犬でも褒めればワンとなく
子供の頃、家にはチルという犬がいました。
たぶん「チルチル/ミチル」の物語りからとった名前でしょう。
戦時中のことで、外国ふうの名前はなんとなく肩身のせまい感じになってきたのですが、まだその頃は戦時色のそれほど強くない時代でした。
たぶん、その名前をつけたのは、私の母親だったと思います。
私の両親は、ともに九州の師範学校を出て、地元の小学校の教師となったようです。
「ようです」というのは、私が当時の両親の暮らしをまったく知らないからです。両親ともに早く亡くなったために、くわしい昔話しを聞く機会がなかったせいでした。
父と母のなれそめは、たぶん同じ田舎の小学校に赴任(ふにん)した若い教師同志のロマンスだったのではないかと想像するしかありません。
父は師範学校在学中に剣道部で活躍したというのが自慢でした。のちに武道会の役員などもつとめていましたから、そこそこの有段者だっただろうと想像されます。
詩吟が得意で、子供の私にも無理やり昔の詩吟をおぼえさせようとするのが困りものでした。本棚には本居宣長(もとおりのりなが)とか、賀茂真淵(かものまぶち)、平田篤胤(あつたね)とか、国学家の本が並んでいます。
母の本棚はそれと対照的に、『小島の春』とか、林芙美子の『紅襟の燕(つばめ)』とか、パール・バックの『大地』や、モーパッサンの文庫本などがあったのを思い出します。
父親の詩吟とは対照的に、休日には廊下においてあるオルガンで、よく童謡の曲を弾いていました。試験の答案を山ほど抱えて家に持ち帰り、夜半まで眼鏡をかけて採点していた姿も思い出します。
褒める才能
母は平凡な女性でしたが、ただ一つ、ズバ抜けた才能に恵まれていました。
それは、人を「褒(ほ)める才能」の持ち主だったのです。とにかく褒めるときは徹底的に褒める。それがお世辞とか、何かの意図があっての褒め方のようには、まったく感じられない。誠心誠意、心から褒める感じがまっすぐ伝わってくるような褒め方なのです。
きかん気の犬のチルでさえ、母親が頭をなでて褒めると、必ず「ワン」と鳴く。全身を震わせて歓ぶのです。
いわゆる「褒め方上手」といった感じが、まったくしないのは、人柄とでも言うべきでしょうか。
自分が自慢にも思い、人からもよく褒められるようなことでなく、本人だけがひそかに自負しているような点を、いつでも繰り返し褒めて、褒めて、褒め抜くのですが、それがちっともイヤ味にならないのが不思議でした。
母にオーバーと思えるほどに褒められた相手が、「またまた、お世辞はもういいから」などと絶対に言ったりはしないのは、なぜだろうと考えるのですが、わからない。
しかし、そんなふうに母に褒められると、なぜか元気がでてくるのです。
「褒める」と「お世辞」のちがい
「褒める」と、「お世辞」のちがいは、なんでしょうか。
大正生まれの母の名前は「カシヱ」という変な名前でした。子供の私がそう言うと、笑って、「カリヱ」よりいいんじゃない、と笑っていた母のことを、最近しきりに思い出します。彼女は敗戦の混乱のなかで残念な死をとげました。「よき人は逝く」という言葉をときどき思い出します。
最近、いつも思うのですが、「人を褒める」というのは、本当はむずかしいことなんですね。
褒められた相手が、元気がでる。もし人に尻尾(しっぽ)があるなら、全力で振りたいと思うような褒め方をしてくれる人がいたら、と、ときどき思うことがあります。
世の男性が仕事の帰りに、ホステスさんのいる酒場へ寄り道をするのは、お酒を飲みたいからではありません。
ヒラの若手社員も、高齢の重役も、要するに褒められたいから行くのです。どうせお世辞とわかっていても、苦い真実に疲れた男性たちは、口先だけのお世辞を求めてネオンの街へ足を向ける。
「女性だってそうよ」
と、ある婦人が言いました。
「ほんとうに私のいい所をみつけて、真剣に褒めまくってくれるような男性がいないものかしらね。ああ、全力で褒められたい!」
最近、いろんなマナーや表現の仕方を教える教室があるそうですが、〈人の正しい褒めかた〉も、本当はちゃんとレッスンをしたほうがいいのかもしれません。
〈良き伴侶に恵まれる〉ことは、しあわせな人生を送る最大の条件です。
たとえお世辞とわかっていても、それをあえて試みることにも意味があるではないか。世辞もまた難しきかな、と、ため息をつきながら、でも、人は褒めたほうがいい。そう思うのです。
五木寛之(いつき・ひろゆき)
《今月の近況》三十年ほど前に『大河の一滴』という本を書きました。こんど『大河の一滴 最終章』という新しい本を出すことになったのは、三十年の歳月で変ったところと、変わらぬところを確認するためです。乞御期待!