現は異なります。その違いこそが、⽇本の能が600年以上にわたり受け継がれてきた豊かさでもあります。今回、その「乱双之舞」を⼆つの流儀が⼀つの舞台で披露します。
「本来は、それぞれの流儀だけで演じる曲です。今回は林さんと⼆⼈で猩々を勤め、それぞれの流儀の『乱』をご覧いただきます。私にとっても初めての経験であり、⼤変楽しみにしています」(⾦剛さん)。
互いの違いを消すのではなく、それぞれの美しさを尊重しながら、⼀つの舞台を創り上げる。400年前、後⽔尾天皇と徳川秀忠、家光が⾒た祝⾔能は、400年という時を経て、新たな意味をまとって現代によみがえるのです。
寛永⾏幸四百年祭は、歴史を振り返るためだけの催しではありません。寛永⾏幸四百年祭総合プロデューサーの濱崎加奈⼦さんが⾒つめているのは、その先にある未来です。
2年半前から⺠間有志で準備を始め、現在では京都府、京都市、⽂化庁、京都商⼯会議所をはじめとするオール京都体制へと広がったプロジェクト。その根底にあるのは、「400年前に⽂化が果たした役割を、現代に問い直したい」という思いでした。
濱崎さんは、寛永⾏幸という出来事をこう捉えています。
「国家を挙げた⼤きな事業の中で、経済も潤い、産業や⽂化に多くのスターが誕⽣しました。武の⼒ではなく、⽂の⼒で国をつくっていこうという、⼀つの⼤きな枠組みができた契機だったのではないかと考えています。本来、能は武家の芸能です。その能を、天皇が初めて天皇のお⽴場でご覧になった出来事でもあります。そして、その時の記録が⾮常に詳しく残っています。もちろん四百年前をそのまま再現することはできません。でも、その時、天皇様と将軍様、⼤御所様が並んで能をご覧になった、その記憶を現代によみがえらせたいと思いました」(濱崎さん)。
『寛永⾏幸』が新たな創造なら、『猩々乱』は受け継がれてきた伝統。その両⽅があって初めて、⽂化は未来へつながっていく――。今回の公演には、そんな思いが込められています。
その考え⽅は、公演で設けられた「20万円席」にも表れています。⼀⾒すると⾼額な特別席ですが、濱崎さんは「いい席を販売すること」が⽬的ではないと話します。
「この席は、舞台を近くでご覧いただくだけの席ではありません。400年前の寛永⾏幸は、多くの⼈の⼒によって成し遂げられました。職⼈がいて、芸能者がいて、町衆がいて、それぞれが役割を担いながら、⼀つの⽂化を築いていったのです。」
今回の寛永⾏幸四百年祭もまた、多くの市⺠や企業、⽂化⼈、⽀援者の協⼒によって成り⽴っています。20万円席には、公演鑑賞だけでなく、⾏幸⾏列への参加など、この記念事業をより深く体感できる機会が⽤意されています。しかし、それは豪華な特典を提供するためではありません。濱崎さんは、この席を「⽂化をともに⽀える⽅のための席」だと⾔います。
「この2年間、『何か⾃分にもできることはありませんか』『⽂化のために⼒になりたい』という声を、本当にたくさんいただきました。そのお気持ちに応えたいと思ったのです。この席は、公演を楽しんでいただくだけではなく、このプロジェクトを⼀緒につくり、未来へつないでくださる⽅をお迎えしたいという思いで設けました。400年前は、戦乱が終わり、この国をどう築いていくのかを考えた時代でした。その中で、⼈と⼈をつないだのは⽂化だったと思っています。だからこそ400年後を⽣きる私たちも、流派や⽴場を越えて、⼀緒に⽂化を⽀えていきたい。この公演が、その新しい⼀歩になれば、本当にうれしく思います」(濱崎さん)。
400年前から受け継がれてきた⽂化が、新たな⼀歩を踏み出す瞬間を、ぜひ京都・⾦剛能楽堂でご覧ください。
・寛永⾏幸四百年祭記念能の詳細はこちら→
取材・文/田上雅人