誰のために生きるのか
もう何十年も昔のことになりますが、『大河の一滴』という本を書きました。
小説ではないのですが、一つの物語を文章にしたものです。これまでに単行本、文庫を合わせて三百万部をこえて読まれたのは、私の一冊の本ではこの本だけです。私は一人でも多くの読者に語りかけたいと願っている作家なので、そのことをとても嬉しく思っています。
タダで配ったわけではありません。ひとりひとりの読者が、汗水たらして働いて得たお金で買ってくださったのですから、作者冥利(みょうり)につきると言ってもいいでしょう。
誰かのために生きる
それから三十年近くたった最近、その作品の続篇のような本を書きました。同じ題名の本ですが〈最終章〉という言葉がそえてあります。
前に書いた物語から年月がたち、人生の終りを目前にした文章です。その本の広告のコピーは、〈人は何かのために生きるのではない。誰かのために生きるのだ〉
というものでした。
私は一昨年、思いがけぬ癌の告知を受けて、いやおうなしに〈死〉を考えることになりました。いかに先進医学が進歩したとはいえ、やはり癌の告知は高齢者にとっては苛酷な現実です。
この歳まで生きたのだから、もういいか、という気持ちもあり、人生という大河の流れに身をまかせて、行くべき所に素直に流されていこうという思いが強かったのです。
しかし、結果的に私は生きるために努力する道を選んだのでした。
なぜこの歳になって一日でも長く生きようとするのか。どうして生命の大河に身をまかせて、往くべきところへ往こうとしないのか、と、いろいろ考えたのですが、結論は〈生きるために努力する〉ということでした。
もう十分に生きたではないか。どうしてこの期(ご)におよんでジタバタするのか。心の中でそんな思いを嚙みしめながら、それでもなお私は治療の道を選んだのです。
私のそんな思いを支えてくれたのは、こんな考えでした。
いまの世界を眺めて、ため息をつかない人はいないと思います。毎日のニュースは、日々、世界の各地で失われた人々の数を報じています。
それぞれが、かけがえのない人生を背負った人々です。
一日でも長く、ひと時でも安全に生きようと願いながら、多くの人々の命が失われている。
簡単に生きることを投げだすのは、それらの人々への冒瀆(ぼうとく)ではないのか。〈生きんと切に願いつつ、生きることあたわざりし人々〉がどれだけいることだろう。
癌の治療を選んだ理由
私の頭の中に浮かんできたのは、戦後まもなく、敗戦の混乱の中で非業の死をとげた母親のことでした。
九州の山村に生まれ、努力を重ねて福岡の女子師範学校を卒業し、小学校教諭として生きた彼女は、生涯の夢として、「一度は東京へ行ってみたい」という素朴な夢を、しばしば恥ずかしそうに私に語った人でした。
あの戦争の時代に、ひそかにオルガンで昔の童謡や抒情歌を弾いていた彼女は、敗戦後の外地で死にました。九州の山村に生まれた少女時代の夢を果たせぬままに。
学生時代の私は、「虐(しいた)げられし人々のために生きる」ことを心に秘めた若者でした。
それは〈大義〉といわれるものであり、ヒューマニズムにもとずく信念でもありました。
しかし、そこには思想はあっても、具体的な人間の顔は思い浮かべることがなかったように思います。しかし、いまはちがいます。「生きんと切に願いつつ、それを果たすことあたわざりし人のために」生きる義務がある、と、つよく感じたのです。
注射一本、薬一服あたえられずに世を去った母親のかわりに、自分は一日でも、一時間でも長く生きなければならない、と、ごく自然に思ったのでした。
彼や彼女の果たすことのできなかった時間を、自分は生きる努力をしなければならない。
そう思い直して私は治療の道を選んだのです。
幸いその治療が効を奏して、半年足らずで奇跡的に私は完全な健康をとりもどすことができました。私の癌は再発の可能性の高い癌だったそうですから何年かの経過観察が必要だそうです。しかし、それでも具体的に「誰のために生きるのか」という思いが、はっきりしたことが私の生きる意欲を支えただろうことは間違いありません。
〈何のために〉という抽象的な思考ではなく、
〈誰のために〉生きるのか、という具体的な目標が見えたことが幸運をもたらしたのだと思います。
〈他力(たりき)〉とは他にあたえる力ではなく、他からあたえられるものだと、あらためて感じたものでした。
五木寛之(いつき・ひろゆき)
《今月の近況》一時期、変った帽子をかぶっていたのは、治療のために髪が抜けるのをカバーするためでした。外野席からの評判が悪かったのですが、いまはもう大丈夫です。ご安心ください。(笑)